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GREY  作者: 柿谷巡
12/27

12話「二人だけの時間」



 グレイシアは、自分の手を引く目の前の少年が振り返ったその瞬間、思わず声を上げそうになりました。



 何故なら彼は自分と馴染みのある、とある少年と背丈や顔立ちがそっくりだったからです。



 その少年はミルクティー色の髪を綺麗にまとめ、紺色の美しい瞳をした美しい少年でした。



 しかし、グレイシアは目の前にいる彼が、その馴染みのある少年と同一人物のようにはとても思えませんでした。



 何故なら、目の前の彼は瞳の色と似た鮮やかなロイヤルブルーの上質な生地に金の糸の刺繡や宝石があしらわれたコートを羽織り、中に白いサテンのブラウスを着て、同色のズボンを身に着け光沢のある革靴を履いた、洗礼された貴族の様な見た目だったからです。



 それに対して馴染みのある少年は今頃、リーフウッド男爵家の人質にされておりますから、こんな場違いにも程がある、格式張った空間に行ける訳がありません。



 それに彼の生死でさえ分からない状況でした。



 あの明らかに正常ではない様子の夫人なら、血のつながりもなければ、敵対しているヒューバートン男爵家の使用人に対して、憂さ晴らしに恐ろしい仕置きをしていても何らおかしくないからです。



