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第4話 水底の神社

 天気を確認して、オクラに水やりするのが、毎朝の海人の日課になった。

 雨が降っていなければ、オクラの苗に水をあげる。


 最初はじょうろを使っていたのだが、植えて数日後に様子を見に来た源に水が足りないと言われてからは、ホースで畑に水をまいている。

 それからはしっかり根を張ったのか、苗は生き生きと葉を伸ばし始めた。


 けれど、順調と思われたオクラの栽培は、少しして問題に行き当たった。


「このオクラだけしなびてる。なんで……」


 他と同じように見えるが、一本だけ元気がなく、しなびて頭を垂れている。

 ネットで調べてみるが、似たような事例は出ているものの、ピンとこない。むしろ、いろんな写真が載っていて、どれが正解なのか分からない。

 毎日の写真では、しおれたオクラが映らないように、撮る向きを変えた。


 源に聞きに行きたい。だが、頼っていいのか分からない。悩んでいるうちに、その一本は枯れてしまった。


 次の朝、ゴミ出しのときに源を見かけたので、思い切って声をかけた。


「オクラが一本だけ枯れてしまったんですが……」

「どんなふうに?」

「しなびたと思ったら、数日で枯れました。他の苗は元気なので、水は十分だと思うのですが」

「そりゃ、ヨトウじゃな。根が切られた」


 ガの幼虫が根を食べてしまったため枯れたらしい。茎を食べて倒れるというのはネットで見たが、根も食べるとは知らなかった。

 原因が分かってホッとした。海人の手入れが間違っていたのではなかった。

 そんな海人を見て、源はそれ以上何も言わずに帰っていった。

 自転車の源とすれ違うように、出勤する車が通り過ぎていく。

 祖父の残したものの中に家庭菜園の本がないか探してみようと、海人は心にメモをした。


 その日の夕方、玄関のチャイムが鳴ると同時に、家の外から海人を呼ぶ声がした。


「おーい、おるか」

「源さん。こんばんは」

「ヨトウの薬を買ってきた。放っておくと、他の苗もやられるぞ」


 言われてみればそうだ。同じ土に植えているのだから、隣の苗だって食べられてしまう。なぜ気づかなかったのか。

 源の持つ薬剤を見て、同じようなものを納屋で見たのを思い出した。納屋を開けると、そこに並ぶ薬剤を見て、源が小さくため息をついた。

 遠くで草刈り機の音がする。


「持っとるなら、やっとけ」

「すみません。どうせ使うので、それは買い取ります。おいくらでしたか?」


 気づけなかった自分が、情けない。オクラの苗とともに育った自信が、急激にしぼんでいく。

 けれど、ここでやめたら何も残らない。恥のかきついでだ。質問はすべてぶつけてみよう。


「肥料は、いつ、どれくらいやるものなのでしょうか。ネットで調べてみたんですが、プランターで育てる場合が多くて。畑でも同じでいいんでしょうか」


 思い切って聞いてみると、源はめんどくさがらずに丁寧に教えてくれた。そして、しみじみとつぶやいた。


「じいさんと同じように、自分のやり方でやりたいんかと思っとったが、違うんじゃな」

「実は尾上の祖父とはほとんど会ったことがなくて。……どんな人だったんですか?」


 源は海人の目をまじまじと見つめる。その視線が強すぎて、根を切られたオクラの苗と重なり、足元が急に不安定に思えてくる。

 海人は取り繕うように、言葉を重ねた。


「この家のことも、畑のことも、知らないことばかりで」

「おめえ、それでようこの家に住もうと思ったな」

「勢いと言いますか……」

「菜美ちゃんも、無茶言う。……尾上のじいさんは、人の言うことは聞かんかった」


 源の突き放した言い方は、掃除当番の話だけではない重さがあった。


「これからも、いろいろ教えていただけると助かります」


 農業に向いていないのなら、止めたほうがいいのかもしれない。けれど、まだ始まったばかり。もう少しあがいてみたい。

 頭を下げる海人の目には、源の泥のついた長靴が映った。


 祖父はいったいこの地でどんな風に生きていたのか。

 祖父の荷物は、縁の薄かった海人が勝手に片づけるのもはばかられ、部屋ごと手を付けずにいた。けれど、家庭菜園の本を探したい。

 海人は思い切って、祖父の部屋に入った。だが、机周りを探しても、日記のようなものは出てこない。

 積み上げられた本のあいだから、神社の暦を見つけた。日の出日の入りや、満潮干潮の時刻が載っている。


「そういえば、神社のお金は払ってるんだっけ」


 神社の会費というのは、氏子から集めるものらしいので、海人も乙羽神社の氏子なのだ。明日は、お参りに行こう。

 花壇には、手入れもされていないのに、紫陽花が咲いている。



 翌朝、早くから乙羽神社に自転車で向かった。午後から雨の予報なので、オクラの水遣りは不要だ。

 黄緑色の水田を見ながら、土手にそって百間川の河口のほうへ向かうと、瓦屋根の立派な神社が現れた。派手さはないが、積み重ねられた歴史を感じる。


 平日の朝、参拝客はほとんどいない。赤い鳥居をくぐって、御手水で清める。脇に立つ案内板には「開墾の神をまつるお宮」とある。

 この地は、江戸時代の干拓工事で、海を農地に変えたところらしい。その際に水を鎮めた神が祀られているそうだ。

 境内の奥では、淡い水色の袴をつけた宮司が、結びつけられたおみくじを回収している。

 特に何もないのに、神社にお参りするのは初めてだ。軽く引っ張って服のしわを伸ばして、拝殿を見上げる。


 朝のピンとした空気の中、拝殿への階段を上った。

 鈴を鳴らす音が、静かな境内に響く。


(どうかこの地での新しい生活が上手くいきますように)


 海人の願いに呼応するように、音が消え、涼し気な空気があたりを包む。まるで、水底にいるような、涼やかで静かな空気。

 不思議な気配に周りを見回すが、変わったことはない。首をひねってから、海人はおさい銭を追加して、もう一度祈った。


 神社を取り囲む高い木のどこかで気の早いセミが鳴いている。


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