第19話 ピオーネ
朝の用水路掃除は、コロの散歩も兼ねるようになった。コロの散歩に喜ぶ海人を見て、源が朝の散歩を任せてくれるようになった。
コロも、海人を朝の散歩の人間だと認識して、行くと立ち上がって尻尾を振りながら寄ってきてくれるから、やる気につながっている。
自分でここと決めたところの掃除を終えて、源の家に戻る。
「コロ、また明日ね」
納屋にコロをつないで、わしゃわしゃとなでてから出たところで、菜美にばったり会った。
「海人、おはよう」
「おはよう。おでかけ?」
「高橋さんのところに、手紙のデザインの確認」
菜美は近所の桃農家が、顧客に送る手紙のデザインを担当している。
「ブドウ買いたいと思ってるけど、まだ行けてない」
「今日の午後は直売所開いているはず」
週三回、午後しか開いていない直売所は、うっかりするとタイミングを逃してしまう。
そこにキャラキャラと笑う子どもたちの声が聞こえてきた。九月に入って、小学校が始まった子どもたちが元気に学校へ向かっている。
「ここの子たちって、制服なんだね」
「服考えなくていいから楽だよ。結婚式もお葬式も制服」
「ほんとに?」
「うん。制服万能」
海人の感覚では、制服のある小学校はお金持ちの私立だが、ここは公立も制服だ。そして、お葬式はともかく、結婚式はかわいらしく着飾っているイメージがある。
子どもたちが歩く道の横を流れる用水路に、別の川の姿が重なった。コンクリートではなく、ただの土が固められただけの水路。
「海人、どうしたの?」
「え?」
「なんかいる?」
重なって見えた景色に目を凝らしていると、菜美が不思議そうにこちらを見ていた。
「なんか見えた?」
「……なんでもない。見間違い」
「そう」
車が通らないので、水の流れる音がよく聞こえる。
「あのハウスって、もともと田んぼだよね?」
「そう。定年退職のタイミングで、ハウスに変わった」
田んぼのあいだの一角だけが高く土を盛ってハウスになっている景色に、ここに来た当時から海人は違和感があった。
ハウスに一瞬田んぼの風景が重なることがある。
「海人もやってみたい?」
「どうかな」
そもそも、米か桃かを選べるほど、農業を知らない。
ハウスをなんとなく眺めていると、菜美が言葉を選びながら、海人にお願いをしてきた。
「あのさ、今週末、時間ある? うちで中学の同級生とバーベキューするんだけど」
「うん?」
「夏祭りのときに会った花奈から話が伝わって、海人も呼んでって言われてて」
「僕だけ?」
「翔は資格試験あるから……」
「……分かった。行くよ」
知らない人たちの中に入るのは少し面倒に感じるが、すがるような目に海人は断ることができなかった。
菜美は手を合わせながら「ありがとう」と言っているので、人助けだと思うことにしよう。
「そういえば、漫画の件どうなった?」
「あー、あれね。断ったんだけど」
「納得してくれた?」
「まだ。でも、報酬うんぬんじゃなくて、間に合わないのよ。ちゃんと調べないと描けないし」
新作を配布予定のイベントに間に合わせるには、時間が足りない。ただ次のイベントとなると年末なので、どうしても描いてほしいと言われているそうだ。
「干拓地のほうは……海人が正しいかも」
「なんか言われた?」
「姫のところは使わないでって言ったら、そこが一番キャッチーだって言われて……」
「それ、大丈夫?」
「でも向こうの言うことも分かるし」
「菜美の判断でいいんじゃないかな」
一緒にやっていきたいと菜美も思っているので、強く断れないようだ。
「もう一回ちゃんと話してみる」
「それがいいと思うよ」
田んぼの畔でこちらを見ている白い猫のほうへ、菜美が目を向けた。少し高くなった空を、雲が流れていく。
下校中の子どもたちの声が聞こえると、そろそろ夕方の外仕事の準備をしようか、という気になる。
午後のまだ日が高いうちに、桃農家の直売所へ向かった。
JAが行っている「農業塾」で桃やブドウ栽培を学べるそうだ。つないでいく努力が行われている。このまま本気で続けるなら、そういうところで一度学ぶのもいいかもしれない。いまさらだが。
「いらっしゃいませ。今日は、ピオーネとシャインマスカットが採れたてですよ」
「ピオーネを一つお願いします」
「好きなのを選んでください」
海人はシャインマスカットを買おうと思っていたのだが、菜美に食べるなら絶対ピオーネと言われたのだ。
黄緑と紫のブドウが、並べられている。しっかり見てみるが、すべて同じに見えて、どれが美味しいか分からないので、一番手前にあった紫のブドウを手に取った。
壁には「今年の桃は終わりました」と貼られている。隅に桃の絵が描かれているので、これも菜美が描いたのかもしれない。
「岡山の人は、ピオーネのほうが好きな人、多いですよ」
「実は初めて食べるので楽しみです」
「今年は朝気温が下がらないから、ちょっと色が薄いですけど、糖度は問題ありませんから」
本来はもっと黒に近い紫らしい。それが自然を相手にするということなのだろう。
自転車のかごにブドウを入れて、黄色へと色を変えつつ田んぼの中を進む。
まだまだ気温は高いが、夏が終わり秋へと季節は移ろっている。