 グレイシアは何故あの時、彼にルーシャスを追いかけに行くよう促してしまったのでしょうか。



 「こんなことをしている場合じゃないわ‥」



 グレイシアはそう心の中で呟くと、捕らえられている彼のことを考え、罪悪感でいっぱいになりました。



 「エリオット、ごめんなさい。必ず助けに行くから、無事でいて」



 彼女はそう強く願いました。



 そして我に返り、これから自分がとるべき行動に移りました。



 「貴方が手を引いてくれなければ今頃どうなっていたことか、本当にありがとうございます」



 グレイシアは素早く礼を言いました。



 これから自分が踊る相手は他でもなくダニエル・ウィルキンス。



 このクルーズの主催なのですから、急いで彼の元へ行かないといけないからです。



 彼女の心の中では色んな感情でぐちゃぐちゃになっていましたが、それを悟られないように冷静に見えるように努めました。



 「貴方は…?」



 グレイシアは何気なく、去り際に彼の名前を聞こうと思い、そう尋ねました。



 「どっかの国の王子様だよ」



 彼は茶目っ気のある笑顔を浮かべてそう言いました。



 その聞き覚えのある声にグレイシアは驚きの余り、心臓が飛び跳ねそうになりました。



 そして、ぐちゃぐちゃだった自分の心に温かい光のようなものが一気に注がれ、満ちていくのを感じました。



 「やっぱり‥!!エリオットなのね!!」



 グレイシアは目を輝かせてそう言いました。



 彼女の嬉しそうな声にエリオットは、思わず口元が緩んで戻りませんでした。



 「ああ、俺達も踊ろうぜ!踊り方、分かんねえけどな!!」



 エリオットは弾んだ声で、生き生きとした様子でそう言いました。



 彼は本当に踊りを教わっていませんでしたが、そんなことはどうだって良かったのです。



 ただ彼は自分の目に映るグレイシアが、悲惨で不遇な運命から抜け出した、”まるで物語の主役”のように輝いている姿を、ずっと目に焼き付けたかったのです。



 二人はホールの中央で美しいステンドグラスと、大きなシャンデリアが放つ煌々とした光に、祝福される様に照らされていました。



 エリオットは彼女の体を軽々と抱き上げるとくるくると回りました。



 グレイシアはどうしようもなく気持ちが高まり、無邪気に笑い出しました。



 目の前の全てがキラキラと輝いて見えたのです。



 それは単にこの煌びやかな空間に居るからだけではありません。



 エリオットが無事で、こうして彼が自分の前に再び現れてくれたことで胸がいっぱいになり、何もかも忘れて幸せな気持ちに包まれたからです。



 二人は間違いなく、心の底から今この瞬間が一番幸せだと思いました。



 そして二人はお互いを愛おしげに見つめながら、”完全に二人だけの世界”に入っていたのです。



 正確に言えば、良くも悪くも本当に二人だけの世界に入っていました。



 周囲に居た貴族達は、皆それぞれお相手と共にダンスを踊っておりましたから、この明らかにおかしな組み合わせの二人に気づいておりませんでした。



 ですがもし、不意に彼らの子の姿を目にしたら、思わず目を疑いさぞ不気味に思ったことでしょう。



 それというのも、傍から見れば激しく対立しているはずのヒューバートン男爵家とリーフウッド男爵家の長女と長男がこんなにも仲睦まじく微笑ましい姿を見せていたからです。



 エリオットはグレイシアをゆっくりと降ろすと、少し照れくさそうにはにかみました。



 今度はグレイシアがエリオットにワルツの踊り方を教え始めました。



 彼女の教え方はとても上手でしたし、彼は実は先程ダンスをしていたダニエルとヴィオラの動きを食い入るように観察しておりましたから、すぐに踊れるようになりました。



 そうして、二人は周りと同じように優雅に踊り始めました。



 「エリオット、その恰好最高に似合っているわ」



 グレイシアは踊りながらそう言って微笑みました。



 「グレイシア、お前も凄く綺麗だ」



 エリオットも、彼女を愛おしそうに見つめながらそう言いました。



 そんな彼ら二人の様子を、踊りながら不意に目にしてしまったルーシャスは、そのあまりの衝撃に開いた口が塞がりませんでした。



何故なら自分の妹であるリリィのふりをしたグレイシアが、目の前で死んだはずのルイスと踊っているのです。



 彼とダンスを踊っていた相手の女性も、挙動不審なルーシャスの様子に違和感を覚え、眉間にしわを寄せました。



 ルーシャスは気を取り直してダンスを踊り続けていましたが、近くで踊っているグレイシアとエリオットの様子も伺っていました。



 二人は曲の途中でポーズを決めました。



 その時、ルーシャスはルイスが(エリオット)がグレイシアの体を支えるために背中に手を添えていること気づき、思わずその手を二度見しました。



 ルーシャスは訳が分からず、全く踊りに集中出来なくなってしまい、完全に気を悪くした相手の女性に愛想をつかされ、タイミングを誤ってその場で派手にこけてしまいました。



 そんなルーシャスのことなど知りもせず、グレイシアとエリオットはステップを踏みながら優雅に踊り続けていました。



 「ところでエリオット、リーフウッド男爵家に捕らえられていたんじゃ」



 グレイシアがふとそう尋ねてきたので、エリオットは急に真剣な表情を浮かべてこう言いました。



 「ああ。お前はどこまで知っている?」



 突然、二人の間に流れる空気ががらりと変わりました。



 グレイシアは彼の顔つきが変わったのに気づき、すかさずこう言いました。



 「ルーシャス様がルイスに決闘を挑んだ結果、何故かルイスが自分を撃って亡くなったっていうのは知っているわ」



 エリオットは頷き、苦い顔をしてこう言いました。



 「ああ。俺はデッキまでルーシャスを追いかけて、その場にいたリーフウッド男爵と夫人に会って、そのまま俺だけ人質となり、今こうして亡くなったルイスの代わりをさせられているんだ」



