第3話「小さなおにぎりと傷ついた狼」
あれから私は、お米に似たライシアを取れる分だけ【食材採取】を使ってライシアを集めた。
穂先に実ったライシアが、次々と手元へ集まっていく。しゃがみ込みながら状態を確かめると、どれもふっくらと実が詰まっているようだった。
まだ青みの残ったものや傷んだものを避け、十分に熟したものを選んでいく。
やがて、両手で抱えられるほどのライシアが集まった。
採りすぎていないことを確認すると、私は集めたライシアを抱えて立ち上がった。
そして【夢幻厨房】を発動し、森の中に調理場へと続く扉を出現させた。
簡素な調理台の上へライシアをそっと置いた。【食材採取】は、食材を集めるためのスキル。
ならば次は、集めたライシアを料理に使える状態へ整える番だ。
私はライシアに手を添え、【食材下処理】を発動した。
すると、ライシアの穂から実が一粒ずつ外れ、表面を覆っていた硬い殻がするりと剥がれていく。
殻が取り除かれると、中から白くつややかな実が現れた。
私はさっそく、白くなったライシアを水で洗うことにした。
ボウルにライシアを入れ、水を注ぐ。指先で優しくかき混ぜると、水が白く濁っていく。
粒を潰さないように力加減に気をつけながら、何度か水を替えていく。
最初は白く濁っていた水が、少しずつ透明になっていった。
粒を指先でそっと確かめると、表面はなめらかで、欠けているものもほとんどない。
粒の大きさも揃っているし、見た目からして炊き上がりが期待できそうだ。
水を替えるたびに、ライシアの白さがいっそう際立っていく。
これは、炊き方次第でふっくらとしたご飯になりそう。
そんなことを考えながら、最後にきれいな水を加えて水加減を整える。
そしてライシアを炊飯器へ移し、蓋を閉じた。
炊飯ボタンを押すと、炊飯器が小さく音を立てて動き始める。
あとは、炊き上がるのを待つだけだ――。
――ピーッ♪ ピロリロリン♪
【夢幻厨房】の中に、炊飯器から炊き上がりを知らせる可愛らしい音が響いた。
「えっ……もう?」
私は思わず時計を確認する。やっぱり、炊飯を始めてからまだ一分ほどしか経っていない。
「【夢幻厨房】って、本当にすごい……」
一分しか経っていないのに、もう炊き上がったなんて。
私は驚きながらも嬉しくなって、炊飯器の前まで駆け寄った。そして、蓋に手をかけ、ゆっくりと持ち上げる。
ふわぁ……。
蓋を開けた瞬間、白い湯気がふわりと立ちのぼった。
「わぁ……!」
ふっくらと炊き上がったライシアが、湯気の向こうでつやつやと輝いている。
ほんのり甘く、香ばしい香りが広がり、思わず深く息を吸い込んだ。
しゃもじでそっと混ぜてみると、粒が潰れることなく、ふっくらとした柔らかな感触が伝わってくる。
見た目も香りも、まるで炊きたてのお米そのものだ。
炊き上がったライシアを見つめながら、ちゃんとご飯になったことが嬉しくて、胸が弾んだ。
「いい匂い……。ちゃんと、ご飯になった……!」
思わず頬が緩んでしまう。
異世界に来てから、初めて食べるライシアのご飯。どんな味がするんだろう。この香りを嗅いでいると、なんだか無性におにぎりが食べたくなってくる。
梅干しを入れた梅おにぎりや、焼いた鮭をほぐして混ぜた鮭おにぎり。
そんな定番のおにぎりが頭に浮かんだけれど――。
今の私の手元には、梅も鮭もない。
「仕方ないよね。今あるもので作ろうっと」
そう呟いて、先ほど採取した岩石塩を取り出した。
具材がなくても、炊きたてのご飯なら、その美味しさを十分に味わえるはず。
両手を水で軽く濡らし、炊きたてのライシアを適量手に取る。
そこへ岩石塩をほんの少し振りかけ、粒を潰さないように優しく包み込む。
手のひらでふんわりと形を整えながら、三角形に握っていく。
ほかほかの湯気とともに、ライシアの甘い香りがふわりと広がった。
梅も鮭もないけれど――。
今は、この真っ白な塩おにぎりが楽しみで仕方なかった。
やがて――。
