第5話「おしゃべりな黒狼さんと、森で出会った三人の子供たち」
︎︎ すると、狼さんは呆れたような視線を私に向け、深々とため息をついた。
『……まったく、騒がしい小娘だ』
「ひゃあっ! ま、またしゃべったぁぁぁっ!?」
『だから、いちいち騒ぐでない!!』
「は、はいぃ〜……!」
私は思わず両手で口を覆った。
いやいやいや! ちょっと待って!
今までずっと、普通の狼だと思っていたのに!
まさか、まさか……この世界の狼って、みんな普通にしゃべれるの!?
いや、そんなわけないよね!?
頭の中がぐるぐると混乱する。
それとも、狼さんが特別な狼なの?
私は恐る恐る、狼さんの金色の瞳を覗き込んだ。鋭い眼差しに思わず圧倒されそうになりながらも、気になって仕方がない疑問を口にする。
「つ、つかぬことをお聞きしますが……お、狼さん。な、なんで喋れるんですか?」
恐る恐る尋ねると、目の前の狼はふんっと鼻を鳴らした。
『人間如きの言葉など容易く話せるわ!』
さも当然といった様子で、狼は誇らしげに胸を張った。その堂々たる態度に、私はぽかんと口を開けた。
いや、そこは誇るところなの!?
私は心の中で思わず突っ込んだ。
どうやら、この狼さんはただの狼ではないらしい。むしろ、普通の狼だと思っていたこと自体が間違いだったのかもしれない。
うーん……でも、しゃべれる狼なんて、ファンタジーの世界では珍しくないのかな?
そんなことを考えていると、ふと、あることを思い出した。
――そういえば、今はこんなことをしている場合じゃない! 子供たち!
私ははっとして、黒狼さんから三人の子供たちへと視線を移した。そこには三人の子供たちが身を寄せ合うように座り込んでいた。
一人は、紺色の髪に金色の瞳をした少年。少し大人びた雰囲気で、警戒するように私をじっと見つめている。
その隣には、長い金髪を大きなリボンで結んだ少女がいた。緑色の瞳をした可愛らしい子で、戸惑いながらも好奇心旺盛に、少年の後ろからこちらを覗き込んでいた。
そして、もう一人は、明るい金髪に緑色の瞳をした少年。元気いっぱいな印象だけれど、今は少し不安そうに、二人の様子を窺っていた。
……ううっ、無理もないよね。
突然、恐ろしい猪に襲われたんだもの。知らない人が近づいてきたら、警戒しちゃうのも当然だ。
私は怖がらせないように、少し離れた場所でそっとしゃがみ込んだ。
今は、自分のことよりも、この子たちの心配をするのが先だ。
私は小さく頷くと、三人を怖がらせないように、そっと表情を和らげた。
「大丈夫だよ。私はみんなに何もしないからね」
しかし――よく見ると、三人の子供たちは身なりがよかった。
上質な布で仕立てられた服は、どれもきちんと整えられている。ただ、森の中を長い間さまよい続けていたのか、裾や袖口にはうっすらと土埃がつき、ところどころに小さな汚れが見受けられた。
それでも、服そのものはしっかりとした作りで、普段から大切に扱われていることが伝わってくる。
……うーん。どう見ても、普通の子供たちには見えないんだけど。
もしかして、どこかのお屋敷のお坊ちゃんやお嬢様なのかな?
この子たちは、どうしてこんな森の奥にいたんだろう?
キョロキョロと周囲を見回してみたけれど、人の姿は見当たらなかった。
「ねえ、みんな。お父さんやお母さんは? 一緒じゃないの?」
私が尋ねると、三人は途端に顔を曇らせた。互いに顔を見合わせ、どう答えればいいのか迷っているようだった。
やがて、紺色の男の子が俯きながら、小さな声で答えた。
「……わからない」
「……えっ?」
思いがけない返事に、私は思わず聞き返した。紺色の男の子は困ったように眉を下げ、俯いてしまった。
「俺たち、さっきまで家の庭で遊んでたのに……。気がついたら、ここにいた……」
その子は俯き、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「どうして、こんなことになったのか……俺、わからなくて……」
最後の言葉は、今にも消えてしまいそうなほど小さかった。
紺色の男の子の言葉を聞いて、私はそっと二人の顔を見つめた。
金髪の女の子も、今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。隣にいる小さな男の子も、女の子の服をぎゅっと握りしめている。
どうやら、三人とも自分たちがどうして森にいるのか、分からないらしい。
「そっか……。怖かったよね」
私は三人を安心させるように、そっと微笑みながら、できるだけ優しく声をかけた。
「……ぼく、こわかったぁ……っ」
年下の男の子の大きな瞳から、ぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「うっ……ふぇぇぇん……!」
とうとう堪えきれなくなったのか、彼は声を上げて泣き出した。