 グレイシアは、まじまじとエリオットの衣装を一瞥するとこう言いました。



 「通りでその恰好はルイスの衣装なのね」



 グレイシアは音楽に合わせて優雅にくるりとターンしました。



 その時、彼女はふとルーシャスがエリオットに向かって、「ルイスと顔が似ているから殴らせろ」と言っていたのを思い出しました。



 グレイシアは、先程その光景を目にした時、ルーシャスは元から暴力的な性格で、単に難癖をつけて人を殴りたいだけなのだと思っていました。



 しかし、ルイスの実の親から息子の代わりを演じろと命じられるほど、ルイスとエリオットは容姿が似ていたのだと、グレイシアは今改まってそう思いました。



 「あと、ルイスの遺体を運んだ時、あいつの上着の辺りから妙な紙の切れ端が出て来たんだ。その紙には…」



 エリオットがそう言いかけたとき、なんと彼は横から何者かに思いきり脇腹を殴られて、勢いよく床に倒れてしまいました。



 グレイシアはあまりにも突然の出来事に、驚きの余り言葉を失いました。



 エリオットを殴った彼は、あのジルフォード侯爵の息子、ダニエル・ウィルキンスでした。



 彼は待ちぼうけを食らいながら、ずっとグレイシアの様子を伺っていたのです。



 「随分と楽しそうですね」



 ダニエルは、殴った方の手首を抑えながら、呆れたように言いました。



 彼は襟元を直すとその場に倒れたエリオットに冷やかな視線を向けました。



 グレイシアはすぐにエリオットの元に駆け寄ると、心配そうに見つめながら彼に手を差し伸べました。



 しかし彼はグレイシアと目を合わせず、敢えて彼女の手を取らずに立ち上がりました。



 「じゃあな」



 彼女に短くそう告げると、エリオットはその場を素早く去っていきました。



 「鹿のように逃げていきましたね。さあ、手を」



 彼は冷ややかな声でそう言うと、挨拶もなしにグレイシアの右手を掴みました。



 そしてダニエルはその手を強引に自分の口元に持って来ると、なんとグレイシアの手の甲に軽く口づけました。



 これにはグレイシアも彼の予想外の行動に思わず、目を見張りました。



 彼女が一瞬困惑した表情を浮かべたのに気づいたダニエルは白々しくこう言いました。



 「君の手が穢れてしまって、とても残念だ」



 グレイシアは、一瞬ダニエルが熱をはらんだ様な目で自分を見たような気がして、心の中で強く戸惑いを感じましたが、冷静でいるように努めました。



 そして彼女は自分の背中にダニエルの手が回された瞬間に覚悟を決め、彼と共に踊り出しました。



* * *



 ダニエルの薄い緑色の瞳は、斜視気味で何処か虚ろで、冷めたような感じがしたものですから、思わずグレイシアは彼から目を逸らしたくなりました。



 「君に敬意を表したいのは山々だが、ネックレスは一体どこへ」



 彼は、踊りながら彼女にさり気なくそう聞きました。



 グレイシアはふとダニエルの首元のネックレスを見つめました。



 彼は大粒のルビーが輝くネックレスを付けていましたが、デザインがどことなくリリィが先程宝物庫で引きちぎったネックレスと似ているような気がしました。



 「無くしたわけではないのです。ただ、壊してしまいました。本当にすみません」



 グレイシアは申し訳なさそうに、正直にそう告げました。



 彼女はここで事実を言わずに、嘘をつけたらどれだけ気が楽かと思いました。



 それというのも、ノアが言っていたようにこの舞踏会の主催の息子であるダニエルが直々にプレゼントした品を無下にするなど、非常に失礼な行為に当たるものですから、この場にいる誰もがそんなことはしないだろうと思ったからです。



 ただ慧眼な彼の前では嘘はつけないと思いましたし、どちらにせよばらばらになったネックレスのパーツを宝物庫にそのまま置いて来てしまったので、ここでごまかしたら後が怖いとも思いました。



 「正直に伝えてくれて感謝する」



 ダニエルは既に壊してしまったことを知っていたかのようにあっさりとそう言うと、グレイシアの腕を強く引き、先ほどヴィオラと踊っていたホールの中央ではなく隅の柱まで移動しました。



 そして、グレイシアの顔の横辺りに手をつき、なんと彼女をガッと柱に押さえつけました。



 「リリィ。茶会の後具合が悪そうにしていたのは演技ですか。



 正直に言うと、先ほどから見ていたが君のダンスは悪くない。



 正確に言えば、今日の君のダンスが、だ」



 ダニエルは、グレイシアを睨みつけながらそう言いました。



 そして彼は、グレイシアの小さな顎に軽く手を添えました。



 グレイシアは逃げ場が無くなり威圧的な彼の態度に、身の危険を感じて逃げ出したくなりましたが、冷静でいることに努めました。



 「本当に気味が悪い程にリリィにそっくりだな。ところでお前は一体誰だ」



 グレイシアは早くも自分の正体が見破られてしまったと思い、彼の刺すような冷たい視線と問い詰めるような低い声に怖気づいてしまいそうになりました。



 ただ、グレイシアは人よりも冷静さを保つことに長けていましたから、ダニエルから目を敢えて離さずに、じっと彼を見上げました。



 その時グレイシアは、彼が困惑し憂いを帯びたような表情を一瞬見せたのに気づきました。



 そして、彼は自分の正体を完全に見破り問い詰めているわけではなく、まだ確証が得られないからこそ疑いを晴らすべく自分がリリィの偽物だとカマをかけているのだと瞬時に悟りました。



