CASE3-15 「ちょっと、私、行ってくるわ」
開け放たれた収納庫の扉の前で、呆然として立ちつくしている数人の従業員の耳に、タタタタという駆け足の音が届いた。
振り返った彼らの目に映ったのは、今まで見た事がない、顔面を蒼白にした店主の形相だった。
「……!」
つむじ風のような勢いで収納庫の前に到った彼女は、無言で扉の前の部下達を押しのけると、勢いよく部屋の中へと入る。その後ろを、上司と同じくらいに青ざめたイクサが続く。
収納庫に入ったマイスは、首をブンブンと回して、室内をくまなく見回す。が、それだけでは足りないとでも言うように、収納庫の壁面に据え付けられた棚の上の荷物や備品を掻き分け、漁り回り始めた。上司の行動を見たイクサも慌てて、彼女と同じ様に棚の中をひっくり返す。
しばらくの間、収納庫の中には騒々しい音が響いていたが、
「……無い……わね――」
静かな、そして、絶望の響きを含んだ声で紡がれたマイスの言葉で、その捜索はなんの成果も上げずに打ち切られた。
「……そんな……」
荷物や備品や書類が散乱した床の上にへたり込んで、信じられないといった表情のイクサが呟いた。
マイスも、呆然とした表情を見せたが、それは一瞬の間だけだった。彼女は、その美しい柳眉を吊り上げると、キリリとした顔で、イクサ達に問いかける。
「――最初に気付いたのは誰?」
「……は、ハイ、オレ――と、イクサです!」
そう言って、オズオズと手を上げたのは、工房の職人ギャンガラルだった。
マイスの傍らで、イクサも力無く頷く。
ギャンガラルは、視線を中空に飛ばして、記憶の糸を手繰り寄せながら話し始める。
「ええと……今日の昼下がりに、デパペーペ商会から飾り紐が納入されたんで、“ガルムの爪”に飾り紐を取り付ける為に、閉店を待ってから、この収納庫の鍵を持ったイクサと一緒に、ここまで来て……」
「……俺が鍵を開けて、ふたりで一緒に中に入ったんですが……“ガルムの爪”の収納ケースの中を開けたら――空っぽで……」
「――ちょっと待って、イクサくん」
イクサの言葉を、マイスが遮った。イクサは、彼女の声にビクリと肩を揺らし、伏せていた顔を上げた。
「は――はい。なんでしょう……?」
「君が、鍵を開けたのね? はじめから開いていたって事ではなく?」
「あ――はい」
イクサは、マイスの問いに小さく頷いた。
「確かに、俺が開けるまでは、ここの鍵は閉まってました。――あ、そうだ。朝、俺が出勤して確認した時も、鍵はキチンと閉まってました」
「……その、朝に確認した時には、“ガルムの爪”はあったの?」
「……いえ、そ――それが……」
マイスの言葉に、イクサはバツが悪そうに目を伏せる。
「あ! そ……それはですね――!」
と、イクサに代わって言葉を発したのは、涙目のシーリカだった。
彼女は、時折しゃくり上げながらも、気丈に答える。
「朝の――開店前のチェックは――ヒック……あたしとイクサ先輩でキチンと行って、“ガルムの爪”の収納ケースは目視確認したんですけど――、な……中を開けての……ヒッ……確認までは……」
「すみません……。収納ケースの目視確認だけしか出来てません……確認不足でした……大変申し訳――」
「……謝る事はないわよ。収納ケースがあれば、中身も無事だと思うのは、自然な事よね……」
イクサの謝罪を、掌を立てて遮り、マイスは力無く笑った。
そして、顎に指を当てて、目を細めて考え込む。
「……と、いう事は……。最悪、ガルムの爪は、朝の時点でもう無かった可能性もあるって事か……」
そして、顔を上げると、再び居並ぶ従業員を見回して、凜とした声で問いかけた。
「じゃあ……、最後にガルムの爪を見た人は誰? ――あ、収納ケースじゃなくて、ガルムの爪本体を見た人ね」
「――恐らく、ワシだ」
そう言って、片手を上げながら一歩前に踏み出したのは、工房長補佐のハアトネスツだ。
彼は、口髭を撫でつけながら、低い声で言った。
「昨日、ボスが戻ってきた時に、ガルムの爪の寸法を確認する為に、実測した。――というか、そもそもその時、その場にアンタも居ただろう?」
「ああ……そういえば。――そうだったわね」
マイスは、ハアトネスツの言葉に、伏せていた目を開けた。
「あれは確か――、午後5時くらいだったかしら……? じゃあ、大体――まる一日くらい、所在が確認できてないって事……」
「い――イエッ! それは違――!」
