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第9話 旭川

 その週の日曜、小学校で行われるの夏祭りに、菜美、翔と三人で、浴衣を着て参加している。

 翔の母の「せっかくだから海人くんを夏祭りに連れていってあげなさいよ」という鶴の一声で、行くことが決まった。


 翔は仕事が煮詰まっているようだが、浴衣を持った母に押し切られたらしい。「二人とも、引きこもってないで遊んできなさい」と背中をたたかれ、半ば強引に送り出された。


「夏祭りなんて、何年振りかしら」

「来ないの?」

「あんまり。子どものころは来てたけど、大人になったらね」

「まあ、気分転換にはなる」


 菜美は視線をそらして、校舎を見ている。

 盆踊りの曲に合わせて、太鼓がたたかれ、とても賑やかだ。

 翔は大きくあくびをしてから、背伸びした。どこか、その賑やかさをわずらわしく感じているように、一瞬だけ目を閉じた。


「そうだ。海人、明日の午前中ひま? 岡山城観光しない?」

「何もないけど、なんでいきなり?」

「おばあちゃんの病院の日なんだけど、待ってる間に海人くんを案内してやれって」

「邪魔じゃなければ、行きたい」


 岡山に住んでいるのに、岡山城のあたりには、行ったことがない。

 車の運転できない海人が街に出るには、バスに乗る必要がある。そのバス停までは自転車で十分。この暑い季節、それだけで外出する気がなくなる。

 せっかくなので、ありがたい申し出に乗ることにした。


「校庭が広いねえ」

「海人のところはどうだったんだ?」

「土じゃなくてゴムだった」

「ゴムって、陸上競技場みたいな?」

「そう。それに小さい」


 田んぼに囲まれた校庭を見回す。海人の通った小学校ではここの半分もない。ビルの合間にあり、開放感とは無縁だった。

 校庭にあつらえられた櫓の周りで盆踊りを踊っている人たちがいる。そこから離れたところに屋台が出ているが、それでも校庭の半分しか使っていないのだ。


「あそこの遊具で最後まで遊ぶと、授業間に合わなかったな」

「あのブランコで靴飛ばしして、田んぼに落としたわ」


 目についた屋台に並びながら、ここでの二人のエピソードを聞いているが、スケールが違いすぎて何一つ共感できない。けれど、うらやましい。

 そこに、話しかけてくる人がいた。


「菜美、翔、久しぶり。そっちの彼は? 菜美の旦那さん?」

「違うよ。この夏、ご近所に引っ越してきた海人くん。こちらは私たちの同級生の花奈」

「はじめまして」


 菜美と翔に話しかけた女性は、家族で来ていた。小さな子が浴衣を着ているのは、とても可愛い。手を振ると、小さな手を振り返してくれる。

 もう片方の手に持っているのは、子どもに人気のキャラクターのお面。頭につけていたのがしっくりこなくて、外してしまったらしい。


 しばらく話していた家族が離れていってから、菜美がぽつりとこぼした。


「こういうのがあるから、来なくなったのよ」


 盆踊りは、次の曲が始まった。子どもたちが櫓の周りに集まっている。

 歌詞に、「マスカット」「きびだんご」と出てくるから、岡山の曲なのだろう。笑顔で楽しそうに踊っている子どもたちを一度視界に入れてから、菜美は顔をそむけた。


「置いていかれている気がする」

「東京だと、プライベートより仕事に熱中しているころだよね」

「海人、田舎をディスるな。データによれば、岡山の初婚年齢は、東京より二歳ほど若いだけだ」

「ごめん、そんなつもりなかった」


 たしかに無神経だった。翔が笑いながら数字で示してきたが、目が笑っていない気がする。

 この土地では、大人になることと、家族を作ることが、地続きなのかもしれなかった。



 岡山の中心地に行くためには、山を越える必要がある。山と言っても、数百メートルの低い山だ。

 翌朝、菜美の祖母と三人乗った車が坂を上っている途中、何でもないことのように菜美が言った。


「高校のとき、毎日ここ越えるの大変だった」

「毎日? バス? 自転車?」

「自転車」

「うそ」

「競輪選手みたいに足太くなっちゃってさ」


 学校まで行くバスがないので、雨の日もレインコートを着て、自転車通学していたという。

 けっこうな勾配のこの坂を毎日登れば、それはしっかり筋肉がつくだろう。

 歩いていけないところなら、電車という感覚の海人には、どう返していいのか分からない。


「私たちのころは、高校になったらヘルメットなくなるから、うれしかったなあ」

「みんな山を越えるの?」

「だってこっち側に高校がないから」


 選択肢がない。その言葉は、胸に少しの重さを残した。

 振り返ると、一面の平地と、山から離れるほどに広がる緑の田んぼが見える。


 山を切り開いたという感じの道を通りぬけると、田んぼはなくなり、市街地という雰囲気に代わる。


「岡山城、見えるよ」

「真っ黒じゃろ。烏城って呼ぶんよ」

「右側の橋の下見て、水辺のももくんがいるよ」

「あれは最近できたんじゃ」

「最近って、私が生まれる前だよ。おばあちゃん」


 菜美と祖母による観光案内を聞きながら、窓の外を見る。夏の強い日差しのもとでは、黒い城は高温になっていそうだ。

 病院に着くと、玄関先で菜美の祖母は降りた。


「終わったら電話するけえ、ちゃんと海人くんを案内せられえよ」

「はいはい。おばあちゃんの代わりにしてくるよ」


 祖母が病院に入るのを見届けて、菜美は車を発進させた。


「菜美の時間とっちゃって、ごめんね」

「こっちこそごめん。おばあちゃん、海人のこと、ほっとけないみたいで」

「ありがたいよ」

「うそ。海人、そういうの断れないタイプでしょ」


 そんなことない、と答えようとして、けれど口を閉じた。

 窓の外を見る。断りたいわけではないが、どこまで甘えていいのかが分からない。


「それでどこいく? お城? 後楽園?」

「ももくん、かな」


 なぜか中州にある像を、ちゃんと見てみたいと思った。

 河川敷の駐車場に車を止めてから、岡山城を背中に、川沿いを歩く。


「この川、旭川って言うんだけど、昔はよく氾濫したんだって」

「こんなに広いのに」


 目の前を流れる川は、河川敷の広さに比べて水は少なく、氾濫とは無縁に見える。


「その水を逃がすために作られたのが、百間川」

「え? あの川、作られたの?」

「江戸時代にね。乙羽さんに作った人の像があるよ」


 人工的に川を分けることが江戸時代にできた事実とその技術に圧倒される。


「岡山はね、百間川があるから大丈夫なの」


 百間川が市街地を守っているという自負が、その声にはあった。


 後楽園の横をしばらく歩くと、橋から見えていた中州に出た。中州の先端当たりの、桃をかかげた少年の像がある。


「実は、ここに来るの初めて」

「菜美も?」

「わざわざ来ないもん。スカイツリー上ったことある?」

「ないね」

「でしょ」


 近すぎると、何かないかぎり、わざわざ行く理由がない。

 さえぎるものがなく暑いが、目の前を穏やかに流れる水は涼やかだ。


「そこに、同じポーズで立って」

「え、いいよ」

「おばあちゃんに報告用。ほら」


 仕方なく、岡山城が背後に入るように、桃をかかげるポーズをとる。


 菜美は、その写真を祖母だけでなく、翔とのグループにも送った。

 翔からは「観光客まるだし」という一言をもらった。

 菜美の写真も頼まれて撮ったのに、きっと反応が分かっていたから載せなかったのだろう。


 菜美のくれた朝顔が、玄関の横で咲いている。


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