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第28話 例大祭

 乙羽神社の例大祭の日。屋台も出て、境内は賑やかだ。

 けれど、本殿から流れ出る空気は、清らかで、水底にいるような涼し気な揺らぎを感じる。


(今年の恵みに感謝します。水害からあの地を守ってくれて、ありがとうございました)


 収穫に感謝し、祈りをささげる。この地は、水という試練を与えながらも、それでも恵みを授けてくれた。


「いつもより、人が多い気がする」

「たしかに」

「やっぱり雨の影響かな」


 いままでを知らない海人には、比べられないが、菜美と翔が言うならそうなのだろう。

 なんとか水をやり過ごしたことに、なんとか稲刈りができたことに、今年は多くの人がいつも以上に感謝しているのかもしれない。

 すぐそばを流れる百間川は、いつもの静かな川に戻っている。河川敷では子どもたちがブランコに乗って遊んでいた。


 用事を済ませる翔を待つ間、子どもたちが奉納した習字を眺める。

 こうして並べられていると、個性がとてもよく分かる。几帳面な字、大胆な字、自由な字。きっと菜美は自由な字だろう。翔は意外と几帳面な字を書くのではないだろうか。


「そういえば海人、『うったて』って分かる?」

「うったて? 分からない。なんのこと?」

「この、書き始めの最初の部分を止める動作のこと。うったてが大事、ってよく言われた」

「岡山弁?」

「らしいよ。私も東京で通じなくて、初めて知った」


 じゃあそれに代わる標準語はなにかと言われると、海人にも分からない。どうしてそんなピンポイントな方言ができたのか、興味深い。

 どの子の字が好きか菜美と言い合うと、まったく好みが違って面白い。

 それから、お守り売り場に移動し、たくさんの種類のお守りをなんとなく見ていると、端のほうに白い法被に身を包んだ源がいるのに気づいた。


「源さん、今日が当番だったんだ」

「当番? なんの?」

「ここのな。座っとるだけじゃから、年寄りがやることになっとる」


 お守りを買い求める参拝者の対応をしている白い法被を着た人を目で示した。氏子から地区ごとに手伝いに出す人数が決められているらしい。

 そこに、おはらいの申し込みを済ませた翔が合流した。


「悪い、社務所が混んでて時間かかった」

「わざわざ祭りの日にせんでもえかろうが」

「父さんが忘れてたんだ。もう新車が届くのに」


 特別に信心深いようにも見えないので、新車のおはらいをするというが少し意外だった。

 ここは祈りが土地に根づいている。姫に祈り、土地に祈り、百間川に祈る。


「車庫に一年置いてある車って、動く?」

「修理すれば動くんじゃないか? じいさんの車、処分してなかったのか?」


 翔がいまさらどうする気だとけげんな顔で見ている。

 

「僕も運転練習しようかなと思って。ないと不便」

「免許持ってる?」

「学生のときに。社会人になったら取れないって言われたから」

「乗ってたのか?」

「まさか。高速教習が怖すぎて、東京では乗らないって決めた」


 壁やトラックに囲まれて追い込まれる気分は、一度で十分だ。

 それに、あの地ではなくても生活できる。むしろ、駐車場代が高い。

 だがこの地では、車に乗れなければ、行動範囲が限られてしまう。


「練習は、田んぼに水がない時期にしろよ」

「田んぼ? なんで?」

「冬なら落ちても車は無事だ」

「……田舎ジョーク?」

「たまに見るね」


 源も苦笑しているので、事実らしい。複雑な構造の高速道路がない代わりに、道路の境界があいまいなのか。


「用水路といい、岡山って危険すぎない?」

「それだけ、水が近いんだよ」

「みんな子どものころに一回くらい落ちてるよ。ね」

「俺はない」

「うそだー。川飛び越そうとして、よく落ちて、制服汚すなって怒られてたでしょ」

「そういう菜美は自転車で突っ込んだろ」

「郵便さんが、お嬢さん落ちましたよって家に知らせてくれたんだよねー」


 それって事故じゃないのかと思うのだが、たいしたことではないらしい。

 子ども時代の経験が違いすぎると感じるのは、何度目だろうか。

 飛び越えられる細い川を、海人は岡山に来るまで見たことがなかった。東京では、川はほとんどが蓋をされ、姿さえ見えない。


「練習するなら、教えてやる」

「そのときはよろしく」


 先の約束をする二人に、菜美が笑顔になった。


「翔がIT担当で、海人が手を動かす担当で、やっていったらいいんじゃな?」

「それ、海人が一人前になるより、俺がシステム作り上げるほうが早い気がするぞ」

「ひどっ! 翔が海人をいじめてるー。でも、源さんが顧問についてくれたら、最強じゃない?」

「わしもか」

「じゃあ、菜美は広報ね」


 源は、静かに笑っている。

 終わりが見えているこの地の未来を作り出していけたら、姫は笑ってくれるだろうか。

 お祭りの賑やかさの向こうで、波の音が聞こえた気がした。



 帰り道、三人で百間川の土手を歩いた。

 祭りの興奮は遠く、心地よい風が流れる。

 夕日に照らされる田んぼは、まっすぐな道と用水路に区切られ、チェスボードのように見える。稲の黄色と土の茶色が、まだらに混じり合っている。

 河川敷には三人の影が長く落ちていた。その影は重ならない。けれど、離れることもない。


 海人は、静かに流れる百間川を眺める。

 夕日が沈めば、その水面には、星が映るのだろう。


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