第15話 流星群とわらの船
厳しい暑さの中、田んぼは濃い緑に染まり、風で揺れる様だけが涼しさを演出している。
八月の盆が近づくと、スーパーにお盆用品が並ぶようになった。
「わらの船?」
初めて見るが、通りがかった人が、思い出したように手に取っていく。祖父の初盆は、東京か千葉で七月にすでに行われたはずだ。けれど、人生の終盤をこの地で過ごした祖父を、八月の盆で偲ぶのもいいだろう。何に使うのかよく分からないながらも、買って帰った。
「岡山、盆、わらの船」でネットを検索すると、なじみのない風習が出てくる。船に、花や故人が好きだったお供えものを入れて川に流すらしい。
真似事ではあるが、祖父が選んだこの地のやり方で、迎え、そして送ってあげよう。
ゴミステーション近くですれ違った際に、海人は菜美から飲み会に誘われた。
「白井さんたちと駅のほうに飲みに行くんだけど、一緒にどう?」
「白井さん?」
「岡さんの田んぼのところのご夫婦」
岡さんの田んぼは何年か前に埋め立てられたそうで、いまは四軒の家が建っている。掃除当番で顔は合わせているはずだが、どの人かは分からない。
「どうして僕?」
「代行の割り勘要員」
「代行?」
「帰りに、乗っていった車を運転してもらうの」
タクシーのようなものか。
街中に飲みに行ったことはないので、参加したい。けれど。
「ごめん。その日はやりたいことがある」
「そっか」
「また誘って」
「うん」
町内の人と仲良くなるせっかくの機会だが、その日は外せないのだ。
菜美に飲み会に誘われた日の夜、海人は庭にシートを敷いて、空を見上げた。
ここに来て、空の広さを知った。そして、星の多さも。
岡山の西のほうには美星町という、名前のとおり星空の美しい町があるらしい。いつか行ってみたい。
「流れた!」
今夜はペルセウス座流星群がよく見える夜。特に星空観察が好きなわけではないが、海人はニュースで見てから、この日を待ち望みにしていた。
「また! すごいなあ」
いままでの人生で数えるほどしか見たことがなかったのに、それを超える流れ星をこの短時間で見ている。しかも、家の庭で。
気づくと、星を探す歌を口ずさんでいた。田んぼから聞こえるカエルの鳴き声を伴奏に。
この感動を形に残したい。流れ星の撮影に挑戦しよう。
海人は、ネットで調べたとおり、三脚にスマートフォンをつけて、空に向ける。何枚も撮れば、一枚くらいには写っているかもしれない。
しばらくしてから確認すると、一枚だけ流れ星が写っていた。
海人:流れ星撮れた!
菜美に写真を送ると、しばらくすると、星のスタンプが返ってきた。
海人はスマートフォンを置いて、寝転がった。蚊取り線香の香りに包まれながら、空を見上げる。星は、てっぺんから四方八方に広がり、尾を引いて流れていく。
「流れ星が多すぎて、願いごとできないな」
海人は、流れる星に手を伸ばした。
十三日の夕方、玄関先で迎え火をたいた。
この地方では迎え火の代わりに軒先に灯篭を飾る風習があると見たので、祖父の荷物を探してみたが、見つけられなかった。涼し気な灯篭が飾られている家があるが、それだろう。
祖父はこの家に帰ってくるだろうか。縁もゆかりもないこの地に移り住み、一人で過ごした祖父は、何を望んでいたのだろう。
翌日、朝から源が家を訪れた。
「ブロッコリーの種はまいたか?」
「はい。あそこに」
「ほんなら、にんじんじゃ」
今日はにんじんの種まきと決まった。
源の指示のもと、鍬を使い畝を作り、表面を平らにする。前よりは、少し上手にできた気がする。畝がまっすぐになっていないし、高さもそろっていないが、源が何も言わないので、問題ないのだろう。見た目のきれいさは、味には関係がないはずだ。
「このへんとこのへんに、溝を作る」
「これくらい?」
鍬の柄で土をなぞり、種をまくためのくぼみを作っていく。
「それでえかろう」
「ちょっと待ってください。写真とりたい」