すると、それにつられるように、女の子の瞳にも涙が浮かぶ。
「わ、わたしも……こわかったぁ……!」
それまで必死に気丈に振る舞っていた彼は、彼女の言葉を聞いた途端、ぎゅっと顔を歪めた。
「……っ、俺だって……こわかった……!」
ぽろぽろと、大粒の涙が頬を伝い落ちる。
「でも……俺が、しっかりしなきゃって……っ!」
彼は小さな手で涙を拭おうとしたけれど、次から次へとあふれる涙は止まらなかった。
「うわぁぁぁん……!」
とうとう堪えきれなくなって、声を上げて泣き出した。
きっと、ずっと我慢していたのだろう。
自分だって怖くて、心細くて、どうしたらいいのか分からなかったはずなのに。
それでも、年下の二人を守ろうと、必死に我慢していたのだろう。
「……そっか。いっぱい怖い思いをしたんだね」
私はそっと三人に近づき、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「もう大丈夫だよ。今は、私がいるからね」
そう言って、私は三人を優しく抱きしめた。
小さな身体から伝わってくるのは、言葉にできないほどの不安と、ずっと張り詰めていた心の緊張だった。
「うっ……ひっく……」
「……おねえちゃん……」
三人は私の服をぎゅっとつかみ、安心を求めるように身を寄せてきた。
私はその小さな背中を、ゆっくりと撫で続ける。
三人の子供たちは、私の腕の中で、ずっと我慢していた気持ちを吐き出すように思いきり泣いた。
「うわぁぁぁん……っ!」
「こわかったよぉ……!」
「うっ……ひっく……」
小さな手で私の服をぎゅっと握りしめ、しゃくり上げながら泣き続ける三人。
私は何も言わず、ただ優しくその背中を撫でてあげた。
「うん、うん。もう大丈夫だよ。いっぱい泣いていいからね」
怖かったことも、不安だったことも、今は全部吐き出してしまえばいい。
この子たちは、まだ幼いのだ。
ふと周囲を見渡すと、鬱蒼と茂る木々がどこまでも続き、頭上を覆う枝葉の隙間から、淡い木漏れ日が差し込んでいた。
風が吹くたびに葉擦れの音が響き、遠くから鳥のさえずりが聞こえてくる。けれど、少し奥へ目を向ければ、草木が生い茂り、先の見えない森が広がっていた。
こんな場所で、幼い子供たちだけで過ごしていたなんて……。
どうして森にいたのかも分からず、頼れる大人もいない。そんな状況で、どれほど心細い思いをしたのだろう。
そう考えると、胸がきゅっと締めつけられた。
◇◇◇
しばらくして、ようやく三人の泣き声が少しずつ小さくなっていった。
「……ひっく……」
「……ぐすっ……」
私は三人の顔をそっと覗き込むと、ポケットからハンカチを取り出し、涙や頬についた泥を優しく拭き取ってあげた。
「少し落ち着いたかな?」
三人は涙で濡れた顔をこくりと縦に振った。
「じゃあ、まずは自己紹介しよっか! 私の名前は結衣だよ! みんなのお名前と歳を教えてくれる?」
「えっと……俺は、アルヴィス。八歳です」
最初に口を開いたのは、紺色の髪に金色の瞳をした男の子だった。少し緊張した様子ながらも、私の目を見て、しっかりと名乗ってくれた。
「わたしは、リゼット 六歳なの……」
続いて、リボンで長い金髪を結んだ女の子が、にこっと笑って自己紹介してくれた。
「ぼくは、ルカ……。四しゃいでしゅ」
最後に、幼い金髪の男の子が、たどたどしい口調で自己紹介した。
「みんな、素敵なお名前だね! 教えてくれてありがとう!」
私は微笑みながら、三人にそう伝えた。
すると、三人の顔に、ようやく小さな笑顔が浮かんだ。
よかった……。
私はほっと胸を撫で下ろした。
そのとき、アルくんが私の後ろに視線を向けた。
「うん?」
アルくんの視線を辿るように振り返り――私は、ちょこんとお座りしている黒狼さんの存在をすっかり忘れていたことに気づいた。
やば……! せっかく打ち解けてくれたのに、また怖がらせちゃう……!
「ノクティルヴォルフ……?」
アルくんが、黒狼さんの姿を見つめながら、驚いたように目を見開いた。
あれ……?
怖がるどころか、興味津々……?
私は思わず目をぱちくりさせた。
「本で読んだことがあるよ。めったに姿を現さない伝説の魔獣なんだって! すっごく強くて、森の王様みたいなんだよ!」
アルくんは、目をきらきらと輝かせながら、興奮した様子で黒狼さんを見つめていた。
まるで、ずっと憧れていた伝説の魔獣に出会えたことが、嬉しくてたまらないといった様子だった。
……えっと、ノクティルヴォルフって、そんなにすごい魔獣だったんだ……。
私は思わず、隣にいる黒狼さんへと視線を向けた。
「そ、そんなにすごい魔獣なんですか?」
『無論だ』
黒狼さんは誇らしげに胸を張り、ふさふさの尻尾をゆったりと揺らした。
ただの大きな狼さんだと思っていたのに、まさかそんなにすごい存在だったなんて!
