CASE2-5 「私では不足ですか、お客様……?」
突然、眼前に現れたマイスを前に、気圧されたように固まる騎士。が、マイスが一礼して受付の席に腰を下ろそうとすると、
「――ちょ、ちょちょちょい待て!」
大声を上げて彼女を制止した。騎士の思いもかけないリアクションに、マイスは訝しげな顔をして動きを止める。
そんな彼女に、不満そうな顔を隠そうともせず、騎士は早口で捲し立てる。
「俺はさ、アンタじゃなくて、さっきの娘……シーリカちゃんだっけ? ……彼女とお話し――受付してもらいたいんだけど! アンタなんか、お呼びじゃないんだけどさぁ!」
「は――?」
全く予想外の言葉を投げかけられて、マイスの表情が凍りついた。いや、マイスだけではない。イクサや、他の客達も一様に凍りつく。イクサの目の前のちょび髭も、口をあんぐりと開けて真横を凝視している。
その中で、いち早く凍結から回復したのは、当のマイスだった。彼女は、ほんの少しだけ口元を引き攣らせながらも、嫋やかな微笑みを浮かべて、騎士へ問いかけた。
「――大変申し訳ございません。シーリカは、どうしても外せない緊急の用件が入ってしまいまして……。代わりに私が承り――」
「あーダメダメ! 俺、シーリカちゃんとしか話さないから!」
取りつく島もない様子の騎士の言葉に、周囲からは声にならないどよめきが起こる。
いつの間にか、いつもは客達の話し声や笑い声、時々怒声が行き交うカウンター周りは、シーンと痛いほどの静寂に包まれ、居合わせた者たちは、固唾を呑んで、マイスと騎士のやり取りを見守っていた。
「私では不足ですか、お客様……?」
対するマイスは、顔に微笑みを貼り付けたまま、あくまで平静を装い、小首を傾げて騎士に尋ねる。……眉間に皺が寄っているように見えなくもないが、動じぬのは流石である。
「不足? あー、そうそう! 不足なんだよ、不足! アンタには足りないんだよ!」
再び、声にならないどよめきと悲鳴が受付カウンターに充満した。イクサは、思わず椅子から腰を浮かせて、いざという時に、上司の事を自分が身体を張って止められる様に身構える。
そんな、周囲の緊迫した空気にも全く気付かない様子で、不満を顔面いっぱいに浮かべている騎士に対し、マイスは大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせてから、静かに問い直す。
「――大変失礼を致しました、お客様。差し支えなければ、私に不足している事を……お伺いしたいのですが……」
「不足しているところだって? そんなの、ここに決まってるだろ?」
騎士はそう言うと、両手の親指と人指し指で輪を作って、自分の目を覆うように当ててみせた。
マイスは、目を丸くして首を傾げる。
「ここって……どちらでしょ――」
「あー、もう鈍いなぁ、アンタ!」
騎士は、苛立たしげに大声を上げた。
「メガネだよ、メ・ガ・ネ! 俺はメガネフェチなんだよ! 言わせんな!」
「め――メガネ……フェチ?」
『目が点になった美人』というものを目の当たりに出来る男は、決して多くはないだろう。だが、この日この瞬間に『ダイサリィ・アームズ&アーマー』の受付カウンターに居合わせた男達は、その稀少な機会に立ち会う僥倖を得たのだ。
三度、カウンターに、驚きと危惧と歓喜がない交ぜになった、声無きどよめきが広がる。
その中心で、ゴーレムの石化魔法に中てられたかの様に硬直していたマイスだったが、程なくして正気に戻ると、コホンとひとつ咳払いをした。
「……あー。り、理解いたしました。――お客様は、私が眼鏡をかけていない事がご不満だ……という認識で宜しいのですね?」
「そう! そうなんだよ! だから、サッサとシーリカちゃんを呼び戻せよ! 早く!」
「……」
大きく頷いて、横柄な態度でシーリカを出すよう要求する騎士を前に、マイスは微笑みを崩さずに黙って座っている。――だが、その腸が煮えくりかえっている事を、一番身近に彼女と接しているイクサには、アリアリと感じ取れた。
(……ヤバい。これはもう、爆発するぞ……)
青ざめたイクサが、彼女と担当を変わろうと、席から腰を浮かせる。
が、いち早くその気配を察したマイスは、顔を騎士の方に向けたまま、カウンター越しの騎士には見えない位置で掌を立てて、彼を制止した。
そして、微笑んだまま、騎士に向かって深々と頭を下げる。
「――畏まりました。お客様は“眼鏡をかけた女性”による対応をご希望だという事ですね? 大変失礼いたしました」
「そ――そうだよ! 分かったら早く――!」
「では――少々お待ち下さいませ」
マイスは、騎士にもう一度頭を下げると、椅子を引いて立ち上がる。そして、ツカツカと靴音を立てながら、バックヤードの扉の方へと向かう。
(――まさか、騎士の言う通りに、シーリカちゃんを連れ戻す気なのか?)
