神の住む街
噴水広場は、昼の賑わいの真ん中だった。
鍋の中でカレーが静かに煮え、香りだけが先に客を呼ぶ。
列は途切れない。声も笑いも、いつも通り。
「はい、次どうぞー」
カツミが声を張る。
アルバイトのエレナが手際よく皿を出し、銅貨をうけとる。
タケシ、今日は時間かかるって言ってたなぁ。
——せやのに。
カースケが高い屋根に止まった。
マシロがシッポを立てた。
カツミの手が止まった。
ーーなんや。
冒険者も、商人も、顔なじみもおるけど、なんかいやな感じや。
どこや。
カレーをよそいながら、さりげなく遠くを伺う。
ーーいた。
群衆の向こうに、一人だけ、動かん男。
どこにでもおる冒険者。
そいつだけが、じっと、カツミを見ている。
しもた。目が合った。
その瞬間、音が、遠のく。
……あかん、息が、吸えへん。
喉を締められたみたいに、胸が詰まる。
「っ……!」
手から力が抜け、皿が滑ってカランと落ちた。
周りがざわつく。
「店長!」
エレナが駆け寄る。
その横を、マシロが弾かれたように走り抜けた。
カースケが遅れて、鋭く空へ跳ね上がる。
くそ。遠い。
視界の端で、あの男がわずかに手を動かした。
遠くなる意識をそいつに向ける。
その時ーー
胸元のペンダントが、じん、と熱を持った。
騒然となる広場。
次の瞬間、男の姿が、ふっと消えた。
男を逃がしたマシロがもどってきて、倒れているカツミの頬を、必死で舐め続けていた。
ぼんやりした意識の中で、タケシの声が聞こえる。
「カツミ、しっかりしろ」
あ、帰ってきた。と思った途端、また意識が飛んだ。
カースケが知らせた。タケシは全速で戻った。
見えたのはーー
キッチンカーの中で倒れているカツミ。
オロオロするエレナと一心不乱に舐めているマシロを避けて、カツミを抱き起こした。
大丈夫だ、息はある。
「カツミ、しっかりしろ」
一瞬反応したが、また気を失ったようだ。
黒馬車に飛び込み、カツミを寝かせる。マシロとカースケが飛び込んでくる。
「エレナ、すぐに誰か寄越すから」
そう言うと、タケシは馬に鞭を入れた。
白い湯気の中で、カツミは小さく寝息を立てている。
手を握り、うつむくタケシ。
「スクナ様、どうでしょうか」
「あぁ大丈夫じゃ。明日には起きるだろう」
湯気からぴょんと飛び出した小さな神、スクナは言う。
「あの石が守ってくれたようじゃ」
カツミの胸のペンダントを指差した。その中心の真っ赤な小さな魔石。
「スクナ様、あれは魔法だと思います。冒険者、いえ、魔道士だったと」
「そうじゃな、じゃからあの石が守れたのじゃろう」
こぶしを握るタケシ。
「タケシよ、焦るでない。
この神の住む町で、そのような魔法を使うなど、あってはならんことだ。
お主が動く前に、とうに動いておる。
お主は、ただカツミに沿っておれ。わかったな」
「はい」
そう返事しても、タケシの心は揺れていた。
タケシは、眠っているカツミの顔を見ていた。
膝に置いたこぶしに、力が入る。
静かに立つと、枕元のマシロの頭を撫でた。
夜の闇の中を、走り続ける黒馬車。頬を打つ風が冷たい。
タケシはずっと前を見ていた。
ーー広場だ。もう誰もいない。
冷たい空気と、キーンとした静けさ。闇に紛れる黒馬車で、タケシはゆっくりと周囲を見渡すと、大きく息を吐いた。
ギルドに向かおうと、馬を動かした矢先、目の前にひとりの神が降り立った。
「ヤマト様、そこをどいてください。」タケシは低く言う。
ーー「戻りなさい」
タケシは動かない。
ーー「戻れ」
ヤマトが一歩前に出る。
タケシは、ヤマトの纏う冷たい気に、逆らえないことを悟った。
カツミのところに戻ると、オモジイが座っていた。
「何をしておった」