 確かに今の自分の行動はリリィの行動としては矛盾だらけで、彼が脅迫のようなやり方で聞いてくるのも無理はないとグレイシアは思いました。



 「私はリリィです。ダンスは貴方の為に練習したのです。どうかお気を悪くなさらないで」



 彼女は部屋や宝物庫でリリィ本人と会っていましたから、彼女の話し方や仕草を思い出しました。



 彼女はグレイシアと確かに顔や体つきは似ていましたが、性格は少し違いました。



 リリィは悪く言えば臆病で、良く言えば儚げで可憐な雰囲気のある少女でした。



 グレイシアは彼を安心させるようにそう言うと微笑を浮かべました。



 その表情は本当に、リリィがいつも自分に向ける控えめでぎこちない笑顔そっくりでしたから、ダニエルはその言葉を本当に信じてしまいました。



 グレイシアはふと我に返ったように彼女を押さえつけている手を下ろすと、まるで何事もなかったかのようにグレイシアをエスコートしながらダンスを踊り始めました。



 「昔馴染みの君ですら疑うなんてどうかしているな。



 君の身のこなしはそう…悪くない。とても美しい」



 ダニエルはそう言って口元に薄く笑みを浮かべました。



 グレイシアは曲の途中でくるくるとターンすると、ダニエルに支えられながらポーズを決めました。



 一瞬、グレイシアはダニエルと目を合わせました。


 

 その時、ダニエルは満足げな表情を浮かべていました。



 グレイシアはヴィオラと踊っている彼から感じた、華やかで優雅だけどどこか形式的な雰囲気が薄れていることに気づきました。



 それは、彼が感情を見せて自分と接しているように感じるからです。



「女王もおらず式典らしくもない。



 この馬鹿馬鹿しい舞踏会はいかがお過ごしかな。



 全く、最終的には親の決めた家の繁栄に繋がるような相手と結婚するしかないというのに。



 こんなものを開く父には呆れたものだ」



 ダニエルはなんだか気を良くしたのか、ポロっと本音のようなものを漏らしました。



 「とはいえ、君の兄の素行は素晴らしい。



 君も自分の家の印象があれで地に落ちたことで面倒な男どもから求婚されずに済むだろう?」



 ダニエルは愉快そうにそう言いました。



 グレイシアは、リリィの振りをしている身でしたが、仮にそうだとしても彼の言い分は、グレイシアにとってあまり気持ちの良いものではありませんでした。



 何せ、リリィのルーシャスの行動と、それによって印象の落ちたリリィをからかっているようにしか聞こえないからです。



 グレイシアは彼の歯に衣着せぬその言い方に、思わず眉をひそめたくなりましたが、上品に微笑んでこう返しました。



 「いいえ、こんな素晴らしい舞踏会に参加出来て凄く光栄です。



 それに結婚相手を探すいい機会です。私も精が出ますわ」



 彼の皮肉に対してどう返してよいか分からなかったので、この会場にいる未婚の女性なら誰でも言いそうな、当たり障りのないことを言ったつもりでしたが、その言葉によってダニエルの表情が曇りました。



 「人の具合が悪くなることを祈ったのはこれが初めてだ。私の気持ちがわからないのか」



 ダニエルは気を悪くしたような素振りを見せると、冷淡な一体どこを見ているのか分からないミステリアスな瞳でグレイシアにそう言いました。



 グレイシアは先程から目にしてきた彼の態度から、リリィが言っていた「一体どういうつもりなのだ」という発言がようやく理解できました。



 既に婚約者がいるというのにダニエルの行動や発言からは、リリィへの確かな好意と独占したいという気持ちが滲み出ているからです。



 ただ自分は勿論リリィではありませんし、グレイシアはリリィの気持ちを尊重して彼とこれ以上話すべきではないと判断しました。



 曲は終わりを迎え、グレイシアはダニエルに支えられてポーズを決めると、彼に対して会釈をしました。



 ダニエルも先程の振る舞いを全て忘れてしまうほど、優雅で丁寧にお辞儀をしました。



 「ヴィオラ様と貴方はとてもお似合いです。どうか、お幸せに」



 グレイシアは別れ際にダニエルにそう言いました。



 そして、彼女は次にダニエルと踊りたくて声を掛けたそうにしているグレイシアと同い年程のオレンジ色の髪に黄緑色のドレスを着た愛らしい女性の存在に、いち早く気づきました。