「ぼ――ボス!」
不安を覚えたイクサは、思わず彼女の背中に呼びかける。マイスは扉を開けてバックヤードの中へ消える直前に、イクサの顔をチラリと見て、(大丈夫)と、口パクで彼に伝えてニコリと微笑みを浮かべ、部屋の奥へと入っていった。
――その直後、壁の向こうから、ドンッという衝撃音が聞こえたが……、何かに蹴躓いただけだろう、多分――きっと――絶対そうだ、うん。
それから10分くらいして、バックヤードの扉が開いた時、再びカウンターの空気は緊張を孕んだ――椅子にふんぞり返った一名を除いては。
「おい~! いつまで待たせるんだよ~。早く入ってこいよ~」
相変わらず、周囲の空気を読めない騎士は、扉の向こうに向かって横柄な態度で声をかける。
騎士の声に応じて、扉の向こう側から返事が返ってくる。
「――お客様、大変お待たせしました」
「って! アンタ、さっきの姐ちゃんじゃないか! お呼びじゃないんだよ、アンタは! さっさとシーリカちゃんを出せ――」
不満に満ちた騎士の声は、途中で尻すぼみになった。
彼だけではない。部屋に居る全ての男が、一斉に息を呑んだ。
「――彼女でなくて、大変申し訳ございません」
そう、詫びの言葉を言いつつ、カウンターの中に静かに入ってきたのはマイスだった。――が、先程と異なる点がひとつ。
彼女の顔には、赤いフレームのオーバルタイプの眼鏡がかけられていた。
「……じょ……女教師――」
誰かが呟いた一言に、全ての男達は深く頷いた。
……そこはかとなく……何というか……何ともいえず……エロい……。
彼女は、イクサを含む周りの男達の視線を一身に受けながら、澄ました顔で騎士の座るカウンターまで歩みを進めると、優雅な所作で椅子に腰を落とした。
そして、他の男達と同じように呆けた顔の騎士に向かって、静かな口調で問いかける。
「――お待たせいたしました、お客様。……『眼鏡をかけた女性』による対応をご希望でしたが、こちらで宜しいですね?」
「あ――……ああ……うん……」
すっかり毒気を抜かれた顔で、鸚鵡のように頷く騎士に、満足そうな微笑みを浮かべるマイス。
「有り難うございます。――では、これより、ご依頼の品の受付を――」
「あ……あのさ、アンタ……じゃなくて、ま……マイスさん!」
事務的な口調で話を続けようとするマイスの言葉を遮って、騎士は声を張り上げた。
目線を上げ、怪訝な顔をするマイスに、顔を赤くした騎士は一気に捲し立てる。
「マイスさんさ。良かったら、今夜一緒に――」
「修・理・の・受・付・を・さ・せ・て・頂・き・ま・す・!」
この期に及んで、今度は自分の事を口説きにかかろうとする騎士の言葉を、スタッカートのように一音ずつ切りながら遮るマイス。――顔は微笑んではいるが、その紫水晶のような目には、憤怒の炎がチロチロと上がっている。
「…………」
流石に察して押し黙る騎士を前に、それ以降、淡々と受付を進めるマイスであった――。
――なお、イクサが手こずっていた、修理金額の水増しを声高に叫んでいたちょび髭の客だが……。
隣の凄絶なやり取りを目の当たりにしてからは、憑き物が落ちたように素直になり、おとなしく修理金額を満額で支払いましたとさ。