来年は一人でできるように、記録しておこう。祖父の本に、実際の作業を簡単にメモで残して、あとは写真を見れば、思い出せるはず。
畑には、セミとカエルの鳴き声、それにカメラのシャッター音だけが響く。
「待たせてすみません」
「あれは迎え火か?」
源は玄関横にある迎え火の燃えかすを見ている。
「ええ。真似事ですけど」
「……あとで線香、あげてもええか?」
「お願いします」
それから種をまき、土をかぶせてから水をやり、わらを載せて、種まきは完了した。
源を家に招き入れるのは初めてだ。
床の間に通すと、置かれた鎌を見て、源が足を止めた。
この家には祖父の写真も位牌もない。だから海人は、スーパーで買ったござの上に、祖父の使っていた鎌を置いている。船は最終日まで出番がない。
祖父の好みが分からず、お盆のお供え菓子として売られていたものを供えている。そんなものではなく何か食べたいものがあっただろうが、知る術がない。その代わりに、この家に来た当初に処分した牡蠣のアヒージョの瓶詰を買って供えた。
源が線香をあげているあいだに、海人は冷たいお茶を用意した。
「線香立てもないんか」
「仏壇がないんです」
お葬式は仏式だったが、この家には仏壇がない。だから、線香はお皿に置いている。祖父には信心があまりなかったのだろう。
「でも、祖父が帰りたい場所は、ここなんじゃないかなって」
「そうかもしれんな」
緑の田んぼの上を抜けた風が、開けた窓から家を通り抜ける。
足を崩した源が、お茶を飲みながら、ふと漏らした。
「翔くんとは、まだケンカしとんのか」
「え?」
「菜美ちゃんがな」
手の中のコップを見る。あれから、海人は一度も話せていない。家に行っても会ってもらえず、すまなそうにする翔の母に申し訳がなくて、足が遠のいた。メッセージも既読にはなるが、返信はない。
「お遊びで農業やってるって言われました。自分でもそうだなあと思っちゃって」
「……最近は頑張りょうる」
外に視線を逃し言葉をにごす源に、思わず笑いがこぼれる。
「もっと気軽にできればいいのに」
「お前さんは軽いのう」
けれどそれは否定ではなく、すこしうらやましさの混ざった温度だった。
十五日、飾っていたキュウリで作った馬とナスビの牛、それにお供えのお菓子をすべて船に入れる。川には流さず、市が指定する収集場所に持っていくのだ。牡蠣のアヒージョは入れられないので、今夜代わりに食べよう。
自転車のかごに船を入れ、出発しようとしたところに、菜美が訪れた。手にバケツを持っている。
「花火しよ」
「これから船を持っていかないと」
「だから、送り火」
手持ち花火のセットをかかげて、笑った。
菜美は手早く水を入れたバケツとろうそくを準備すると、用水路にかけられた小さな橋の上で、用水路に向けて花火を始めた。
田んぼの向こう、別の用水路で同じように花火をしている子どもの明るい声が、風に乗ってくる。
「子どものころは、毎年してたよ」
海人の視線を追った菜美が、昔を懐かしむように言った。
「これって送り火になるの?」
「さあ? でも怒らないでしょ」
そうかもしれない。祖父については源に聞いたことくらいしか知らないが、きっと海人が迎えようと迎えまいと気にせず来て、勝手に帰っていく気がする。送り火が形式にのっとっていなくても、笑っていそうだ。
一つ花火を取り出して、火をつけると、勢いよく白色の光が広がる。煙が自分に向かってきて、橋の反対側に向けた。
「菜美ちゃん、花火か。ええのお。そっちは?」
「尾上海人です」
「ああ、尾上さんの。じいさんの盆か」
自転車で通りがかった菜美の知り合いは、海人を見て、尾上の家を見て、そしてうなずいた。「しっかり送ってやれ」と言いながら去っていた男性に、負の感情はなかった。気づくと海人は笑っていた。
用水路の水面に映る花火を見ながら、祈る。
祖父が迷わず帰れますように。




