第18話 朝散歩
会合から三日後の朝、いつものように川掃除に行こうと玄関を出ると、翔が待っていた。今日は平日だ。
「おはよう。仕事は?」
「まだ時間がある。掃除、付き合う」
町内会の会合で、二人やればいいと言われたからなら、申し訳なさすぎる。
「いいよ。僕が勝手にやってることだから」
「今日はどこだ?」
海人の持つバケツをひったくり、歩き始めた。
「まずは源さん家」
ここのところ、川掃除は源の家から始めている。
「コロ、おはよう」
勝手に人の敷地に入ることにも、だいぶ慣れた。
納屋の奥で寝転がっていたコロは、海人を見ると起き上がって、うれしそうに寄ってきた。頭をなででほしいと耳を下げて待っているのがかわいい。
「犬好きなのか?」
「都会じゃ飼えない」
海人は、どんな犬でもかわいいと思うが、柴犬からレトリバーくらいの大きさの犬が特に好きだ。
耳の下をくすぐると、頭を寄せてくる。本当にかわいい。
「二人か」
「源さん、おはようございます」
翔は黙って軽く頭を下げた。
「コロの散歩も頼む」
「え、いいんですか? コロ、お散歩だよ」
うれしくて声が弾む。源と翔が笑っているが、そんなことも気にならない。両手で首の周りをわしゃわしゃしてから、リードを手に取った。
コロの先導で歩き始めると、ちょうど庭に出てきた菜美と会った。
「おそろいで川掃除?」
「おはよ。菜美も行く?」
「行く。コロは任せて」
「やだ」
用意してくる、と言い残して、菜美は家の中に入った。
ツクツクボウシの声が夏の終わりを告げている。
「急にどうしたの?」
「……別に」
「もし、会合で二人でやれって言われたことだったら」
「違う。ちょっと気分転換だ」
ふいっと顔をそらして、遠くの田んぼを見ている。
「ありがと」
「ふん」
仲直りの時間のために来てくれたのだといいな、と海人は思った。
しばらくして出てきた菜美は、しっかりと日焼け対策している。
ふんふんと道に残る他の犬の匂いをかいでいるコロのペースに合わせて、今日掃除予定のところへ向かう。
「漫画の依頼をもらったんだけど、今月中なの。それであんまり寝てなくて」
「干拓の漫画を見て?」
「そう。岡山城の話を書いてほしいって。イベントで配るんだって」
「すごいね」
SNSで公開している漫画は、少しずつブックマークが増えている。特に、姫の話が出たところから、増え方が変わった印象がある。
「観光協会?」
「町おこしのNPO団体。若い力で岡山を盛り上げましょうって」
「報酬は?」
翔が短く、質問している。
「もらえないけど……。でも、岡山のためだし」
海人の足が止まった。二人が振り向くが、コロだけは気にせず進もうとして、リードがぴんと張った。
「ダメだよ。菜美はプロでしょ」
「……次につながるかもしれないから」
「ダメ。一回やったら、次も無償でって言われ続けるよ」
「じゃあ、干拓の漫画だけにしようかな」
「それもダメ。報酬を提示しないような人たちだよ」
断固反対の海人に、二人とも不思議な顔をしている。
「海人は何でそんなに反対なんだ?」
「干拓のほうはもう公開してるのに」
「だって、あれは菜美の祈りでしょ? 氏神さまへの」
ここの人たちが大切に思っている姫への、そして土地への祈りの作品なのだから。
「クリエーターを大切にしない人たちに渡しちゃダメ」
「海人が怒るの、新鮮」
「会合のときもこんなだったぞ」
そうだろうか。そうかもしれない。そういう無言の圧力というか、善意にただ乗りする空気に、腹を立てていたのかもしれないと、今さらながら思い当たる。
「あー、あれね。海人の株が上がったよ」
「え? 出ていけって結構言われてるよ?」
「そう思ってない人もいるってこと」
「なんで?」
「これで翔くんの負担が少し減るねって」
「俺?」
突然名前を出された翔が、口を開けたまま、自分を指さしている。
意味が飲み込めると、翔はくすぐったそうに笑った。
「海人の印象変わった」
「そう?」
「前なら東京帰ってたでしょ」
「たしかに」
けれど、いまだってそう変わらない。本当にいやになったら出ていけるから、まあいいかと流せているのだ。
「翔は、仕事落ち着いたの?」
「仕事は。ただ資格試験を受けないといけない」
「また今年も?」
「毎年、稲刈り時期なの、勘弁してほしい」
年一回と決められていて、それが稲刈りと重なるなら、今年は大変だから来年、という選択ができない。
川のゴミを探している翔は、諦めているのか、言葉とは裏腹に軽く流した。
「合格しないと何かあるの?」
「今年のは、昇進できない」
そんな試験が稲刈りと重なるのは、タイミングが悪すぎる。
そのとき、コロが急に頭をあげた。その視線の先には、川の向こうにいる白い猫。
「あの猫って、どこの子?」
「どこっていうのはなくて、地域猫」
「寝床は中川さんち」
「原さんちじゃない?」
本宅に別荘まであるのか。海人よりいい生活をしているかもしれない。




