第6話「美味しいごはんには、不思議な力があるらしい」
何者、と言われても……。
私は自分の姿を見下ろし、首を傾げる。
「私、こう見えて料理人ですけど……」
『……料理人?』
黒狼さんの眉間に、深い皺が寄った。次の瞬間、ぐいっと顔を近づけられる。
「わっ!?」
突然のことに、私は思わず仰け反った。金色の瞳が、すぐ目の前にある。
……ち、近いです、黒狼さん!
『ふむ……』
黒狼さんは私の顔をじっと見つめたあと、何かを確かめるように目を細めた。
その金色の瞳が、淡い光を帯びたように見えたのは気のせいだろうか。
『……なるほど。確かに、偽りではないようだな』
「えっ?」
『鑑定スキルで確認した。お主の職業は、確かに料理人となっておる』
「か、鑑定スキル……?」
聞き慣れない言葉に、私は思わず首を傾げた。
鑑定スキルなら、私も持っている。でも、私の鑑定スキルは食材限定なんだよね。
人の職業や能力までわかるなんて、すごいなぁ……。
同じ鑑定スキルでも、ずいぶん違うんだなぁ。
いや、それよりも。
黒狼さんは、どうして私の職業を確かめる必要があったんだろう?
『しかし……解せぬ』
黒狼さんは顔を離すと、難しそうに唸った。
『料理人という職業でありながら、何故お主は瘴気を浄化できるのだ?』
「えっ? しょ、しょうき……とは?」
思わず聞き返すと、黒狼さんはますます不思議そうに目を細めた。
『……知らぬのか?』
「は、はい……。すみません。私、この辺りのことには詳しくなくて……」
そもそも、気がついたら森の中にいたのだ。
この世界の常識なんて、知っているはずもない。
けれど、黒狼さんは私の言葉に納得するどころか、ますます不可解そうに首を傾げた。
『ふむ……。瘴気とは、人や土地、魔獣をも蝕む、穢れし魔力のことだ』
「穢れた……魔力?」
『うむ。だが、瘴気の恐ろしさは、土地や生き物を蝕むだけにとどまらぬ』
ノクティルヴォルフは、金色の瞳をわずかに細め、低く重みのある声で語り始めた。その声音には、長い年月を生きてきた者ならではの厳かさが滲んでいた。
『長い年月をかけて大地に蓄積した瘴気は、やがて意思を持つかのように集まり、異形の魔物を生み出すことがある』
「瘴気そのものから、魔物が生まれるんですか……?」
『うむ。そうして生まれた魔物は、通常の魔獣とは異なる。身体の大半が瘴気で構成されており、周囲にさらなる穢れを撒き散らすのだ』
私は思わず息を呑んだ。
瘴気が土地を蝕み、魔物を生み出す。そして、その魔物が新たな瘴気を撒き散らす……。
そんな悪循環が続けば、やがて森全体が瘴気に呑まれてしまうかもしれない。
『ゆえに、瘴気を浄化する力は貴重なのだ。放置すれば、被害はさらに広がっていく。……かくいう我も、危うく瘴気に呑まれるところであった』
「えっ……!?」
思いがけない言葉に、私は目を見開いた。
黒狼さんは静かに目を伏せ、己の身体を見下ろした。
『長き時を生きてきた我とて、瘴気の影響を完全に免れるわけではない。あのまま蝕まれ続けていれば、いずれ理性を失い、異形へと堕ちていたやもしれぬ』
そんな恐ろしいものが、この世界には存在するんだ……。
瘴気に侵された土地。そこから生まれる異形の魔物。そして、さらに瘴気を撒き散らす魔物たち。
考えれば考えるほど、背筋がぞくりとした。
「で、でも……。黒狼さんは、もう大丈夫なんですよね?」
心配になって尋ねると、黒狼さんは金色の瞳を細めた。
『うむ。お主の料理とやらを食べてから、身体を蝕んでいた瘴気はすっかり消え失せた。今はこのとおり、力も戻っておる』
そう言って、黒狼さんは前脚を踏みしめると、確かめるように首を軽く振った。
その動きには、先ほどまでの重苦しさは感じられない。金色の瞳にも、力強い輝きが戻っていた。
「よかったぁ……! すっかり元気になってくれたんですね!」
ついさっきまで、あんなに苦しそうにしていたのに。今はすっかり元気になったみたいで、本当によかった。
私の作ったおにぎりが、少しでも役に立てたのなら嬉しいな。
黒狼さんは、そんな私をじっと見つめていたが、やがてふっと息を吐いた。
『……お主、本当に不思議な人間だな』
「えっ? そ、そうですか?」
『自分の料理がもたらした力を理解しておらぬというのに、我が回復したことを、ただ素直に喜ぶとは……』
