11皿目:ベルセッテ・リリーメン
試合に敗れ、フラフラと退場したワタシは、未だ事態が飲み込めないまま、整備室のベンチで動けずにいました。
アグラルさんは気を遣ってか、輝く銀色の跡を外すと、肩をポンポンとたたくだけで、整備に取り掛かってしまい、少し離れた所で作業中です。
この時のワタシは、アグラルさんが赤の英雄がベルさんだと気付いていない事すら認識しておらず、それ以前にほとんど放心に近い空転する思考状態で、アグラルさんの行動も気遣いもまったく視野にありませんでした。
考えが巡るのは、先の試合と、ベルさんの事だけ。
なんで?
どうして?
答えのでない問いかけは、同じものがグルグルと回るだけです。
赤の英雄さんに、負けた。
赤の英雄さんは、強かった。
ワタシは、弱かった。
ワタシは、足りなかった。
だけど、そんなことよりも。
赤の英雄さんは、ベルさんと同じ剣筋をしていた。
なんで?
赤の英雄さんは、ベルさんだった。
どうして?
ベルさんは、剣闘士であることを黙っていた。
ベルさんは、特別闘技に出ることを黙っていた。
ベルさんは、商談があると偽っていた。
なんでなの?
ベルさんは、貴族のエンブレムをつけていた。
あのエンブレムは、貴族だけが付ける事を許されたものだった。
ベルさんは、商家の出だと偽っていた。
貴族には、婚姻の自由なんて、ない。
なら。
ワタシに向けた言葉は。
好意は。
手紙は。
告白は。
全ては、偽りだったの?
なんで?
どうして、なの?
わからないよ、ベルさん……。
好きになったのは、間違いだったの?
胸が、痛いよ、ベルさん……。
問いかけるたび、ワタシの心は深く、深く、沈んで、目の前が暗くなっていく。
わからない事が、こんなに怖い事で、こんなに不安な事だなんて、知らなかった。
偽られた事が、こんなにも悲しく、絶望的に感じるだなんて、知らなかった。
ベルさんの事を考えるだけで、あんなにも活力が湧いていたのに、今はそんな気持ちも、感覚も、嘘のように消えてしまった。
なんで?
突然落ちてきた影ひとつで、この時のワタシは、青々とした世界が枯れたように変わってしまったとさえ、感じていました。
そんな思考が何回巡った頃だったでしょうか。
静かに、整備場の扉が開きました。
扉を開けた人は、ゆっくりと、躊躇うように、しかし真っすぐに、ワタシの目の前に立ち止まります。
「ーーーーティトさん」
呼掛けに、ビクリと身体を震わせるも、ワタシは顔を上げることができませんでした。
そうする事で、顔を見てしまう事で、何か決定的な事が起きてしまうのではないか、と恐れて。
でも、ベルさんの声色は、最早止まるものではありません。
「……気付いて、しまったのですね。僕が、赤の英雄だということに」
ワタシは、その言葉に、震えることしかできませんでした。
「……僕は、身分を偽っていた。僕は、ベルセッテ・リリーメン。リリーメン家の一員だ。その偽りを、謝罪します」
聞きたくない言葉は、聞かなければいけない言葉です。
それは、これまでの積み重ねた時間を否定するもののようで。
「でも、僕が気持ちを偽っていた事はありません」
ベルさんの言葉は、まるで雨の前の湿っぽい土埃のようで。
とても。
「信じられ、ません……」
ざらついた音、でした。
ワタシの口は、降り出しそうな雲。
決壊寸前で、けれど押し殺された、感情の切れ端だけを、ちいさく落としました。
堪えきれない、雫。
「ーーーそう、ですか。……そう、ですよね」
それは、拒絶の雨粒でした。
告げるべきではない、言葉でした。
落ちた粒が、土壌に染み込むほどに、その黒い染みが広がります。
それは拒絶であり、不信であり、隔絶の現れなのだと、言ってから気付きました。でも、もう返る事はありません。
ハッとなって、思わず顔を上げると、そこには。
「なんでーーーー」
ジワリ、と、堪えていた涙が、溢れかけ。
その瞬間ーーーーーー
「ベル、セッテぇ!!お前ぇえ!!」
バンッと勢いよく扉を開け放ったお姉ちゃんが、猛ダッシュでベルさんに詰め寄ると、なんと、思い切り拳を振るったのです。
