愛のカタチ
「あっ!!そうだ。ちょっとスーパー寄って」
車が走り出してすぐ、由美子が言い出した。
「は?スーパー?」
「そ。買いたいものあった」
「……はいよ。何処?」
「エー」
……何時も行くAマート、そんな事も分からないの?と切り捨てられたかのような返事に、亘は急に現実に引き戻された気分になった。
由美子は自分の手を握る亘の手をシフトレバーへと退けると、再びバッグの中を確認し、小さな赤いポーチを取り出した。更にそこからファンデーションのパクトを取って中を開く。鏡で顔を確認すると、車に常備されているティッシュで顔を押さえ、口をしっかり拭ってからファンデーションで顔を整えていく。その後ポーチからグロスを取り出すと、ほんの少し赤みがかった艶を唇に軽く乗せる。それは亘の為になどではなく、由美子自身の為でしかなかった。
由美子は確信してしまったのだ。やはり無理だ、と。
もしかしたら、大丈夫かもしれない……唇が重ねられる直前にはそんな、自分へのある種期待にも似た気持ちが芽生えていたが、あっけなく覆された。重なった唇に嫌悪感こそ無かったが、自分はもう、母親でしかなくなってしまった。それなのに、亘は20年前と何も変わっていない、という事に気付が付いた。
付き合っているだけの時、結婚して間もない時、ケンカをして仲直りをした直後には決まって求めてきた亘。仲直りをしたと言っても、まだ気持ちが収まり切らないでいるのに、何故そんな気になるのか分からずにいたが、何となく押しきられ、受け入れてしまっていた……あの当時。それが愛だと思い込んでいた。
亘は、あの当時のままだ。何も成長などしていない。
家族を大事にしていると言った。これからは私の事を考えると言った。そんな言葉を信じられるだろうか?
『全力で幸せにする。悲しませるような事はしない』そんな言葉、プロポーズは、ちょっとしたケンカの後に言われたものだった。
きっと覚えてなんかいないだろう。その瞬間でしか考えてなどいないのだ。……では自分はどうなんだ?
“愛してる”
そう、思えたのは何時までだっただろう。確かにそう、思っていたはずなのに、いつの間にか無くなっていた。
そんなものは、生活していく中で必要無くなってしまった。というよりはそれを、何時からか“家族を守る”と言う大義名分に置き換えて、結局はお互い自分を守っていただけだと、由美子は自分で自分に結論付けた。
だからこそ、由美子は決意する。この手にしがみついていく、と。それが自分なりの愛のカタチなのだと。シフトレバーに置き直した亘の手の甲を2回ほど叩き、亘の顔を確認する。何も分かってはいないだろう亘は穏やかな微笑みを由美子に向けたが、由美子はそれを薄ら笑いで受け止める事しか出来なかった。
スーパーまでおよそ20分位の間、亘は佳那への別れの言葉を探していた。ラジオから流れるDJの陽気な口調は耳障りでしかなかったが、無音の車内よりはマシかと思われ、そのままにした。
“これからは、夫婦でやり直してみるよ”
“今までありがとう。あれは本気だったの?嬉しかったけど、期待に応える事は出来ないんだ。ごめん”
“佳那に出逢えて良かったよ。本当に、そう思ってる。だけどもう、逢うのはやめよう”
佳那が納得してくれそうな言い回しが、浮かんでは消え浮かんでは消え、と繰り返すうちに、耳障りだったラジオはいつの間にかDJが代わっていて、あっと言う間にスーパーに到着した。
そうまずは、佳那とのケジメをつけなければならない。由美子が買い物をする間、亘は車で待機している事を告げると、由美子もその方がいいようで、車を降りるとひとりで駐車場からスーパーの方へと歩き出していく。
車でひとり、考えた。
携帯を取り出し佳那とのトークルームを確認する。まるで付き合いたてのカップルのような会話……などではなく、事務的で素っ気ない言葉ばかりが交互に続く。そんなやり取りを見ていたら、別れの言葉も簡潔で良いのかも知れない、そんな風に思われて、亘は今までのような、事務的なメッセージを送る。
“もう、会う事は出来ません。”
“今までありがとう。”
ここに愛などはない。愛のない体だけの関係。不毛だろうか。
が、そんなものに頼ってしまうほど、無意識のうちに追い詰められていたのだ。そう亘は自分に言い訳をしながら、携帯を伏せた。