「できあがり♪」
大皿の上には、真っ白な塩おにぎりが十個。形を整えてきれいに並べると、思わず嬉しくなってしまう。
「うん、いい感じ!」
私は大皿を眺めながら、期待に胸を膨らませた。
梅も鮭もない。
それでも――。
今は、この炊きたての塩おにぎりが楽しみで仕方ない。
「せっかくだし、景色のいいところで食べたいなぁ」
どうせなら、綺麗な景色を眺めながら、ゆっくり味わいたい。
そんなことを考えながら、私は【夢幻厨房】の出入り口へと向かった。
扉の前に立ち、ドアノブに手をかける。
「どこか、いい場所があるといいな……」
そう呟きながら、ゆっくりと扉を開いた。
すると――。
「……えっ?」
目の前に広がっていたのは、先ほどまでいた森とは少し違う景色だった。
透き通った小川が、さらさらと心地よい音を立てながら流れている。
川底には丸みを帯びた石が並び、水面には木々の間から差し込む陽の光がきらきらと反射していた。
岸辺には鮮やかな緑の草花が生い茂り、そよ風に揺れている。
「……ここ、どこ?」
私は思わず首を傾げた。
確かに、景色のいい場所で食べたいとは思った。
でも、まさか扉を開けたら、こんな場所になっているなんて。
「えっ、私……移動したの?」
慌てて周囲を見回していると――。
ピコンッ♪
「うひゃっ!?」
突然、目の前に淡い光を放つ半透明のパネルが現れた。
そこには、見慣れない文字が表示されている。
私は恐る恐る、パネルへと目を向けた。
=============
【スキル:夢幻厨房】
《基本機能》
・場所を選ばず、任意の場所に調理場への出入り口を召喚できます。
《空間移動》
現在の移動可能距離:半径500m以内
移動条件:【夢幻厨房】の内部にいること
移動方法:移動先を指定すると、出入り口が指定地点に接続される
距離制限:スキルレベルに応じて拡張
注意事項:移動先の位置を把握している必要がある。
=============
「……ええっ!?」
私は思わず声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って! これって……好きな場所に行けるってこと!?」
もう一度、パネルの説明を読み返す。
どうやら【夢幻厨房】は、ただ調理場を呼び出せるだけのスキルではないらしい。
厨房の中から、行きたい場所へと出入り口をつなげられるのだ。
つまり――。
「好きな場所で、ご飯が食べられるってことだよね!?」
思わず頬が緩んだ。
森の中でも、湖のほとりでも、景色のいい丘の上でも。
行きたい場所に厨房の扉をつなげて、そこで料理を楽しめるなんて。
料理好きの私にとって、夢のような機能だった。
「【夢幻厨房】って、すごすぎる……!」
私は目を輝かせながら、もう一度、小川の景色を眺めた。
さらさらと流れる水の音が、なんとも心地いい。
「うん! 今日はここで食べよう!」
私は嬉しくなって厨房の中へ戻ると、大皿に並んだ塩おにぎりを両手で抱えた。
そして、小川のほとりにつながる扉をくぐった。
すぐそばに平らな岩を見つけ、大皿をそっと置く。
小川のせせらぎを聞きながら、私はその場に腰を下ろした。
目の前には、透き通った水と緑豊かな景色。
そして、手元には炊きたてのライシアで作った塩おにぎり。
「ふふっ……最高の組み合わせかも!」
私は塩おにぎりを一つ手に取った。
まだほんのりと温かいおにぎりから、炊きたてのライシアの甘い香りがふわりと漂ってきた。
「それじゃあ……いただきます!」
私は期待に胸を膨らませながら、おにぎりをひと口頬張った。
「ん〜っ! やっぱり、炊きたてのおにぎりは最高!」
ふっくらとしたライシアの甘みと、ほんのり効いた塩味。シンプルだからこそ、お米のおいしさがよく分かる。
ひと口頬張れば、炊きたてならではの温かな甘みが口いっぱいに広がった。
空っぽだったお腹に、じんわりと染み渡っていくような感覚。空腹で疲れた身体まで、ほっと温められていく気がした。