「「「しゃべったぁ!?」」」
三人の声が、森の中に響き渡った。
……うん。
今度こそ、怖がらせちゃったかもしれない。
私は恐る恐る三人の顔を覗き込んだ。
ところが――。
「すごーい! わんわん、おしゃべりできるんだ!」
「かっこいい……!」
「わんわん、しゅごーい!」
あ、あれ〜……?
三人は怖がるどころか、ますます目を輝かせていた。
「ねえ、触ってもいい? ふわふわしてそう!」
「ぼく、わんわんにのるぅ!」
『誰がわんわんだ! 我は誇り高き――』
もふっ。
「わあっ! ふわふわだぁ!」
『話を最後まで聞かんかぁぁぁ!』
リゼちゃんが、黒狼さんの毛並みに両手を埋めた。
その瞬間、黒狼さんの耳がぴくりと動く。
『……あっ! こ、こら! 勝手に触るでない!』
「わあ、気持ちいい!」
『聞いておるのか!?』
「ぼくも! ぼくもさわりゅ!」
ルカくんも負けじと駆け寄り、黒狼さんの前脚にぎゅっと抱きついた。
『なっ……!? お、おい! そちらからも来るでない!』
黒狼さんは慌てて身をよじる。
しかし、右に逃げればリゼちゃんが追いかけ、左に逃げればルカくんが待ち構えている。
……あれ?
これって、もしかして……。
完全に、逃げ場がないのでは?
「わあっ、尻尾もふわふわ!」
「ぼく、こっち!」
『尻尾はやめんか! そこは我の自慢の――ああっ! 引っ張るでない!』
ぶんぶん、ぶんぶん。
黒狼さんの尻尾が、抗議するように大きく揺れた。
……いや、黒狼さん。
そんなに尻尾を振ったら、余計に子供たちが喜んじゃいますよ?
「わあ! 尻尾が動いた!」
「ぼくもさわりゅ!」
『しまったぁぁぁ!』
……うん。
どうやら、この狼さん。
見た目ほど怖くはないらしい。
少なくとも、子供たちにとっては。
私は思わず、くすっと笑みをこぼした。
さっきまで、あんなに恐ろしかった黒狼さんなのに。
今ではすっかり、子供たちに振り回される苦労人に見えてしまう。
……ふふっ。
なんだか、ちょっとかわいいかも。
そんなことを考えていると、隣にいたアルくんが、困ったように小さく息を吐いた。
「……リゼ、ルカ。あんまり困らせるなよ」
「だって、お兄ちゃん! この狼さん、すっごくふわふわなんだもん!」
「そうだよ! わんわん、あったかい!」
『だから、わんわんと呼ぶなぁぁぁ!!』
黒狼さんの悲痛な叫びが、森の中に響き渡った。
……うん。
やっぱり、怖い狼さんというより、子供たちに弱い狼さんなのかもしれない。
◇◇◇
思う存分もふもふを堪能したのか、二人はすっかり満足した様子で、ニコニコと笑っていた。
――しかし。
肝心の黒狼さんはというと……。
『…………』
自慢の毛並みは、二人に撫で回されたせいですっかりボサボサになっていた。
黒狼さんは不機嫌そうに耳をぺたりと伏せ、じとーっとした目で二人を見つめている。
……うん。ものすごーく、ご機嫌ななめだ。
黒狼さんは小さく息を吐くと、疲れたように目を細めた。
『……ふぅ。まったく、骨の折れることだ』
「お疲れ様です」
私は苦笑しながら、すっかり乱れてしまった黒狼さんの毛並みを見つめた。
……あとで、ちゃんと元に戻るといいんだけど。
そんなことを考えていると、黒狼さんがふいに私へと視線を向けた。
『ところで、小娘。お主はこれからどうするつもりだ?』
黒狼さんは金色の瞳を私に向け、静かに問いかけた。先ほどまでの疲れた様子とは打って変わって、その眼差しにはどこか真剣な色が浮かんでいる。
私は少し考えてから、そっと三人の子供たちへと視線を移した。
「私は、できれば、この子たちを親のもとへ帰してあげたいんです」
まだ幼いこの子たちを、いつまでも森の中にいさせるわけにはいかない。まずは無事に家族のもとへ送り届けてあげたい。
すると、黒狼さんは何かを考えるように、金色の瞳を細めた。
『……なるほど。ならば、その前にひとつ聞いておこう』
先ほどまで子供たちに振り回されていた黒狼さんが、ふいに真顔になった。
金色の瞳が、まっすぐに私を捉える。
『小娘。お主、自分が何者なのか……本当にわかっておるのか?』
「……え?」
思いがけない問いに、私は目を瞬かせた。