黒狼さんは呆れたように呟くと、何かを考え込むように、ゆっくりとその場に腰を下ろした。
――その瞬間。
きゅるるる……
静まり返った森の中に、なんとも可愛らしい音が響き渡った。
「…………え?」
私は思わず、きょとんと目を瞬かせた。
後ろを振り向くと、三人の中で一番年下のルカくんが、しゅんとした様子でうつむき、お腹を押さえていた。
「おなか、しゅいた……」
そして、ルカくんが呟いた同時に――。
ぐきるるぅ……
今度はアルくんとリゼちゃんのお腹からも、盛大な音が鳴り響いた。
二人ははっとしたように顔を見合わせると、みるみるうちに頬を赤く染めた。そして、恥ずかしそうにうつむきながら、それぞれのお腹をそっと押さえた。
「ご、ごめんなさい……。俺たち、朝からずっと何も食べてなくて……」
アルくんは申し訳なさそうに眉を下げ、遠慮がちに謝った。その声は、どこか消え入りそうに小さかった。
ふと、木々の隙間から差し込む光が、いつの間にか茜色に染まっていることに気づいた。夕暮れを迎えた森は、木々の梢を赤く照らし、長く伸びた影が地面を覆い始めていた。昼間の明るさは薄れ、あたりには少しずつ静かな夕闇が迫っている。
そういえば、この子たちは森の中を逃げ回っていたんだもの。お腹が空いて当然だよね。
私は胸がきゅっと締めつけられるのを感じながら、三人に向かって微笑んだ。
「謝らなくていいんだよ。いっぱい頑張ったんだもんね。今から私が、おいしいご飯を作るから、ちょっと待っててね!」
「「「……え?」」」
そう声をかけると、三人は少し驚いたように私を見つめた。
まぁ、そりゃそうだよね。こんな森の奥で、道具も食材もないんだもの。不思議に思っても仕方がない。
ふふふ。しかし、これでも私は料理人! こんな状況だって、なんとかしてみせますとも!
私は心の中でそっと意気込みながら、さっそく調理に取りかかることにした。
ふと、私はあるものに視線を向けた。
「黒狼さん。あの猪もらってもいいですか?」
私が指差した先には、先ほど黒狼さんが倒した大きな猪が横たわっていた。
立派な体つきに、ずっしりとした肉付き。あれだけ大きければ、三人のお腹を満たすのに十分な量のお肉が取れそうだ。
せっかくなら、この猪のお肉を使って、みんなが喜ぶ料理を作ってあげたい。
すると、黒狼さんは金色の瞳を細め、猪へと視線を向けた。
『別に構わぬが、何をするつもりだ?』
「それは、できてからのお楽しみです♪」
さて、何を作ろうかな?
せっかく新鮮なお肉があるんだもの。やっぱり、お肉のおいしさを存分に味わえる料理がいいよね!
気合いを入れて袖をまくると、まずは猪肉の状態を確認することにした。……。
食材の状態を調べるなら、あのスキルの出番だね!
いくら猪とはいえ、この世界では食べられない可能性もある。念のため、確認しておこう……。
「【食材鑑定】!」
私は猪肉に向かって、そっとスキルを発動させた。
すると、目の前に半透明の表示が浮かび上がった。
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■ファングボア
種別:魔生物(猪系)
危険度:Bランク
性格:気性が荒く、敵を見つけると勢いよく突進してくる。鋭く発達した牙を持ち、縄張りに侵入した相手には容赦なく襲いかかる。
肉質:やや硬めだが、脂がよくのっており、旨味が強い。
味:濃厚な旨味と脂身の甘みが特徴。焼くと香ばしい風味が広がり、ジューシーな味わいを楽しめる。
食用:可
主な食材:ファングボアの肉
《ファングボアの肉》
ファングボアから採れる食用肉。
野山を駆け回る大型の魔生物であるため、肉質はやや硬めだが、その分、濃厚な旨味を蓄えている。
脂身には甘みがあり、焼くと香ばしい風味とともに肉汁があふれ、食べ応えのある味わいになる。
下処理を丁寧に行うことで臭みが抑えられ、肉本来の旨味をより一層引き出せる。
煮込み料理にすると肉が柔らかくなり、脂の甘みと旨味がスープに溶け出すため、ハンバーグやシチューなどにも適している。
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よかった! ちゃんと食べられるお肉だ!