「お姉ちゃん?!」
「っっ!!?」
振り向いたベルさんの頬にめり込んだ拳。
ベルさんは思い切りよろけ、しかし、そのまま倒れる前に、息の荒いお姉ちゃんがその胸ぐらを掴んで叫びます。
「なんでだよ!!なんでだ!!」
言葉の欠けた問いかけでした。
ワタシと同じで、感情がぐちゃぐちゃなままで、絞り出された叫びでした。
「……答えろ!ベルセッテ!!なんでなんだ!!」
その問いかけに、口の端を赤く染めたベルさんは、薄く笑って答えます。
「ーーーー全ては、僕の我儘、です」
追加の平手打ちが、ベルさんを打ちました。
その答えは、お姉ちゃんにとって、利己的なものに聞こえたのです。そして、ベルさんも甘んじてそれを受ける事で、その解釈を否定しませんでした。
よろけつつも、お姉ちゃんと距離をとったベルさんは、ワタシに改めて向き直り、恭しく、痛々しく、貴族の一礼をします。
「親愛なるティト・ロクシュラル様。どうか、このベルセッテに、けじめをつけさせていただけませんでしょうか」
儚く、消え入りそうな願いに、普段のベルさんの姿は、何処にもありません。
ワタシは、言うべき言葉を見つけられませんでした。
沈黙を是とし、ベルさんは告げます。
「貴女の事を愛しています。その返答を、僕に下さい。7日後、建国者聖堂でお待ちしています」
この時、ワタシは何を言えば良かったのか、答えはわからないまま、です。
***
ベルセッテ・リリーメン。
巨像都市エス・リーア・フラクの貴族議会、その80の議席のうちの一つを有するリリーメン家の次男であり、赤の英雄という名前の剣闘士でもある。
リリーメン家は、力のある者であれば、貴族でなくとも、種族すら問わず、要所に用いる柔軟な思考を持つ。同時に、古い貴族同士の関係性も仕来たりも重んじる、穏健派の家系だ。
その中のベルセッテという男は、しっかりした長男のスペアという立ち位置にも腐らず、家の立ち位置と関係性も理解し、わきまえた、じつに貴族らしい男だった。
それは、幼少より周りを見聞きし、立ち位置として正しい判断をしてきたベルセッテにとっては、予定通りかつ想像通りの現在であり、当たり前の事だった。
この先、きっと予想から大きく外れることもなく、貴族の一員として、国の歯車になるのだと、ベルセッテ自身も考えていたし、そこに異論はなかった。
その時、特に不幸も不満もなく、比較的幸福だと認識し、それを是としていたからだ。
だが、ある時。
ベルセッテは出逢ってしまった。
彼の、運命に。
夕暮れ時の、裏道。
ハンマーを手に佇む外骨格、そこに添えられた一輪の花。
雷に打たれたような、心臓を貫くような衝撃だった。
一目惚れ、というやつだ。
目にした瞬間に、この人だと、確信していた。
剣闘の後で、火照った身体を冷ましている一瞬だったのだろう。
剣闘に負けたあとなのか、それとも別の理由なのか、名も知らぬ彼女の顔は憂いに染まっていて。
ベルセッテは、その瞳に釘付けだった。
直感と言い換える事もできるかもしれない。
彼女は、自分の定められた未来を、変えてくれる力がある。
なんとなく、しかし、確信めいた何かを感じた。
種族も、出自も、関係ない。
この人しか、いない。
そう思った。
それより先。
ベルセッテは、よく行動した。
一時の気の迷いでない事を確かめるため、彼女の事を調べた。
どんな家系で、家族がどうで、何を生業にして、どこに住んでいて、どんな生活をしているか、調べた。
1日経ち、10日経ち、30日を過ぎても、確信めいた感覚は薄れることはなく、むしろ深まっていった。
同時に、彼女と婚姻するための方策を検討した。
道は狭く、実現はほとんど不可能に思えた。
それでも、諦めるなんて選択は、ベルセッテの中では存在しなかった。
独立や出奔のプランと、そのための準備、道筋を組み立てていった。
そのうち、彼女にようやく声をかけた。
予想していた性格、声、それ以上の反応と未知。
接していくごとに、確信は深まるばかりで、自分でも深みに嵌まる自覚もあった。
