12皿目:答えまで、あと。
建国者聖堂。
巨像都市の最下層近くにある、都市開拓最初期に掘られたという岩盤建築の聖堂は、剣闘士たちが祈りを捧げたり、商家が祈祷をしたりする礼拝堂的な役割を果たす建物です。
でも、今はそんな背景は、どうでもいい。
この7日間で決めた”答え“を、ベルさんに伝えなければならない。
ワタシは、重たい聖堂の扉を開き、ゆっくりと歩みを進めます。
聖堂の中には、輝石ランプの揺らめく灯りがポツリポツリと吊られており、一番奥に、ベルさんの背中が見えます。
周囲には、たまたまなのか、人影はありませんでした。
一歩ずつ、自分の気持ちを、言うべきことを、確かめるように、薄ら灯りを抜けていきます。
聖堂の最奥。
建国者フラクを象った巨像が、厳しくも慈愛のある表情で見下ろす先で、ベルさんは巨像を見上げていました。
ワタシが来たことには、多分、気づいているはずです。
ワタシは立ち止まると、静かに深呼吸して、最後の覚悟を決めます。
「ーーーーーベル、さん」
そして、これからを大きく変えるための言葉を、紡ぐのです。
「…………ーーーーーー」
その言葉に、ベルさんはーーー。
***
ベルさんの正体が分かった翌日。
ティトは部屋に籠もったままで、出てくる様子はない。
声をかけても、反応もない。
今回の一件は、私が考えていた通りの、大きな傷になってしまっているのだろう。
ベルさんが立ち去った後、ティトはただ静かに泣くばかりだった。
……あの子が泣いたのを見たのは、いつ以来だったか。
私の記憶が正しければ、父と母が帰って来なかった日からしばらく経って、初めて剣闘士になった頃だった筈だ。
ティトはティトで、必死に様々なものを堪えていたのだろう。
それが、一線を超えてしまったのだ。
アグラルさんからは、仕事は休んでいいと言われている。
故に、家でティトと無言の問答を続けているが、ティトはまだ何かを言うつもりはないらしい。
これまで、色々な悩み事を共有してきたが、この短期間でティトは大きく変わった。
だが、ふさぎ込む様子は、父母を失った直後と同じものだ。
それほどまでに、ベルさんの存在は大きくなっていたのだろう。
もて余す時間で、考えを巡らせる。
頭に血がのぼっていて冷静さを欠いていたが、私自身の中でも情報整理をしなければいけない。
だって、ベルさんが酷い男だとは、やはり思えないのだ。
貴族であり、婚姻の自由が無いのは、事実なのだろう。
しかし、一方で、ティトへの想いもまた、事実なのだと感じている。信じたいという希望も、混じっているかもしれない。けれど、これまで長くとまではいかずも、短くはない時間を一緒にいたのだ。それくらいは、わかっている、と、思いたい。
「……こういう時こそ、いつもみたいに強気で攻めてきなさいよね」
いつもの、と思えるほどには、彼は工房に入り浸っていたし、二人がいちゃつくのは見慣れた光景になっていた。
いつものように、それでも好きなのです、と、ベルさんが伝えてくれれば、いっそのこと、状況は簡潔だったことだろう。だが、現実はその通りではないのだ。
何か解決できる手段はないか、考えてみよう。
手酷く打ち付けた平手の感触を思い出しつつ、リリーメンという貴族について思考を巡らせる。
解決策、というか、二人が幸せになるという結末。
それを思いついて、ティトに提示して、ベルさんにも提示して。
具体的にどうすればいいのか、今はわからない。
でも、そういう道があるのだと。
そういう希望があるのだと。
私は示して上げたかった。
だって、私はティトのお姉ちゃん、なのだから。
***
整備が終わりました。
家に帰りました。
一晩経ちました。
眠っていたかもわかりません。
時間経過はあやふやで、誰が何を言っていたのか、わかりません。
わかりません。
なんでなんでしょう。
ただ、ワタシは、ベッドに横たわるだけです。
繰り返されるのは、ベルさんの残した言葉だけ。
「親愛なるティト・ロクシュラル様。どうか、このベルセッテに、けじめをつけさせていただけませんでしょうか」
貴族、リリーメン家の、ベルセッテ。
ベルさんは、そんな人ではありません。
いいえ。
ベルさんは、ベルセッテ・リリーメン、その人です。
否定の言葉が、自然と浮かんでは、思考を黒く染めていきます。
「貴女の事を愛しています。その返答を、僕に下さい。7日後、建国者聖堂でお待ちしています」
最後の、約束に、なるのでしょうか。
……きっと、そうなるに違いありません。
身分を偽っていたベルさん。
その事実は、消えはしません。
それが示しているのは、彼が貴族であり、平民であるワタシと結婚する事は、不可能だと言うこと。
それでは、ベルさんは最初から嘘をついていたということになります。
その全てが、偽りだった。
そう思えてならないという気持ちが、湧き上がってくるのです。
「…………ーーーーー」
あんなにも晴れ渡っていた心に、たったひとつ。
黒い雨粒が落ちただけで、ワタシはこんなにも萎れてしまう。
それだけ、ワタシの中のベルさんは大きかった。
いえ。今でも、大きいまま、です。
ワタシは、どうしたいのでしょうか。
ワタシは、どうなりたいのでしょうか。
結婚?