 グレイシアは、健気な彼女に気づくように微笑みながら目で合図をダニエルに送りました。



 しかし、ダニエルは斜め前にいる自分を上目遣いに必死で見つめる彼女のことが、まるで視界に入っていないかのように、ただ”何処か”を見据えていました。



 グレイシアはそんな彼の振る舞いを少し妙だと思いました。



 「全く、本当に今日は奇妙なことばかり起こる」



 ダニエルは複雑そうな表情で、最後にグレイシアにそう言い残し、彼女の元を去りました。



* * *



 グレイシアはダニエルと別れた途端、酷く重い肩の荷が一気に下りたような気分になりました。



 それから間もなくグレイシアに声を掛けてきたのは、ヒューバートン男爵夫人から踊るように言いつけられていたリバーウッド伯爵の息子のモーガンでした。



 彼は長身でグレーがかった癖のある金髪をまとめ、整った顔立ちに薄紫色の上質な生地で作られたコートを着て、大きな宝石の付いた指輪をはめていました。



 夫人の話の通りに、彼は遊び人な雰囲気をどことなく醸し出していました。



 二人は踊りながら言葉を交わしました。



 グレイシアは、モーガンに何か言われるのではないかと内心身構えていましたが、それは杞憂に終わりました。



 何故なら彼は、先ほどの茶会での兄の素行や、決闘の結果などに対しては一切触れてきませんでしたし、家同士の揉め事や彼の妹のマーガレットのお粗末なピアノの話は話題にすら出してこなかったからです。



 ただ、一つ彼の行動に難点があるとすれば、先程から彼はグレイシアと踊っているにも関わらず誰かを探している素振りを見せたところです。



 グレイシアは、最初は彼が他のペアの位置を把握するために周りに視線を巡らせているのかと思いましたが、段々”特定の誰か”を探すために周囲の女性を物色しているように感じました。



 彼女は自分にまるで関心がない様子のモーガンに思わずこう尋ねました。



 「すみません、誰かに夢中なのですか?」



 彼女の問いかけに、モーガンはどうやら今まで無意識だったようで、目を丸くしてこう言いました。



 「これは失礼しました。



 いや、ヴィオラ様の姿が見当たらないのですよ。



 ファーストダンスのヴィオラ様は本当に美しかったですよね。



 彼女と婚約するダニエル・ウィルキンスが羨ましい限りです」



 彼は、惚れ惚れした様子でそう言いました。



 グレイシアは彼に相槌を打つと、くるりとターンしました。



 モーガンは彼女を支えながらこう言いました。



 「でも、僕にも彼女を口説くチャンスがあると思うのです。



 なにせ、僕が思いを馳せるヴィオラ・ディンキンスはまだ婚約者であるダニエルを本当に愛していないはずですからね」



 そう彼は自信ありげにそう言いました。



 まるで世間話をするかのように、他の魅力的なある女性ヴィオラの話をし続ける彼の態度に、グレイシアは遠回しに「君は恋愛対象外だ」と言われているような気がして、内心愛想が尽きてきました。



 ですが彼女はさり気なくモーガンにこう聞きました。



 「何故彼女が愛していないと分かるのですか?」



 グレイシアがそう聞いた瞬間、モーガンは思わずきょとんとした顔をしました。



 それから彼女に、驚きと困惑が入り混じったような表情を浮かべながら、こう言いました。



 「何故って‥‥ヴィオラ様は、元はヴァンチェスター公爵の息子、ケビン・スペンサーと婚約を結んでいたからですよ。


 

 ヴィオラ様は彼にかなり惚れ込んでいるようでしたが、そのケビンが突然亡くなって、その代わりに彼女は今度ダニエルと婚約することになったんです。



 というか、貴方にこの間のサロンでこの話をしましたよね?」



 彼が覚えてないの?と言わんばかりに、若干疑いの目を向けてそう言ってきたものですから、グレイシアは思わず余計なことを聞いてしまったと思いました。



 「ええ、なんだかそんな風に見えないくらい、ダニエル様とヴィオラ様はとてもお似合いだと思ったものですから」



 グレイシアは、控えめに遠い目をしながらそう言いました。



 彼女は内心、苦し紛れの言い訳を言ったつもりでしたが、むしろモーガンの目にはその振る舞いが好意的に映りました。



 彼からすると、彼女が例えこのような心底愉快なゴシップを知っていたとしても、皮肉の一つも添えずに敢えてとぼけたようなふりをして、舞踏会の華である彼らを非難しないように配慮したのだととらえたのです。