私はほっと胸を撫で下ろした。さて、何を作ろうかな? せっかくお肉があるんだもの。みんなが喜んでくれるような、おいしい料理を作りたい。
……なんて考えていた、そのとき。
「……あの、ユイお姉ちゃん」
遠慮がちに声をかけられ、私は三人の様子が気になって、そちらへと視線を向けた。
「ん? どうしたの、アルくん?」
「えっと……その……」
アルくんもリゼちゃんも、ファングボアのお肉を見つめながら、どこか浮かない顔をしている。ルカくんに至っては、私の後ろに隠れるようにして、猪からそっと目を逸らしていた。
「あれ? みんな、どうしたの?」
私が尋ねると、アルくんは少し言いにくそうに口を開いた。
「……あのね、ユイお姉ちゃん。魔生物のお肉って、あんまりおいしくないんだ」
「えっ? そうなの?」
「うん。すごく硬いし、変なにおいもするから……。食べられないわけじゃないけど、好きじゃない人が多いんだよ」
アルくんの言葉に、リゼちゃんもこくりと頷いた。
「わたしも、あんまり好きじゃないの……。前に食べたときも、においが気になって、残しちゃったんだ」
「おにく、くしゃい……」
ルカくんも小さな鼻をつまみながら、ぽつりと呟いた。
……なるほど。
どうやら、この世界では魔生物のお肉は不人気らしい。
私は改めて、目の前のファングボアを見つめた。
確かに、食材鑑定の結果には、肉質はやや硬めと書かれていた。けれど、脂がのっていて旨味も強く、丁寧に下処理をすれば臭みを抑えられるとも記されている。
それなのに、どうしてみんな、そんなに苦手なんだろう?
ふと、私はあることに気づいた。
……もしかして、この世界の人たちは、お肉の下処理をきちんとしていないんじゃないかな?
もちろん、実際に見たわけではないから、まだ断言はできない。
でも、もしそうなら――。
臭みの原因を取り除かず、硬いお肉をそのまま調理している可能性だってある。
それでは、せっかくの食材がもったいない!
お肉だって、きちんと下処理をして、調理方法を工夫すれば、もっとおいしくなるはずだ。
そう考えた瞬間、私の胸の奥で、ふつふつと何かが湧き上がってきた。
……これは、料理人として見過ごせない!
「ふふふ……」
「……ユイお姉ちゃん?」
突然笑い出した私を見て、アルくんが不思議そうに首を傾げた。
「あっ、ごめんね! ちょっと考え事をしていたの」
私は慌てて取り繕ったものの、心の中ではすっかりやる気に火がついていた。
いいでしょう!
そこまで魔生物のお肉が苦手だというのなら、私がそのイメージを覆してみせますとも!
料理人としての腕が鳴るというものだ。
おいしい料理を作るためなら、手間を惜しむつもりはない。
それに、せっかく目の前に立派な食材があるのだ。おいしく食べられる方法があるのなら、ぜひとも試してみたい。
「みんな、ちょっと聞いてね!」
私は三人の目線に合わせるように、少しかがんだ。
「魔生物のお肉って、ちゃんとお料理すれば、きっとおいしくなると思うんだ!」
「ほ、本当に……?」
アルくんが、半信半疑といった様子で聞き返した。
「うん! だから、私に任せて!」
そう答えると、リゼちゃんが不安そうに尋ねた。
「でも……おいしくなかったら、どうするの?」
「そのときは、別のお料理を考えるよ! みんなに無理して食べてほしいわけじゃないからね」
私がそう言うと、三人は顔を見合わせた。
やがて、アルくんが小さく頷いた。
「……わかった。ユイお姉ちゃんを信じてみる」
「ありがとう、アルくん!」
私は嬉しくなって、思わず笑顔になった。
さて、そうと決まれば、さっそく調理開始だ!
まずは、ファングボアのお肉を丁寧に下処理して、臭みを取り除こう。それから、肉質に合わせた調理方法を考える。
硬いお肉なら、細かく刻んだり、じっくり煮込んだりするのもいい。
でも、今回は子供たちが食べるものだし、できるだけ早く、おいしく仕上げたい。
うーん……。
お肉の旨味を活かしながら、柔らかく、食べやすくするには……。
私は頭の中で、いくつものレシピを思い浮かべた。
そして、ひとつの料理が脳裏に浮かぶ。
「……よし! 決めた!」
思わず声が弾んだ。
せっかくなら、子供たちが喜んでくれるような料理にしよう。
ファングボアのお肉を使った、とびきりおいしいご飯を!
私は気合いを入れて袖をまくり直すと、黒狼さんへと顔を向けた。
「黒狼さん! 少しだけ、お肉を使わせてもらいますね!」
『うむ。好きにするがよい。……しかし、そこまで意気込むほどのものなのか?』
「もちろんです!」
私は胸を張って答えた。
「だって、食材をおいしくするのが、料理人のお仕事ですから!」
黒狼さんは、しばらく私を見つめていた。
やがて、金色の瞳を細め、興味深そうに呟いた。
『……ほう。ならば、お主の腕前を見せてもらおうか』
「はい! 期待していてくださいね!」
私は元気よく返事をすると、さっそく調理の準備に取りかかった。
夕暮れの森に、私の料理人魂が静かに燃え上がる。
――待っていてね、みんな。
魔生物のお肉だって、こんなにおいしくなるんだって、きっと驚かせてみせるから!