ムリだ。
妾?
イヤだ。
駆け落ち?
都市内では暮らせないぞ。
……。
ワタシは、わがままだったみたいです。
届くはずのないものが、偶然落ちてきて、愚かにも、その夢が一時の幻だと、気付かなかった。
だって、あり得ないでしょう?
貴族が、ワタシなんかと、結婚する、なんて。
『僕が好きになった貴女を、出来るだけでいいので、貴女自身が否定しないでほしい』
……そんなの、ムリですよ、ベルさん。
ワタシは醜くて、親もいなくて、人とも上手く喋れないし、剣闘士としても、未熟で、ワタシは、そんな自分を認められなくて、それでも、動けないんですから。
そんな自己否定。
そんな自己嫌悪。
そんな無力感。
堂々巡りの、堕ちていく螺旋。
意識を失う。
また起きて、同じ螺旋を落ちる。
その繰り返しが、幾度続いた頃でしょうか。
「……ティト。そろそろ、返事くらい、しなさいよ」
お姉ちゃんの声、でした。
疲れたような、苛立ったような、それでいて心配しているような、そんな声色。
ですが、この時のワタシは、その色に気が付きませんでした。
あとから思えば、睡眠不足と脱水、極度のマイナス思考が重なり、冷静さも正常な判断能力も、欠片も残っていなかったからだと、思います。
しかも、この時点で何度も何度も、お姉ちゃんはワタシに呼びかけたあとでした。
でも、ワタシにはそれが解っていません。
それどころか、黒い心は、そんなお姉ちゃんの声すら、黒く染めて聞かせました。
何を意図しているのか解らないまま、けれどその言葉は、ワタシを否定しようおしていると、そう、思ったのです。
必然、その言葉に、ワタシは反射的に返してしまいます。
「……放っといて」
掠れた声でしたが、自分でも驚くくらいに、真っ黒な言葉でした。
それを言われたお姉ちゃんが、その感情に気付かないわけがありません。
「ーーーーアンタ、だんまりから、ソレなの……?」
真っ赤に燃え上がるような炉。
そんな色の言葉でしたが、ワタシはもう、それ以上言葉を交わす気はありません。
「わかった」
お姉ちゃんもそれを察したのか、足音が遠ざかります。
これで、もう、誰にも邪魔されずに、沈めます。
そう思って、瞼を閉じようとした、その時でした。
「このっ!バカ妹がぁっ!!」
ドタドタという廊下を踏みしだく音、それに間伐入れず、バキィッ!と破砕音。
びっくりして飛び起きれば、扉をハンマーで蹴破ったお姉ちゃんが、怒髪天でした。
そのままハンマーを投げ捨てると、お姉ちゃんはワタシに飛びかかり、思い切り頬を張ってきました。
しかし、普段ならいざ知らず、今のワタシは真っ黒でした。
なので、そこから先は、お察しください。
「ーーーったいな!もう!!」
怒声とともに反撃、お返しの平手打ちをします。
組み敷かれた状態からなので、威力はそこまでありませんが、体格差は十分でしょう。ただ、その一回で、お姉ちゃんはさらにヒートアップしたようで。
「こンの!バカ!アホ!」
パァン!とさらに2回、乾いた音に頬が熱くなります。
その衝撃に理性の糸が切れ、ワタシは拳を握ると、思い切りボディに叩きつけます。
「ぐっ……は、効かねえ、なぁ!」
お姉ちゃんは、一瞬だけ顔をしかめるも、さらに反撃の平手打ち。
伊達に剣闘士をやっていませんから、生身でもそれなりには効くはずの打撃。そのはずでしたが、お姉ちゃんは引きません。
平手に負けじとさらにボディを打つと、今度のお返しはグーパンになり、鼻っ面が打ち据えられました。
鼻の奥がツーンと痛み、熱い液体が垂れる感触に、本気でキレました。
そこからはもう泥仕合です。
お互いが拳になった以上、倒れるまでが獣人族。
ひたすら、姉妹で殴り合いました。それはもう、グズグズのバトルでした。
理由もわからず始まったそれは、2、30の応酬はあったと思います。
