CASE2-4 「今は修理の受付をさせて下さい!」
【イラスト・トド様】
バスタラーズ老人の来店から数日の間、ダイサリィ・アームズ&アーマーのカウンターは、比較的穏やかな日々を過ごす事が出来ていた。無理難題をふっかけてくるような客や、居丈高に振る舞い、マウントを取ってくるような輩の来店は途絶え、イクサ達の心も平安に満たされていた。
――が、
そんな平和な日々も終わりを迎える。
何故なら、ここは修理受付カウンターだからだ――。
「だからさあ! オタクらが水増しして請求してるんじゃないか、ってコッチは言ってるんだよ!」
そう怒鳴って、ちょび髭を貯えた中年の客は、ドンとカウンターを叩いた。
イクサは、自分のこめかみに青筋が脈を打つのを感じながら、殊更ににこやかな笑顔を作って、目の前の客に毅然と伝える。
「お言葉ではございますが、そういった事は一切ございません。明細は、こちらの請求書に明記してありますので――」
「だから! この請求書が信用できないって、コッチは言ってるんだよ!」
そうヒステリックに叫ぶと、客はカウンターの上に載った請求書をクシャクシャに丸めて、イクサへ投げつけた。
丸まった請求書はイクサの胸の真ん中に当たり、テーブルにポトリと落ちた。もちろん、ただの紙の塊なので、当たっても痛みなどは全く無かったが、視界が噴き上がる怒りで赤く染まりかける。
だが、彼は自制心を総動員して、沸いた怒りを腹の奥へと仕舞い込んだ。僅かに頬をひくつかせただけで耐えきったのは、以前の彼には考えられなかった事だ。
イクサは、大きく深呼吸をしてから、殊更に意識して、ゆっくりと言葉を発する。
「……恐れ入りますが、お客様は、どういった点にご不審を抱かれていらっしゃるのでしょうか? 差し支えなければ、お伺いしても宜しいでしょうか?」
「――不審も何も、私はロングソードの“修理”を依頼した訳では無い。研ぎだけをして貰うつもりだったのだ! それなのに、何だ、この『解呪技術料』とは? 私は、解呪なぞ頼んだ覚えは無いぞ!」
「……お客様、その事に関しては、見積連絡の際にもお伝えしております。――『ロングソードの切れ味が落ちているのは、刃毀れなどでは無く、切れ味鈍化の呪法がかけられている為であり、本来の切れ味を取り戻す為には呪法の解除が必要です』……と。その上で、お客様から進行のご了承を頂いて措置をしておりますので――」
「見積……ああ、アレか……」
イクサの言葉に、心当たりのある記憶が蘇ったのか、一瞬、客の勢いが鈍る。
――が、
「た……確かに、そんな説明を受けたような覚えはあるような気がするが……だが! その見積自体が出鱈目だったという事ではないのか? ――いや、そうに決まっている!」
「…………」
(クソ親父!)と、思わずイクサは心の中で毒づいた。
キリが無い。こちらはまだ、客の『ダイサリィ・アームズ&アーマーが見積金額の水増しを行った』という、事実無根で荒唐無稽な主張を覆す事が出来る証拠を持っている。
だが、それを続けざまに客の目の前に突きつけたところで、この客はますます意固地になるだけだ。
有効な物証を一番効果的なタイミングで出す事で、単なる事実の羅列が伝家の宝刀へと化けるのだ。
――そのタイミングを、イクサは慎重に見計らっているのだが……。実は、さっきから隣が気になって、集中できない。
(……大丈夫か? シーリカちゃん……)
彼は、相変わらず、口から唾を飛ばしながら、ありもしない修理料金水増しを主張する客の言葉を聞き流しながら、横目で隣の様子を窺った。
「だからさ~、今度一緒に飲みに行こうよ、おネエちゃん!」
「え……えと、あたし……私は、お酒があんまり飲めないので……その……」
「あんまりって事は、少しは飲めるんでしょ? いいじゃんいいじゃん! オレ、ソフトドリンクある所も知ってるからさ! ――おネエちゃん。今夜空いてる?」
「あの……! ゴメンなさい! 今は修理の受付をさせて下さい!」
「あー、うん、分かった! じゃあ、サッサと受付しちゃって! その後、今夜の計画を立てようね」
「いえ! そういう事では無くて……ですね」
隣のシーリカも、イクサに負けず劣らず困っていた。
彼女の目の前には、簡易型のプレートメイルを着込んだ、赤髪の軽薄そうな若い騎士が、ニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべて座っている。
騎士は、シーリカが困って嫌がっているのに気付かないのか、それとも敢えて気付かないフリをしているのか、カウンターの上に身を乗り出して、グイグイと彼女に迫っていた。
本来ならば、自分が速やかに対応を変わった方がいいのだが、折悪しく自分自身も、このしつこい客に嵌ってしまっている……。
残るひとりであるスマラクトは、三十分ほど前から所用で外出中……。
(……タイミングが悪い)
イクサは、思わず奥歯をギリギリと噛み締める。
巡り合わせが悪い。
正直、どうしようも無く悪いタイミングが重なって、螺旋階段を下るようにドンドン状況が悪化していく日というのが、一年の内に何日かある。――その“一年の内の何日か”が、今日だったのか……。
(とにかく、何とかして、シーリカちゃんを、この騎士から引き離さないと……)
イクサは内心で焦るが、目の前の中年客は相変わらずの事実無根な陰謀論を捲し立て続けていて、クロージングには、まだ時間がかかりそうだ。
ならば、どうするか……。
イクサは途方に暮れつつも、頭の中で、この状況を打破できる策を探す。
――と、その時、
「シーリカちゃん、工房のほうから、緊急で確認したい事があるんだって。――私に任せて、貴女は工房の方へ行ってきてちょうだい」
バックヤードの扉から、涼やかな声がかけられた。
「「……っ!」」
イクサとシーリカは、弾かれたように振り返る。
――そこには、柔らかな微笑を浮かべたマイスが、扉のノブに手をかけて立っていた。
マイスは片目を瞑ると、シーリカに向けて顎をしゃくる。(いいから、早くそこを離れなさい)――彼女の目がそう言っている。
そのサインを目にしたシーリカの表情がパッと輝いた。彼女はカウンターの向こうへと向き直ると、騎士に向かって深々と頭を下げる。
「申し訳ございません、お客様! 私はここで失礼させて頂きます」
「え――? ちょ、待てよ――!」
「後は、あちらの者がお客様の修理受付処理を引き継ぎますので――失礼します!」
そう言って、弾かれるように立ち上がったシーリカは、小走りに扉の前に行くと、マイスに目礼して、バックヤードの奥へと消えていった。
「おい! 待てよ、ネエちゃん! まだ話は終わってねえ――」
「いらっしゃいませ、お客様」
「――!」
カウンターから身を乗り出して、シーリカを追おうとした騎士の前に、柔和な、それでいて断固とした態度で立ち塞がったマイスは、にこやかな微笑を浮かべると、スカートの裾を持ち上げて、優雅に首を傾げた。
「ご来店頂きまして、ありがとうございます。――これより、シーリカに代わりまして、私……マイス・L・ダイサリィがお客様へのご対応を担当させて頂きますわ」




