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第8話 星型の断面

 中国地方の梅雨が明けたその日、ついにオクラの花が咲いた。大きなクリーム色の花が、朝日に輝いて見える。

 海人は喜び勇んで、花の写真を送った。


海人:オクラ咲いた!

菜美:おめでとう!


 記念にたくさん写真を撮り、これでは本当に観察日記だなと思いながら、それでも喜びがあふれてニヤニヤしてしまう。田んぼの水の上を渡ってくる風まで、自分を祝福しているように感じる。

 支柱を立てて倒れないように支え、肥料を根元の周りに置く。これで三日後くらいには初オクラが収穫できる。

 源に教わった手入れをして、収穫を楽しみに待とう。

 翔は、最近グループメッセージに返事をしない。返しても、だいぶ遅れる。かなり忙しくしているようだ。


 冬に向けて、スーパーで夏まきのキャベツの種を買ってきた。

 祖父が使っていたトレイを納屋から出してきて、そこに土を入れる。

 きっとオクラのように上手くいく。根拠のない自信を持って、小さな種を拾い上げ、土の上に落とす。


「一か所に、一、二粒」


 海人は、祖父の荷物の中にあった野菜作りの本を参考にしている。ネットで調べるのもよいが、一冊に情報が集まっているほうが便利だ。

 

「日差しをよけて、風通しのいいところ。ここでいいか」


 日よけの布をかけて完成だ。オクラは苗を買ったので、種から育てるのは初めての経験になる。

 この芽が出るころには、きっとオクラがたくさん採れているに違いない。


 それからは、驚きの連続だった。

 翌日、花はしおれているが、根元はすでにちびオクラができている。これが本当に三日で食べられるようになるのだろうかと半信半疑だった海人は、生命の力強さを見せつけられることになった。

 しばらく見つめていれば、大きくなるところが見られるのではないかというくらいに、数日ですくすくと伸びたオクラは、すでに店で売られているものよりも大きい。しかも、キュウリのように下向きになるのかと思ったら、斜め上方向に向かってぴんと立っている。何ものにも屈しない意志の強さに見えて、言葉にできない感動が胸に湧く。


 いろんな方向から写真を撮り、満足したところで、海人は少し震える手でハサミを持って、根元をパチンと切った。

 手のひらの上に乗る、鮮やかな緑色のサヤ。とても軽いけれど、それでも確かにそこにある命。

 産毛が手のひらに触れて痛い。スーパーに並ぶ野菜にはない鮮度とはこういうことなのか。

 こみあげてきたのは、感動と、そして少しの涙。それが達成感なのか安心感なのかは分からないまま、オクラを手のひらに載せたまま、しばらく動けなかった。


 海人は収穫した五本のオクラの写真を、菜美と翔のグループに送った。


海人:できた

菜美:おおー、おめでとう! 初収穫だね♪


 この地で育った人には珍しくもない収穫なのだろう。それでも海人は自慢したくてたまらなかった。すぐにあきらめて都会に帰ると思われていたことへの、反論でもあった。少しだけ、この地の仲間になれた気がする。

 しばらくして、翔からも返信があった。


翔:明日から頑張れ。あいつらをなめるな。見逃すとお化けオクラになるぞ


 翔らしい励ましの言葉に、笑いがこらえられなかった。


 その日のお昼は、オクラをシンプルに塩ゆでにする。

 熱湯に入れると、薄緑が、濃い緑に変わった。

 刻むと現れる星形が、この収穫に対してもらえた合格のシールに見えて、ニヤニヤが止まらない。

 いただきますの言葉に、いつも以上の感謝の気持ちを込めて、口に入れる。


「美味しい」


 ここがゴールじゃない。やっと始まったのだ。


 そして翌日より、翔の言うとおりに、お化けオクラとの戦いが始まった。

 少し気を抜くと、葉に隠れて気づいていなかったサヤが、キュウリと同じくらいに長くなる。手に取ってみるとそれは、瑞々しさなどかなぐり捨てて筋張ってゴリゴリに固い、何か。これは野菜の感触としてありなのだろうか。根元を切るのも苦労する。投げたら刺さって武器になりそうだ。

 試しに料理してみようかと思ったが、包丁が負けそうでやめた。


 毎日次から次に収穫できるオクラは、消費するのも大変だ。三食全部オクラにしたところで、食べきれない。食べる人間は一人しないないのに、苗を五本も買ったことが、そもそもの間違いだったらしい。