部屋は荒れ、衣服も所々破れ、結果引き分けに終わりました。
ベッドで鼻血を垂らして力尽きるワタシ。
部屋の真ん前で、ぶっ倒れ、顔まで青あざをつくるお姉ちゃん。
しばらくは荒い吐息だけが続きましたが、ややあって、お姉ちゃんが再び口を開きます。
「…………で?アンタ、結局、ベルさんが好きなの?」
殴り合ったことで、黒い心は、一時的に身を潜めていました。
繰り返した螺旋も、ボーっとする頭では不完全でした。
故に、反射的に、ワタシはこう答えていました。
「好き、だよ。……でもーーー」
否定は、あとからやってきます。
でも。
強い、否定の言葉が。
真っ黒な、かけらが。
再びーーー。
ですが、それを、お姉ちゃんが遮りました。
「それが、アンタの答えなんでしょ?それを、否定すんなよ、このバカ妹……」
その言葉は、余計を消して、続きます。
「たとえ状況がどうであれ、アンタがベルさんを好きなのは、本当なんでしょ?」
それを否定なんて、するんじゃない。
ワタシが何も言えずにいると、お姉ちゃんはさらにこう言います。
「あたしも、考えてた。アンタがベルさんと一緒になる方法」
あぁ、お姉ちゃんは、やはりお姉ちゃんでした。
ワタシの、唯一の家族で、最後まで味方。
少しだけ冷静さを取り戻したワタシは、お姉ちゃんに助言を請います。
「どう……、したら、いいかな」
が、恋愛強者のお姉ちゃんも、流石に万能ではなかったようです。
「……わからん!そもそも、貴族の内情なんて知らないし!」
言い放つものの、全く解決策なしの開き直った態度です。
「ぇえー……」
解決策があって教授しにきたならともかく、ワカラン状態でワタシをボコボコにしにきたのは、本当に解せません。……いえ、ボコボコ騒動は、よく考えたら、ワタシのせいでしたね。
「いや、仕方ないでしょ。いくら頭捻ったって、知らなきゃ知らないに決まってるじゃない」
一呼吸置いて、お姉ちゃんは再度口を開きます。
「でも、ひとつ、言えることはある。それはーーーー」
それは、ワタシが、どうしたいか、決めるヒントになる言葉、でした。
■暦について
エス・リーア・フラクにおいては、建国歴が用いられている。
建国者フラクが建国した日を始まりとし、国が出来上がるまでを一括りとして1年と定めたもの。
樹海内にあるこの国には四季はなく、通年常温多湿環境にあるが、弱い雨期があり、分割された期がある。雨の期、雷の期、光の期、風の期の4つで、90x4の360日が1年となっている。
日付の記載は建国歴年+期+数字で表される。
建国歴はフラク・ニア◯◯◯年と表記する。
【雨の期 サー・ニア】
所謂雨季。日々雨が降る時期であり、この期の中頃に苗作りし、終わり頃から穀物栽培が始まる。この期は坑道内の氾濫が懸念されるため、採掘業は休業していることが多い。貯水池は潤い、貯蔵培養液も増産される。
【雷の期 レー・ニア】
雨季があけた突発的な嵐のある期。雨自体は雨季より少なくなるが、度々嵐と雷が都市を覆う。最も都市産業が停滞する期のため、剣闘士が忙しい期でもある。落雷は建国者像が避雷針になるため、ほとんど被害がない。樹海の火災は稀に発生するが、生木だらけなので、燃え広がることはこれまでに無い。
【光の期 リリー・ニア】
一番穏やかな期。作物がよく育つ収穫期でもある。反面、樹海の獣が一番騒がしくなる時期であり、狩人の事故率が一番高い。ティトの両親も、この時期の荒れた獣によって亡くなった。
【風の期 コル・ニア】
全てが平均的な時期。雨季の準備期間であり、事業計画などはこの時期に立案が進むため、比較的、議会や貴族、商家が忙しない時期である。
なお、作中では、現在、建国歴689年、風の期、第68日である。