噛むたびに広がるライシアの優しい甘みと、絶妙な塩加減がたまらない。
「はぁ〜……おいしい……!」
思わず頬が緩み、自然とため息がこぼれた。
もう一個食べようとした、そのときだった。
「……ん?」
ふと、少し離れた茂みの向こうから、何かが聞こえた気がした。
耳を澄ませてみる。
――グゥ……ッ。
苦しげな、低い唸り声。
私はおにぎりを持ったまま、そっと顔を上げた。
「……何の音だろう?」
気になって声のした方へ歩いていくと、木々の陰に、大きな黒い影が横たわっているのが見えた。
「わっ! い、犬……? にしては、大きすぎる」
何しろ、その身体は普通の犬とは比べものにならないほど大きい。太い四肢に、艶やかな黒い毛並み。木々の隙間から差し込む光を受けて、その毛並みは美しく輝いていた。
「ひょっとして、おおかみ……? ん?」
私は思わず首を傾げた。
狼の身体には、何やら黒い霧がまとわりついていたのだ。
まるで生き物のようにうごめく霧は、狼の身体を覆い尽くそうとするかのように、ゆらゆらと不気味に揺れている。
「な、何……あれ?」
狼は地面に伏せたまま、苦しそうに荒い息を吐いていた。
時折漏れる低い唸り声が、静かな森に響く。
苦しんでいる……?
そう思った私は、恐る恐る狼に近づいた。
「だ、大丈夫……?」
少しでも助けになればと、そっと手を伸ばした、その瞬間――。
「グルルル……ガァウッ‼」
突然、狼が鋭い声で吠えた。
耳をつんざくような咆哮が、静かな森に響き渡る。
「ひゃあっ!?」
私はびくりと肩を跳ねさせ、驚いて慌てて手を引っ込めた。思わず一歩後ずさり、胸元のおにぎりをぎゅっと握りしめる。
狼は牙を剥き出しにし、金色の瞳でこちらを睨みつけている。
まるで、これ以上近づくなと言っているかのようだった。
「ご、ごめんね……! 何もしないから、落ち着いて……?」
私は両手を胸の前に上げ、敵意がないことを示すように、ゆっくりと後ずさった。
狼の金色の瞳は、相変わらず私を鋭く睨みつけている。
その瞳には、警戒心と敵意が入り混じっていた。
近づくな。
そう、全身で訴えているようだった。
「……うぅ。やっぱり、怖いよ……」
普通の犬でさえ、怒っているときに近づくのは危険だ。それなのに、目の前にいるのは私の身長をはるかに超えるほど大きな狼。
もし本気で襲いかかられたら、ひとたまりもないだろう。
それでも――。
苦しそうに息を吐く狼の姿を見ていると、どうしても放っておくことができなかった。
身体にまとわりつく黒い霧は、まるで生き物のようにうごめいている。狼は私を警戒しているけれど、その呼吸は荒く、ひどく苦しそうだった。
「……何とかしてあげられないかな」
私は狼の様子を窺いながら、ふと足元に置いた大皿へと視線を落とした。
そこには、先ほど作ったばかりの塩おにぎりが九個、きれいに並んでいる。
そのときだった。
ぽうっ……。
「……えっ?」
大皿の上のおにぎりが、淡い光を放ち始めた。
「な、何これ……?」
私は思わず目を見開いた。
真っ白なおにぎりを包み込むように、銀白色の光がふんわりと広がっている。まるで月明かりを閉じ込めたかのような、優しく不思議な輝きだった。
光はおにぎりの表面を淡く照らし、周囲に小さな光の粒を漂わせている。
どうして、急に光り始めたんだろう?
私は不思議に思いながら、おにぎりと狼を交互に見つめた。
すると――。
狼の身体を覆っていた黒い霧が、ざわりと大きく揺らいだ。
「……もしかして?」
私は黒い霧に目を凝らした。
霧はおにぎりから放たれる銀白色の光を避けるように、わずかに後退している。
まるで、あの光を嫌がっているみたいだ。
「……やっぱり、何かあるんだ」
私は目を凝らした。
あの黒い霧は、狼を苦しめているように見える。もし、あれが原因なのだとしたら……。
少し考えたあと、私はそっと頷いた。
「……試してみる価値はあるよね」