 自然は力強く、そして人間の思うとおりにはならない。けれど、だからこそ楽しい。きっと祖父はそんな経験をしたくて、この地に移ったのだろう。


 散歩に出かけた百間川の土手から眺める夕日は、深い緑色の田んぼをオレンジ色に染めている。一面の田んぼのあいだを直線に流れる用水路の水が、ところどころで反射して光る。

 乙羽神社にもお参りして、収穫の報告を行い、礼を伝えた。

 今日も川は、穏やかに流れている。



 海人は、翔と菜美を夕食に招いた。メインは海人の作ったオクラで、緑の星を載せるのは、四枚セットの皿。食べきれないと泣きついたら、じゃあ食べに行くよ、と言ってくれた。


「これ、おばあちゃんから。いかにも田舎のおばあちゃんの手作りご飯でってお願いしたのに、張り切っちゃってお寿司になった」

「もしかして、ばら寿司?」

「そう。家によって具や味が違うよ。これに海人のオクラを乗せて、食べなさいって」


 以前海人が美味しい美味しいと菜美の祖母のご飯を食べたので、持っていくならとわざわざばら寿司を作ってくれた。岡山の郷土料理として知ってはいるが、食べたことがなかった。


「それから、桃も。あとで食べよう。冷蔵庫入れて」


 袋に入っているのは、お中元でもらったという桃が三つ。


「……これ、まだ熟れてないよね?」

「え? 柔らかいの持ってきたけど」


 菜美は袋に手を入れ、優しく桃に触れ確認した。


「熟れてるよ」

「まだ白いのに?」

「あー、そういうこと。これ、白桃。岡山の桃はだいたい白い」


 熟れた桃はピンクになると、海人は思い込んでいた。しげしげと、柔らかな産毛に包まれたクリーム色で一部だけほんのりピンクになっている桃を見つめた。とてもいい香りがしている。


 気分を切り替えて、海人はばら寿司をお皿に取り分ける。酢で締めたお魚に、穴子、野菜がまぜられたちらし寿司。黄色い錦糸卵の上に、緑のオクラを散らすと、目にも鮮やかだ。小躍りしそうな気持ちを押さえて、角度を変えて何枚もスマートフォンで撮影する海人を、翔がうろんな目で見ている。「先に食べるぞ」と急かされ、撮影を切り上げた。


「最高。やっぱりお米が美味しいからかな」

「おばあちゃんがよろこぶ。海人のオクラも美味しいよ」

「ありがとう」


 柔らかな酸味が口の中に広がる。その土地の米と野菜を使って作られた郷土料理は、心まで温かくなる優しい味だ。その中に自分が作ったオクラが入っているというのが、何よりも達成感を与えてくれる。


「海人、意外に楽しんでるよね」

「なんか、ゲームっぽい気がして」

「……まあ、米を育てるゲームが流行ったくらいだからな」


 正しく必要な手をかけてやれば、収穫となって戻ってくる。そこに、天候や虫という回避不能なイベントが発生する。その過程がゲームのようだ。

 自分の手で作ったものを食べた人が、美味しいと言ってくれる。これほど幸せなことはない。東京では手に入れられなかったことを、体験している。


 食事が終わったら、お待ちかねの桃だ。

 切るのは、白桃を知らない海人には任せられないと言い張る菜美に任せた。手で皮をむいてから、包丁で切って、皿に盛っていくその手際は無駄がない。さすが果物王国育ち。


「種の周りはかじるか、炭酸水に入れるか、お酒に入れるか、好きにして」

「ありがとう」


 全部やりたい。余すところなく味わいたい。


「翔の家、桃来てる?」

「まだ」

「じゃあ、あとで持っていって」


 これがうわさに聞くお裾分け文化、と海人は目を輝かせて二人のやり取りを見守った。


「海人、東京から友だち呼ばないの?」

「うーん……みんな忙しいから」

「そっか」


 三人でいると、たいてい菜美が発言して、それに翔と海人が答える形になる。


「翔は? 仕事どう?」

「ちょっとやばい。そのうち徹夜かも。草刈りもあるのに」

「SEも農業も両立してて、すごいね」


 美味しいものに浮かれていた海人は、手放しでのほめ言葉に返した翔の冷めた目つきに、気づかなかった。

 翔の目の下には少し隈ができていることにも。


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