家を、家族を、しがらみを捨て去るつもりで、求められる役割に隠しながら、彼女との逢瀬を、文通を続けた。表向きは、アンブラ家の営業活動のうちだとして、隠し通してこれた。
いつか露見するその時までに、全ての準備を終える必要があって、しかし焦る訳にも、性急に進められる訳でもなかった。
周到に隠していたし、剣闘士としてはまだ交わるランキングではないし、順調に事を進められていた。
特別闘技は、予想外の出来事だった。
周到に準備しても、結果はこのざまだ。
選択の失敗が重なって、彼女に呆気なく、準備なく露見してしまった。
露見してしまった以上、隠すのはおしまいだ。
彼女がどんな答えを出そうと、僕は受け入れる。他は、ない。
受け入れてくれる可能性は、ほとんどないだろう。
論理的に考えれば、ベルセッテが全てを捨て去るなんてことは、貴族としてあり得ない選択だからだ。もし、それを飲んで受け入れるのであれば、彼女は一生貴族の日陰を歩む事になってしまう。それは、彼女の姉が許さないだろう。
彼女自身も賢く、ベルセッテが弄んだのだと、きっと考える。
例えどういう状況にあろうと、ベルセッテは彼女を愛し続ける自信があった。だが、愛されている自信と愛され続ける自信が、なかった。
ベルセッテは全てを捨て去る覚悟がある。
しかし、まだ時期尚早だった。
準備は終わっていなかった。
このまま出奔すれば、都市内でも生きられるかわからない。
樹海に出るなど、もってのほかだ。
ベルセッテには、最後にけじめを付ける事を請うのが精一杯だった。
おしまいである以上、自身の我儘で、これ以上彼女を悲しませたり、困らせてはいけない。
未練がましくけじめを請うより多くを、ベルセッテは求められなかった。
ーーーもし、貴族の枷がなければ。
それは、あり得ない仮定でしか、ないのだ。
***
とある貴族令嬢の日記より抜粋。
建国歴689年、風の期、第67日
ベルセッテ・リリーメン様の来訪があった。
手酷く打たれたらしい顔を隠しもせずに、予定より遅れての来訪だったため、理由を問いただしたが、明確な答えはなく、曖昧に濁された。
終始気の抜けた時間だったため、早く帰るように伝えた。最近していた隠し事について、何かあったに違いない。
一体、何年一緒にいると思っているのだろうか。繕う相手が悪いとしか言いようがない。他の誰かならともかく、私相手に隠しおおせると考えているあたりが彼らしい。
その先は、何かを書こうとした痕跡だけが残されている。
■巨像都市エス・リーア・フラクの治世
巨像都市は、建国者であり初代議会長であるフラクの設立した議会によって、その動向を決定している。フラクが存命中だった頃は、議会が補佐する形で、議会長が方針を定めていたが、フラクが没した後は、議会のみによる多数決で定められるようになった。正式名称は議会だが、貴族という通称が広がった現在では、貴族議会と呼ばれる事が通常となっている。
議会の決定している項目は多岐にわたり、農業、漁業、狩猟業、採掘、電力業、飲食業、軍事、剣闘士および整備士事業、製造業、執政立法までほぼ全ての決め事を司り、80人の議員と、その家系から選出された補佐官が執務を行っている。
当然ながらこれまでの歴史の中で専門特化が進み、家ごとに専門分野の棲み分けがなされるようになっている。
ちなみに、リリーメンやライへは、商業や製造業に役割をもち、製造業分野では外骨格開発などにも事業展開している家系となる。
■巨像都市と周辺国家・周辺地域
巨像都市は、樹海の中に隆起した岩盤をくり抜いたような構造体をそのまま都市として利用している。その立地から、樹海という自然の防壁に守られ、岩盤は堅固な城塞となり、樹海や地下資源による自己生産能力の高さを併せ持つという、コンパクトにまとまった、完成された都市となっている。
特に、外骨格開発は他国に抜きん出ており、この国に戦争を仕掛ける者は長らくでていない。
貿易自体はそれなりになされており、娯楽や嗜好品などはよく輸入されている。輸出されるものは地下資源や樹海でしか採れないものなどの一次資源がほとんど。




