第17話 源の過去
「おい、今日は飲むぞ」
夕方、タッパーに入った総菜とビールを持った源が、問答無用で家に上がってきた。
これは、昨日のことを怒られる。海人は覚悟を決めて、箸や食器を用意した。
蒸し暑さは変わらないのに、外からは早くもリーリーと秋の音が聞こえてくる。
机の上に広げられたタッパーには、トマト、ナス、キュウリ、ピーマン。海人のオクラを足せば、夏の畑そのものだ。
「昨日は出しゃばったことを言って、すみませんでした」
「おまえさんのおかげで、翔くんへの当たりは弱まったから、まあえかろう」
「今朝、偉そうなことを言うなら出ていけって言われました」
「じゃろうな」
「出ていかれたら困るの、自分たちなのに」
一瞬手を止めてから、源は野菜を口に運んだ。
「わしは、おまえさんを見誤っとったかな」
「翔を見てられなくて。犠牲になんてならなくていいのに」
翔にもあきれられたが、海人だって怒るときは怒るのだ。そして、そういうときに口が悪くなる自覚はある。
「あの子は昔から辛抱強いんじゃ」
「でもみんな、犠牲にした人間のことなんて、すぐ忘れるんじゃないかと思います」
犠牲にしたと自覚がなければなおさら。きっと翔は恨み言を言わない。だからこそ、見ていられない。
「で、翔くんとは仲直りできたんか」
「たぶん」
翔は本音を話さない。海人を認めていないからではなくて、菜美にも話さない。
「翔はもう半分くらい諦めてるんじゃないかな」
「そうかもしれん」
「自分のためには、ああいうこと言わない気がして」
翔の静かな目は、覚悟を決めているように見えた。あの提案は、残される父と、そして海人のためなのではないだろうか。そんな気がして、あのとき口を出さずにはいられなかった。あの結末を、翔はどう思っているのか、聞きたいけれど、そこまで踏み込めないでいる。
アマガエルの鳴き声に混ざって、ウシガエルの低い声が響く。
「源さんの若いころの話、聞きたいです」
「広島で働いとったぞ」
「え? ここの人じゃないんですか?」
「ここの出身で、仕事であっちに行ったんじゃ」
きっと源は仕事ができたに違いない。もしかして、昭和のモーレツ社員だったのだろうか。
「父親が倒れて帰ってきた」
「こっちでも仕事を?」
「昔は若いもんがいっぱいおったからな」
二本目のビールを開けながら、懐かしそうに話している。そのころも、こうやって仲間たちと飲んだのだろう。
「仕事しょうるときは土日だけ、退職したら専念する。それでいままでは何とかなってきたんじゃ」
「これからは無理でしょう」
「じゃな。うちも、息子はやる気があるんかないんか」
そういえば、源の家族が田んぼや畑を手伝っているのを見たことがない。
源はお酒のせいか、いつもより饒舌だ。
「翔くん家はな、じいさんばあさんが早うに亡くなってしもうて、それで翔くんも小さいころから手伝ようた」
亡くなった人たちを思い浮かべているのか、少し遠い目をしてから、源はキュウリを口に入れた。
きっといままで翔は、たくさんのことを我慢してきたのだろう。
翔の声が、あの日とは違う温度で思い出された。
別の響きとして、海人の心に刺さる。それは、助けを求める叫びのようで、重く、悲しい。
「まあ、ええ機会じゃ。これでちっとは考えるじゃろ」
「そうでしょうか。結局翔が押し付けられる気がしますけど」
源は缶を置くと、海人を見た。
「お前さんはここを壊したいんか?」
「というより、もう無理だから、壊れるなら早いほうがいいかなって」
海人は、お酒をグイッと飲んでから、トマトを箸でつかむ。
「このままだと、翔は悪くないのに、全部翔のせいにされそうで。それって、ずるい気がします」
翔が我慢すれば丸く収まる。そういう空気が、すごくいやだ。
「源さんは?」
「……なんとか壊れんでくれと思っとる」
それは、ささやくような小さな声だった。目を伏せている源が、いつもより小さく見える。
海人とは視線を合わせず、源はビールを飲みほした。