 そんな彼女の淑やかさに、モーガンは慈しむような目でグレイシアを改まって見つめながらこう言いました。



 「リリィ、やはり貴方の心は謙虚でどこまでも清らかな湖の様だ。



 貴方の魅力に溺れてしまいそうです。



 何故私は、今まで貴方に惹かれてこなかったのでしょうか」



 モーガンは歯の浮くようなセリフを言って微笑みました。



 段々、彼が背中に当てている手が腰の方へ降りてきそうだったものですから、グレイシアは内心鳥肌が立ちました。



 そして、彼とこれ以上話をするとボロが出そうだとも思ったものですから、黙っていることにしました。



 「貴方はあのダニエルと幼馴染のようですし、彼に惹かれているのかもしれませんが、目を覚ましてください。


 

 彼は貴方を公妾にしたいだけですよ。



 私が言うのもなんですが、彼は最悪です。



 狩猟が好きだと聞いていましたが、誘っても時間が惜しいと毎回断りますし、彼の敬愛する父の趣味を尊重して観劇について話を振っても、懐古主義なのかと一蹴してきましたからね」



 モーガンは右の口角を上げて、小馬鹿にしたように言いました。



 グレイシアは彼に心底同情するように微笑むと、心の中で「早く時間よ過ぎろ」と叫んでいました。



 最後にウォートン子爵の息子のモリ―と踊り終わる頃には、グレイシアは物凄く疲れていました。



 何故ならモリ―は踊っている最中にも関わらず、先程舞踏会に行く道中で母親が言っていたことを根に持っているのか、極力グレイシアと目を合わせようとしないからです。



 そして、あろうことか彼女に向かって嫌みったらしくこう言いました。



 「君の兄は、どうやらリーフウッド男爵家のルイスに決闘を挑み負けたようだね。



 茶会で散々ぶっ殺してやるだの叫んでいたけど、当のルイスはぴんぴんしているし、さっき君の兄の頬が酷く腫れているのを見たよ。



 本当に良いざまだね」



 グレイシアは彼の嫌味を聞いて、表情を変えずに受け流すことに努めました。



 もはやモリ―は、リリィと婚約する気など1ミリもなく、敢えて自分と一緒に踊り、不快感を露わにすることで憂さを晴らしたいのだとグレイシアは思いました。



 モリ―はその後も飽きずにグレイシアに嫌味を言い続けました。



 「この舞踏会は、所詮ダニエルとヴィオラのお披露目会にすぎませんよ。



 ダニエルは普段、社交の場にあまり姿を現さない癖に偉そうに主催者の息子として参加しているのが本当に気に入りません」



 グレイシアは辛抱強く相槌を打っていましたが、彼の言葉を受け流すために途中から頭の中で彼の母親の出来の悪いクッキーを想像することに努めていました。



 彼は大変恰幅が良かったものですから、彼の着ている水色のコートの留め具が今にもこちらに飛んでこないかグレイシアは心配していました。



 彼はまたも嫌味たらしく自身の学問に関する含蓄をつらつらと述べて、最後にグレイシアに意見を述べてきたものですから、彼女はヒューバートン男爵夫人の言う通りにただ黙って聞いているつもりでしたが、思わず本で読んだ知識を、そっくりそのままモリ―に話してしまいました。