「オモジイ、カツミは狙われたんや」
「もう終わっとる」
「終わってない」
「タケシよ、ここは神の住む町じゃ」
「終わったんじゃよ」
タケシは唇を噛んだ。
翌朝ーー
一睡もせずカツミのそばにいたたけしの前に、ヤマトがふっと現れた。
「捕らえた」
厳しい顔でそう言うと、またふっと消えた。
3日程でカツミは起きられるようになった。
タケシは今、納屋で馬車を触っている。
「クソっ。折れた!」持っていた工具を叩きつけた。
カツミが、落ち着いたらすぐにでもカレー屋台をやるという。タケシは絶対にダメだと言う。
「なんでよ。みんな待ってる」
「あかん。許さん」
「でも、神様がちゃんとしてくれてるやん」
「あかん。何がちゃんとや。なんも分からん」
「そんでも」
「あかん言うたらあかん」
平行線だ。
これ以上話してカツミを興奮させたくない。
タケシは黙って部屋を出た。
仕事をしようと思っても手につかなくて、町に出て話を聞き回ったが、何も分からない。
広場は、何事もなかったかのように賑わっていた。
「何でみんな平気なんや......」
「クソっ頑固もんが!」
工具を2本ダメにしてうなだれていたら、ひょっこりクニオが現れた。
「お見舞いに来たー」
と言うと、スタスタ家に入って、しばらくしたら出てきた。
タケシの横に座るクニオ。
「元気そうだった。もう大丈夫やね」
「大丈夫やないわい」
クニオの胸ぐらを掴むタケシ。
「なんも分からん。変わっとらん!」
クニオはタケシの手を解きながら、静かに話し始めた。
「タケシ、俺の義父、スサノーの怒りってさ、それこそ天地が割れるほどでさ」
捕らえた魔道士は、何も聞き出せないうちに、魔石の作用で死んだという。
カツミにかけた魔術も、魔道士が死んだ魔術も、国では禁止されているものだった。
「義父とヤマトが調べているんだ。心配することはないよ」
「なら何で、何にも教えてくれへんのや」
「ん?言って、何になるの?」
「カツミは死にかけたんや」
「でも、ここは神の住む町だよ。君達は、僕達の子だ。任せておいて欲しいな」
「......」
「それにタケシ、そんなに悩んでたらハゲるよ」
「これ以上ハゲへんわ」
「アハハ、まぁあんまりカツミちゃんに心配かけないでね」
そう言うと、クニオはスタスタ帰っていった。
「そういうことやないんや」
タケシはつぶやくと、また仕事を始めた。
1週間程で、カツミは動き始めた。
店の営業はエレナとオットーにさせて、自分は作るだけにする。
カツミがそう言っても、タケシは決して首を縦に振らない。
「何でやの。もう動かせる」
「何でお前が平気なんか、俺にはわからん」
「だってみんなもう普通にしてるやん」
「神様おったらそれでええんか、違うんちゃうか」
「あんたかて散々世話になっといて、そんな言い方ないやろ」
「......」
思わず手が出そうになって、タケシはクルッと後ろを向いた。
「とにかく、あかんもんはあかん!」
そう言って部屋を出た。
黒馬車に乗って走り出す。
ーーあかん、冷静になれ。
あー。カツミは強い。俺よりきっと。
俺はどないしたらええんやーー
当て所なく走って戻ってくると、スパイス工房からカツミの声が聞こえた。
「なぁマシロ、ホンマにタケシって頑固でかなわん」
「キュル?」
「心配してくれてんのはうれしいけど、ちょっとな」
「きゅん」
「うちはストレスでハゲが進まんか心配や」
「うるさいわ!」
「あっ。聞かれとった」
ヘラヘラ笑うカツミの手には、ペン。
「タケシが納得するまで、店は休むわ」
「そうか」
「まぁ色々な。寝てる間に考えてたこともあるし、ちょうどええから。うん」
「そうか、無理すんなよ」
あー。もう前向いとる。
やっぱ勝てん。




