CASE3-14 「その緊張も、あと二、三日よ」
「……あら、残念。面白そうだったのに」
その日の営業後、イクサから昼間の顛末を聞いたマイスは、口惜しそうに溜息を吐いた。彼女は、カルナが来店した時間にちょうど外出していた為に入れ違いになってしまい、結局彼女に会うことができなかったのだ。
「いや……面白くなんかないですよ……」
そんな、マイスのあっけらかんとした言葉に、顔を引きつらせながら首を横に振るイクサ。
「――そんなにアレだったの? スマラクトさんの彼女さん……」
「うーん、なんていうんですかね……」
マイスの問いに、イクサは口ごもる。
本当は、カルナと名乗ったスマラクトの彼女の様子に、漠然とした違和感と不審感を感じていたのだが、それはスマラクトに対しての単なる嫉妬なのかもしれないという思いと、同僚の想い人を見えない所で悪し様に言う事の後ろめたさもあって、今この場でマイスに言うのは躊躇われた。
なので、彼は、当たり障りの無い事を、上司に伝えるに留めた。
「アレっていうほどアレじゃないんですけど……。ちょっと、いい年をしていらっしゃるのに、言動と行動が若いというか……幼いというか……。人前で臆面もなくスマラクトさんを“スマスマ”呼ばわりしたりとか――」
「ス――スマスマ……?」
マイスは、彼の言葉に目をまん丸にして――思わず噴き出した。
「ス……スマスマ……! あの顔で……す、スマスマ……プ、ププ……!」
「ほら、マイスさんも笑うでしょ? いいですよね、マイスさんは。……俺とシーリカちゃんは、本人が目の前にいるから笑いをこらえなきゃいけなくって、もう大変だったんですから……」
「そ……フフ……それは――大変だったわね……」
仏頂面のイクサの前で何とか笑いを噛み殺そうとして、敢え無く失敗するマイス。よって、イクサの仏頂面はさらに険しくなる。
「そうですよ……おまけに、スマラクトさんの方も、彼女さんを“カルちゃん”って呼んで、すっかり鼻の下を伸ばしちゃって……」
「か! カ……カルちゃんっ? す――スマラクトさんが? ――あの顔で? 彼女を……カ、カルちゃん呼びっ――!」
マイスの腹筋は限界を超え、彼女は苦しそうに腹を抱えながら笑い転げる。
笑い過ぎた挙句、息を切らし、目尻に浮かんだ涙を拭いながら、彼女はしみじみと言った。
「あー、良かった……。私がその場に居たら、絶対に耐え切れなかったわ、そんな面白すぎる現場……」
「……でしょうねぇ」
イクサは、上司の言葉に深く頷く。
――と、マイスはキッと表情を引き締め、厳しい経営者の顔になった。
「……でも、部外者の彼女に、勝手にバックヤード――どころか、さらにその奥にまで入られたのは、一歩間違えたら笑い事じゃ済まないわね」
「……は、はい。――申し訳ございません、ボス」
彼女の言葉に厳しい響きを感じて、イクサは背筋を正して、緊張しながら謝罪した。
「あまりに行動が突然すぎて――更に、タイミング悪く、ほかのお客様が来てしまった事もあって、俺もシーリカちゃんも、カルナさんを止めることができませんでした。――でも、スマラクトさんが彼女を止めてくれたので、廊下の奥までは行っていないようです」
「……そう?」
イクサの言葉に、疑いの眼差しを向けるマイスだったが、彼は、自信ありげに頷くと言葉を続ける。
「もちろん、その後すぐに、シーリカちゃんと俺とで、バックヤードと廊下の各部屋の点検を行いましたが、異常はありませんでした」
「……収納庫も大丈夫だった?」
「あ、はい、もちろん」
イクサは、心配そうに問いかけるマイスに、力強く頷いた。
「収納庫の鍵は掛かったままでしたし、念の為に中も確認しましたが、例のモノはちゃんとありました!」
「……そう」
マイスは、彼の言葉を聞くと、安堵の息を吐いた。
「……まあ、スマラクトさんの彼女だから、そんなに心配する必要もないとは思うんだけどね……。どうしても、過剰に心配しちゃうわよね、アレが絡むと……」
「ええ、解ります……」
マイスと同じように、苦笑いを浮かべるイクサ。
「何せ、ショットマイール侯爵家の重宝にして、ガイリア王国に伝わる聖遺物のひとつを、収納庫に保管しているんですからね……。正直、この建物に居るだけで、毎日緊張感が半端ないですから……」
「あはは。正直、私もよ」
マイスも、イクサの言葉に相好を崩した。
そして彼女は、ふーっと息を吐くと、ニコリと笑って言った。
「……でも、その緊張も、あと二、三日よ」
「――あ! って事は――!」
顔を輝かせるイクサに、マイスは笑顔で頷いた。
「そう。かなり手こずったみたいだけど、ようやく飾り紐が仕上がったわ。明日、デパペーペ商会から納品される手筈よ。――今日、先方で確認したから」
「――ようやくですか……。あ、じゃあ、昼間に外出されていたのは――」
「そ。飾り紐の仕上がりの最終確認にね」
彼女は、満足げな表情を浮かべると、椅子に座ったまま大きく伸びをした。
「あー! ようやく、この重たいプレッシャーから解放されるわ~! ――今回の仕事、侯爵家には少し多めに工賃請求しちゃうからね! さすがに、侯爵家サマは、どこかの神官長とは違って、支払いを渋る事は無いと思うし……」
「……良かったですね、マイスさん。――というか」
心の底から嬉しそうなマイスの様子に、自分も表情を綻ばせながらイクサは言った。
「……マイスさんも、プレッシャーを感じる事があるんですねぇ」
「何よ、その言い方! ……私って、そんなに鈍感そうに見えるかしら? これでも、結構繊細なのよ、私」
「繊細……ですか」
笑いを噛み殺すイクサの顔を見たマイスは、ぷうと頬を膨らませた。
「だから、何よその顔! 何か、バカにされてるの、私っ?」
「い――いやっ! そ、そんな事は無いです、全然!」
「いーやっ! 絶対、今のしたり顔は、私の事をバカにした顔よ! 何よ、イクサくんのクセにっ!」
「……いえっ、だから違いますって……本当は――」
「意外と可愛い面があるんだなぁ……と思って」――と続けようとしたが、ハッと我に返ったイクサは、慌てて口を噤んだ。顔を真っ赤に染めて、手で口を押さえる。
その彼の仕草を見たマイスは、ますます眦を吊り上げた。
「ほら! 図星だから、言葉を詰まらせたっ! もうっ、アナタはっ! 上司を何だと思っているのよぉっ!」
「いや――だ、だから、違いますって……痛たたたた! こ、これって、パ――パワハラじゃあ……ッ!」
「問答無用っ! 上司をバカにした事に対する天誅よっ!」
「痛たたたたたっ! ギブッ! ギブウウウウウッ――!」
それからしばしの間、思い切り、ほっぺたを抓られ、悲鳴を上げるイクサの声が、取締役室に響いたのだった。
――が、それから約24時間後、取締役室に飛び込んできたイクサの第一声は、その時の嬉し痛がる声とは打って変わった、焦燥と驚愕と――そして絶望の響きに満ちていた。
「ま、マイスさん……っ!」
彼は激しく脈打つ心臓の鼓動で息を切らせ、顔面を蒼白にしながら、その恐ろしい事実を上司に告げる。
「が……ガルムの……“ガルムの爪”が――――き、消えました……っ!」