 するとモリ―は急に、グレイシアに態度を変えてこう言いました。



 「リリィ。私はけして君を見下しているわけではないのですよ。



 私は君の母親や兄を見下しているのであって…それで、案外私達は気が合うと思いませんか?」



 グレイシアは、モリ―の食い入る様な目に思わず顔をそむけたくなりました。



 彼女は、愛想笑いも底をつきそうでしたし、今まで堪えていた苛立ちでネックレスの1つや2つ容易に破壊出来そうでした。



 曲が終わりグレイシアは恭しくモリ―に会釈してから、軽食をつまみにテーブルの方へ移動しました。



 なにせ、彼女は昨日から何も食べていません。



 コルセットでお腹は締め付けられていましたが、何でも胃に入れてしまおうと思っていました。



 テーブルの上には大皿が並べられ、様々な菓子やパンが置かれていましたが、どの皿も食べ物の数が少なくなっていました。



 グレイシアはその中でバターの香りのする、ふっくらと焼けたスコーンの乗った皿に目をやりました。



 皿のその美味しそうなスコーンは残り1個しか無かったものですから、自分の分は諦めてエリオットの分を確保しようと思いました。



 しかし、彼女がスコーンに手を伸ばしたその瞬間、なんと先に誰かから横からひょいっと取られてしまいました。



 グレイシアが驚いてすぐに相手の方を振り向くと、その人物はルーマス侯爵の息子のノアでした。



 彼はスコーンを手に取ると二つに割って、クリームやジャムをつけてグレイシアを横目に上品に食べ始めました。



 グレイシアは先を越されてしまい、唖然とした表情で彼を見ながら立ち尽くしていました。



 彼はあっという間にスコーンを食べ終わるとテーブルナプキンで口を拭きました。



 グレイシアは正直落胆していましたが、気を取り直そうと他の皿へ目をやりました。



 その時、ノアが何事もなかったかのようにこう話しかけてきました。



 「先に頂いてしまいすみません。あまりにも美味しそうだったものですから」



 彼は爽やかな笑顔を浮かべました。



 グレイシアは先にお菓子を食べられてしまいましたが、あまりの彼の上品で余裕のある佇まいに、困惑しました。



 「お気になさらず、他のものを頂きますから」



 そう言ってグレイシアは、今度はサンドイッチに目をやりました。



 彼女はノアの方に目をやりませんでしたが、彼がスコーンを食べたはずなのにその場を退かないのでグレイシアは内心苛立ちを覚えました。



 「グレイシア、いやリリィ様。


 

 ここで貴方と会えて嬉しいです。もしよろしければ僕とこれから踊っていただけませんか」



 なんと彼は微笑みを浮かべながら、丁寧にグレイシアをダンスに誘ったのです。



 菓子を食べ終わったノアと我先に踊ろうとテーブルの付近で待ち構えていた女性たちは、一気にグレイシアへ敵意のある視線を向けました。



 グレイシアはこの状況で断る方がおかしいですし、渋々その誘いに応じようと思いました。



 その時、ノアの背後から声がしました。



 「ごきげんよう。ルーマス侯爵の息子のノア様ですよね。私と踊って下さるかしら?」



 その品のある声の主は、なんと先程モーガンがあれほど踊りたがっていた他国から来た、ジルバラ伯爵の娘のヴィオラ・ディンキンスでした。



 彼女はドレスを変えたようで、金色の宝石の散りばめられたとても見事なドレスを着ていました。



 その姿は彼女自身の美しさも相まって見る者を圧倒しました。



 ノアは彼女に声を掛けられ言葉に困ったようで、グレイシアの方を見ました。



 その時、ヴィオラもグレイシアの方を見て微笑むと、グレイシアを頭の天辺からつま先までじろりと品定めするように見つめました。



 これにはグレイシアもいたたまれない気分になり、内心「もう勝手にしてくれ」と思い、すぐさま逃げるようにテーブルを後にしました。



* * *



 それから彼女はエリオットの姿を探していましたが、頭上から声の低い貴族の男性に声を掛けられ、グレイシアは食欲を押し殺して柔和に微笑み会釈しました。



 その後もグレイシアは、様々な貴族と意見を交わしながらダンスを踊っていて、軽食をすっかり食べ損ねていました。



 グレイシアは菓子を逃した後に声を掛けてきた相手がまさか、ノアの父親の偉大なるルーマス侯爵であるとは知りませんでしたし、いつの間にか他国のヴィオラ嬢の父親のジルバラ伯爵にも声を掛けられ、話をしていました。



 なぜなら、グレイシアの美しい凛とした佇まいや、何を言われても動じないその丁寧な受け答え、とても上手なダンスがいつの間にか様々な貴族の目に留まっていたのです。



 ですが彼女は声を掛けてくる貴族が誰かなど到底分かりませんし、やたらと話しかけられるなとしか思いませんでした。



 なにせ、彼女は慣れないことをして心身ともに疲れ果て、エリオットと菓子を頬張りながら休みたいと頭の隅でずっと考えていたからです。



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