第2話:剥奪
平を抱えた昴と名乗った少女は、とあるマンションの屋上に降り立った。
拉致未遂と真夜中の空中散歩に困惑していると、昴は「〈魔女〉の互助会のセーフハウスですから安全ですよ」と的外れな説明をしてくれた。
セーフハウスは、生活感のない殺風景な部屋だった。
「どうぞ座っていてください」
そう言うと、昴はキッチンのほうへ行ってしまった。
平はテーブルと椅子だけのリビングで腰を下ろし、意味もなく天を仰いで呆ける。
知らない天井。何でこうなったんだっけ? そうだ、帰りが遅くなるって連絡しないと――
チン、と電子レンジの音で、平は我に返った。
昴が湯気の立つカップを持ってくる。
「ホットミルクです、落ち着きますよ」
「あ、ありがとう」
テーブルにカップを置くと、昴は平の対面に座った。
「まずは〈魔女〉についての説明がいりますね」
平がホットミルクに口をつけたところで、昴は話し始めた。
「世界には、二十二人の〈魔女〉がいます。先代が死ぬと、誰かが新たな〈魔女〉になるという仕組みです」
〈魔女〉になった日の『選ばれた』感覚を思いだす。あれは、誰かの死がきっかけだと言われても実感がない。何の感慨も湧かない自分が、少し薄情に思えた。
「さっきの人たちは……?」
「あれはたぶん、政府の人間ですね。どうせ公安とか名乗ってたんでしょう? 世界中のどこの国も〈魔女〉の力を欲しがってますから」
「力が欲しいって、わたし、大したことできないけど……」
「例えば?」
「えっと……」
説明するより見せたほうが早い、と平はカップのミルクに魔力を込めた。散らかされたミルクが、ぼこぼこと沸騰する。それを次は整えて元の温かさに戻した。
「こんな感じ」
「十分ですよ。それが大したことなんです。平の〈世界〉はエントロピーを操作する力らしいですし」
平、と友達にも呼ばれない下の名前で急に呼ばれて、少しどきりとする。綺麗な顔をした昴の口から、親しげに自分の名前が出てくるとは思わなかった。
「ところで、女の髪には魔力が宿る、という話を聞いたことがありませんか?」
昴は、さらりと自分の長い黒髪を流して見せた。艶めいて、まったく癖がついていない絹糸のような綺麗な髪だ。ふわりと甘い匂いが香ってきて、少しどぎまぎしてしまう。
「何かで聞いたことある、かも」
「実はこれ、正しいんですが、不正確なんですよ」
昴は自分の胸元に手を置いた。
「私たち〈魔女〉の力の源は、この肉体すべて――質量をエネルギーに変換できるんです」
「それって、どう……?」
「E=mc とか反物質による対消滅とか、そんな話らしいですが、詳しくは知りません。例えば、髪の毛一本から小型の核兵器並のエネルギーが取り出せますよ」
「そ、そんなに?」
まぁ、そんなことやりませんけどね、と昴はシニカルに笑う。
「私たちの体も耐えられないですし、第一に住むところなくなっちゃいますし――つまり連中、〈魔女〉の力を科学的に解明できれば、エネルギー革命が起こせると思ってるんですよ。だから血眼になって、〈魔女〉を手中に収めようとしているんです」
「え、それなら、普通に研究に協力してあげれば?」
平の牧歌的な考えとは裏腹に、柔和だった昴の顔から一瞬で感情が消えた。
「それは、できません。できないんです……〈魔女〉を人間として扱う国は、どこにもないんです」
急に昴は歯切れが悪くなり、平から視線を外す。
「……歴代の〈魔女〉の中に、君と同じように考えた者がいました。ですが、彼女は……薬漬けにされ、手足を奪われました。標本として殺さないよう、丁寧に『生かされた』んです」
平は急に悪寒を覚える。昴が言外に示そうとしていることに、嫌な予感がした。この先の話を聞いたら、きっともう後戻りできない。
「――ごめんなさい、助けてくれてありがとう。けどもう家に帰るね」
「平!」
昴が腕を掴んでくる。その手は力強く、振りほどけそうになかった。
絞りだすように昴は言う。
「君は、家には……家にはもう帰れないんです」
「そんな、わけない……」
「互助会が、平が新たな〈魔女〉になったと感知して、一番近くにいた私が真っ先に君の家に向かいました。ですが家は……もぬけの殻でした……人も、家具も」
「うぅ……」
大切な何かが抜け落ちてしまったように、足に力が入らず、平はその場に頽れる。頭でわかっていても、心が理解を拒んでいた。
涙で視界が滲み、世界が歪んでいく。それに呼応するようにフローリングが反り返り、壁がひび割れていく。体温が急激に下がり、体が震え始めた。
あのとき、黒服が現れたときには、もうすべてが終わっていた。平凡で、物足りないけど不満のなかった日常は、いつの間にか終わらされていた。
この感情はどこに吐き出せばいいの?
〈世界〉の力が暴走していると理解しているが、止まらない涙と同じように力も止められない。止め方がわからなかった。
突然、背中に温もりを感じた。
昴が後ろからそっと抱きしめてくれていた。なぜか、彼女の腕の中にいると、すっと心が楽になっていくのを感じる。感情で暴れていた力も、自然と治まっていった。
「私の〈星〉は、意力のベクトルを操れます。今は君の悲しみを和らげさせていますが……嫌だったら言ってください」
平は答えず、昴の両腕に顔を埋める。
「ねぇ、平。私に君が〈魔女〉として生きるための手助けをさせてください」




