第5話 アブラムシ
オクラは、雨と太陽の光を吸収して、すくすくと育っている。このままいけば、近いうちに収穫できそうだ。
オクラしか植えていないが、想像以上に上手くいっている畑に、ワクワクしながら次は何を植えようかとネットを調べている。
そこに、翔から突然届いたメッセージ。
翔:時間があったら、菜美を手伝ってやってくれ
海人:何かあった?
自分のことではなく菜美のことで頼んでくるという事態に胸騒ぎがして、すぐに返事をした。
翔:トマトにアブラムシ大量発生
海人:なんだ。連絡してみる
菜美が怪我をしたとか倒れたとか、そういう心配をしていたので、拍子抜けだ。
さっそく連絡を取ると、涼しくなったら作業をするとのことなので、手伝いに行く約束をした。
少し日が傾いたころ、菜美の家の前の畑に行くと、源もいる。といっても源は、隣の自分の畑でナスの世話をしている。
源の畑には、夏野菜が整然と並んでおり、緑の勢いが感じられる。
どこかから聞こえる用水路に水が落ちる音は、夕食の準備だろう。
「おめえも来たんか」
「手伝いです」
「海人、ありがとう」
いつもの元気がなくうつむきがちな菜美の顔をのぞき込むと、目に力がない。
「自然のまま、土の力を信じてやってみたかったんだけど……」
「トマトって、こんなに茂るんだ」
「芽かきをせんからじゃ。風通しをよくしてやらんと」
菜美の畑では、野菜が思い思いの方向に伸びている。そして、どこか空気が淀んでいた。葉が茂りすぎて、風が抜けない。湿った熱が、畑の中に閉じ込められている。
トマトの葉を何気なく手に取って裏を見た瞬間、背中がぞわっとして、思わず一歩下がってしまった。葉の裏が黒くなっているが、それはすべて小さな虫。一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、もう一度見る。どの葉を見ても、裏には虫がついている。
「あれ? このへん……ついてない?」
「こっちのナスにかけた農薬が飛んだんじゃ」
「こうなっちゃったら、農薬使わなきゃ無理だって」
「じゃけえ、早う手を打て言うたろ。無農薬はなあ、手がかかるんじゃ」
海人に市販のスプレーを差し出す菜美は、唇をかんでいる。
もし、海人のオクラにこんなふうに虫が発生したら、きっと同じような表情になるのだろうと思い、海人は無言で受け取った。
無農薬栽培に挑戦して、うまくいっていると聞いていた。海人が見たSNSには、センス良く撮影された青々とした葉っぱの写真が並んでいた。
スプレーの使い方を読んでから、葉の裏に薬をかけていく。肌が出ない服装で来るように、という指定はこのためだったのか。
菜美の家のほうからは、夕食の香りがしてくる。それに混じるスプレーの薬の匂い。
菜美は、風が通るようにところどころ枝を切っている。黙々と作業を行い、日が落ちる前にはトマトの林はすっきりとなった。
「海人、ありがとう。ご飯食べていって。おばあちゃんが用意してくれてる」
「悪いよ。それに着替えなきゃ」
「じゃあ、戻ってきて」
「……分かった」
これはとことん付き合うしかなさそうだ。海人は一度家に帰って、来ていた服を洗濯機に放り込んでから、シャワーを浴びて、農薬を落とした。
海人:アブラムシ退治終了。このあと菜美の家でご飯
翔:話を聞いてやれ
海人:翔のほうがいいんじゃない?
海人はそこまで仲良くない。付き合いの長い翔に聞いてほしいのではないかと誘ったが、しばらくしてから短く返信があった。
翔:おまえが適任
翔が言うならそうなのだろう。まだうっすらと夕日の光が残る田んぼのあいだを走って、海人は、ふたたび菜美の家に向かった。
ご飯は客間に用意されていた。
「今日は飲もう。飲める?」
「まあまあ」
そんなに強くないが、飲めないことはない。
お酒の缶を開けると、菜美は「カンパーイ」と言ってからぐびぐび飲んでいる。どこか無理している明るさだ。
海人はまずは食べようと、菜美の祖母が作ってくれた料理をほおばった。「茶色いのばかりで若い人の口には合わんかもしれんけど」と言われた料理は、とても優しく、どこか懐かしい味がする。
菜美にじっと見られていることに気づくまで、かなり夢中で食べてしまった。
「美味しくて……」
「そんだけ食べてくれたら、おばあちゃん喜ぶ」
ここのところコンビニ弁当か、スーパーの総菜、ときどき自分で作る簡単なものばかりだったので、身体が欲して止まらなかった。
お腹が落ち着いたところで、座り直して菜美を見ると、軽く頭を下げられた。
「ごめんね。海人まで巻き込んで」
「ううん。翔が心配してたよ」
自嘲の笑みを浮かべた菜美は、「失敗しちゃった」とつぶやいて、お酒をまたゴクッと飲んだ。
「私さ、一度ここを出たのに、また帰ってきたでしょ。だからこっちで何か形にしたくて」
菜美は、缶を机に音が出るほど強く置くと、椅子の上で膝を抱えた。
「ここじゃなきゃできないものを作りたいのに……。デザインも、野菜も、全然ダメ」
「そうなんだ」
アブラムシくらいで、と思っていたが、菜美にとってはもっと深い部分での失敗だった。
菜美は、近所の桃農家のチラシを作っているそうだが、いまやっているデザインの仕事はそれくらい。
「翔はここでちゃんとやってるから、なんか言えなくて。『逃げたくせに』って顔されたら、立ち直れない」
「そんなこと……言わないと思うけど」
きっと何も言わずに、聞いているか聞いていないかも分からない感じで、お酒を飲んでいる気がする。
「あいつ、泣くと、露骨に困った顔するし」
「まあ、ほら」
それに関しては、翔は悪くないだろう。そう思うが、口から出るのは、短くあいまいな言葉ばかり。海人だって反応に困る。
「帰ってきたときに、同級生に言われたんだ。『どこでも仕事できるから、子育てに帰ってきたの?』って」
「それは……」
「帰ってきた理由なんて、みんな好き勝手想像するし。それで、始めたのが無農薬栽培。それも終わっちゃった」
菜美は次の缶を開けると、豪快に飲み、ケラケラと笑いだした。その目には涙が浮かんでいる。
海人の手の中の缶は、まだ半分くらい残っている。
「もう止めるの?」
「無理かな。源さんにも難しいぞって言われてたのに、押し切って、結果あれ」
窓の外、畑の方向を見て、菜美は自嘲の笑みを浮かべている。
言おうかどうしようか迷って、やはり海人は伝えることにした。
「あのさ、すごく無責任なこと言ってもいい?」
「なんでもどうぞ。もうこれ以上、落ちるところないし」
海人は少し視線をずらして、軽く聞こえるように言った。
「一回で諦めちゃうの、菜美に似合わないかなって」
問答無用にトラクターで地ならしして、もう一度ゼロから始めそう。知り合ってそんなに経っていないが、海人の中で菜美はそんなイメージだった。
海人の言葉に、菜美は目をぱちくりと見開いた。
そして、それまでの作り笑いとは違う、うれしそうな、そして泣きそうな、笑顔を浮かべた。
「私らしくないか」
「うん」
「そっかあ。でもしんどい」
もうちょっと考えてみる、と言った菜美は、缶に残るお酒を勢いよく飲みほした。