その時、マイスの言葉を遮って、一人の男が声を上げた。その場に居た全員の注目が彼に集まる。
「あ――! あ……、ソノ……」
全員の視線を一身に浴びて、スマラクトはたじろいだ。彼は、自分から口を開いた癖に、覿面に狼狽えながら、その額に珠のような脂汗を浮かべながら、視線をあちこちに彷徨わせた挙げ句、
「あ……イエ……スミマセン……。わ、ワタクシの勘違い――でした! ご、ゴメンなさい……先を進めて下さい……」
声のトーンと同じように、その身体もだんだんと小さくさせながら、ゆっくりと後ずさりしていく。
マイスは、胡乱げな視線を彼に向けていたが、その深紫の瞳を伏せると、気を取り直すように大きな溜息を吐いた。
「……これ以上、ここで考えてても埒が明かないわね。――イクサくん。このまま、収納庫を閉めてもらっていい?」
「え……? あ、は――はい。分かりました……」
イクサは、マイスの突然の指示に、取り敢えず頷いた。が、彼女の意図をはかりかねて、不安そうな表情を浮かべた。
マイスは、そんな彼と、詰めかけた従業員に向かって、優しい微笑を浮かべると、言葉を継いだ。
「ちょっと、私、行ってくるわ。みんなは、取り敢えず今日は上がって頂戴。――お疲れ様」
「え……?」
彼女の発した意外な言葉に、従業員達の発した戸惑いの声が、さざ波のように巻き起こる。
イクサは、彼女の表情と言葉に、不穏なものを感じて、思わず上ずった声を上げた。
「ま――マイスさん? あの……『行ってくる』って……どちらまで?」
「……そりゃ、決まってるじゃない」
マイスは、いつものように微笑もうとしたが――、その意に反して、彼女の表情は緊張で引き攣れてしまっている。
が、彼女は、己の頬を掌で軽く叩くと、その瞳に決然とした決意の光を湛えて言った。
「――ショットマイール侯爵家へ……よ」
「!」
彼女の言葉に、その場に居た全員が息を呑んだ。声にならないどよめきが、辺りの空気を音も無く震わせる。
そんな中、イクサが、恐る恐るマイスに問いかける。――彼の予想が、違っている事を祈り願いながら。
「マイスさ……ボス――! そ……それは、何をしに……!」
「……何をしに――って、ひとつしか無いでしょ?」
マイスは、殊更に戯けたように肩を竦めてみせて、言葉を継いだ。
「……今回の“ガルムの爪”紛失の件を、先方へ報告する為――」
「だ、ダメですよ、そんな事ッ!」
気が付いたら、彼女の言葉が終わる前に、イクサは叫んでいた。彼は、無我夢中で彼女を説得しようと捲し立てる。
「ま――まだ、紛失したと決まった訳でもないでしょう! まだ、探し切れていないだけかもしれないし、ひょんなはずみで、とんでもない所に転がっていって、隠れてしまっただけかもしれない!」
彼の言葉に、ギャンガラルやシーリカも、大きく頷く。
イクサは、更に言葉を重ねる。
「だ――第一、まだ侯爵家には、ガルムの爪が無くなった事は、伝わってないんです! それをわざわざ自分から伝えに行こうなんて――」
「……それ以上言わないで、イクサくん」
「――!」
マイスの静かな一言に、イクサの舌鋒は容易く折られた。他の者も、彼女の気迫に圧されて、静まり返る。
彼女は、イクサを睨めつけながら、穏やかで――それでいて、凜とした口調で言う。
「お願い――そこから先は、私が君を軽蔑してしまうから……止めて」
「……ま、マイスさん……」
「――私は、君に……この場にいる皆に言っているわよね」
マイスは、慈母のような優しい目で、この場の全員の顔を順番に見つめながら、言葉を継いだ。
「そう……『悪い報告こそ、早い段階で報告しなさい』って」
「――う……で、でも――!」
「何で、悪い報告ほど率先して報告しなければならないんだと思う?」
「……それは――」
「――もちろん、相手の方の迷惑を少しでも軽減する為……それもあるわ。でも、それ以上に大きな理由がね――」
マイスは、そこで一旦言葉を区切ると、小さく息を吸って、その場に居る全員に――そして、自分自身を諭すように言った。
「それが、組織を……仲間を……そして、自分自身を守る一番の手段だからよ」
「……マイスさん……」
彼女の言葉に、思わず絶句するイクサ達。
マイスは、ニコリと彼らに笑いかけると、小さく頷いて、両掌で軽く自分の頬を叩いてみせ、力強く言った。
「――大丈夫! みんな、私に任せて! このマイス・L・ダイサリィが、絶対にこの店と――皆を守り切ってみせるから!」




