CASE1-13 「良い商談をお持ちしましたの」
息を切らせながら、イクサは必死で自分の上司の姿を追う。
マイスは、イクサの財布を掏り取った半人族の男を追って、ごった返す人混みの中を、まるで女豹のような身のこなしでスイスイと進んでいってしまった。
今や、彼女の日光を受けて輝く豊かな金髪は遙か彼方。イクサは、彼女の姿を見失わないようにと、必死で前方に目を凝らす。
その時、
「おい! 気をつけろい!」
「あ、す、すみません!」
小太りの通行人の背中にぶつかってしまった。イクサは、慌てて頭を下げて謝り、再び顔を上げて走り出そうとするが……。
「……いない……!」
先程まで確かに捉えていたマイスの後ろ姿は、彼の視界から消えていた。
――見失った……。イクサの顔が青ざめる。
しかし、ただ茫然としている訳にもいかない。彼女の性格を考えると、どんな無茶をするか分かったものでは無い。そう思い、イクサは再び走り出す。
彼は、人の波に押され流されしながら、やっとの思いでマイスの後頭部を最後に見た場所まで辿り着いた。
(……どこだ、マイスさんは――?)
イクサはつま先立ちになり、周りを見回しながら、マイスの姿を探す。――が、やはり、彼女の姿は影も形も――。
と、その時、
(……ん?)
彼の目が、メインストリートから伸びる、細い横道を見止めた。
(……もしかして……)
一見、何の変哲もない、裏通りへ向かう小道だったが、イクサの勘が妙に疼いた。
彼は慎重に周りを見回しながら、仄暗い小道へと歩を進める。
すると、
「うおおおおおお…………!」
微かだったが、まるで狼の遠吠えのような唸り声が、小道の向こうからイクサの耳に届いた。
続いて、甲高い金属音。
「! ――まさか!」
その声と音が、誰かが争っているものだと察したイクサは、慌てて音のする方へと走り出す。
「マイスさん! どうか、無事で――!」
転びかけながら突き当たりの丁字路を右に曲がったイクサの目に飛び込んできたのは――、
大段平を振りかぶった頬に傷を持つ大男と、その前で身を屈めて顔を上げ、大男を睨みつけているマイスの姿だった。
「マ――マイスさんッ!」
イクサは、目を見開いて叫ぶと、躊躇いなく大男とマイスの間に割って入ろうと、地を蹴る。――が、距離がありすぎる。
「くたばれクソアマがああああッ!」
大男は絶叫と共に、振り上げた大段平を力の限りに振り下ろす。その先にあるのは、豊かな金髪を蓄えたマイスの形の良い頭――!
「マイスさんッ!」
血相を変えたイクサは、手を伸ばして彼女の名を叫ぶ。――と、一瞬だけこちらに目を向けたマイスの口角が僅かに上がり、
「……うるさいわね」
彼女の唇が、そう動くのが見えた。
次の瞬間、マイスは素早く身を翻した。大男の振り下ろした大段平は空を切り、その刃は、僅かに彼女の長い髪の毛を数房切り取る事しか出来なかった。
大段平の刃が派手な音を立てて石畳を穿つ。
「なにぃッ!」
大男は首を巡らし、マイスの姿を追う。
――彼女は、身を縮こまらせるや、壁に向かってしなやかに跳躍していた。
壁に足を付くや、すぐさまその壁を蹴って更に高く跳び上がり、彼女の身体は、大男の遙か上空に達した。
「な――!」
大男の狼狽する声。彼は、予測を超えるマイスの反応を目の当たりにして、遙か頭上を舞う彼女の姿を茫然と見上げる事しか出来ない。
マイスは空中でクルクルと縦回転しながら、右踵を繰り出す。
回転の遠心力と落下エネルギーがたっぷりと加わった、威力満点の踵落としが大男の額に炸裂した。
「グ――ハア――ッ!」
強烈な一撃を急所の額に食らった大男の目が、グルンと裏返り、彼は膝から頽れた。
「ま……マイスさん、大丈夫ですかっ!」
踵落としを大男に食らわせて、音も無く石畳に着地したマイスの元に、イクサが青ざめた顔で走り寄ってきた。
「ああ、イクサくん。遅かったじゃない」
立ち上がったマイスは、いつもと同じ様子で、穏やかな微笑を彼に向けた。
イクサは内心で安堵していたが、心を鬼にし、眉を吊り上げて強い口調で言う。
「マイスさん、何やってるんですか! こんな危険そうな大男なんかと……、万が一があったらどうするんですか!」
「大丈夫よ。私、強いもの」
イクサの叱責にも、マイスはケロッとした顔だ。
「それは知ってますけど……て、いやいや! だからって、軽率に過ぎますよ! 貴女は女性なんですから、もうちょっと慎重に……」
「だって……このデカブツ、何かムカついたんですもの! ヒトモドキだ何だって……」
「ムカついた……とか、そんな理由があったからって無茶しちゃいけません! 何があってからでは遅いんですよ! 第一――」
「あーはいはい分かりました~」
イクサの説教に、マイスは顔を顰めて耳を塞ぎ、舌を出してみせる。
「そりゃ、私もね。連れがもっと頼りになる強い男の人だったら、お任せしちゃうんですけどねぇ。何せ……ね~」
「ぐ……」
これには反論できず、イクサは潰れた蛙のような声を出して押し黙ってしまう。
その表情を見たマイスは、少しバツが悪い表情を浮かべ、困り顔で苦笑した。
「……ゴメン。冗談よ。――心配してくれて、ありがとね」
「……い……いえ――」
イクサは、彼女の柔らかな微笑を目の当たりにして、顔を真っ赤にして口ごもる。
「――あ、そうだ」
マイスは、大事な事を思い出し、振り返った。イクサもその視線を追うと、壁際で蹲る小さな影に気が付いた。
「あ――! アイツは……」
目を丸くするイクサを尻目に、マイスは躊躇なく、颯爽と半人族の男に近付いていく。
「マイスさん! 危険ですよ!」
イクサが、慌ててマイスに呼びかけるが、マイスは聞く耳を持たない。
遂に、半人族の男の前に立つと、片膝をついて、彼の目線に自分のそれを合わせて、静かな声で語りかける。
「――ごめんなさいね。どうか、人間が皆、あなた達の事をアイツのように考えているとは思わないで……」
「……」
半人族の男は、口を開こうとしたが、全身の傷みに顔を顰める。
マイスは、顔を曇らせて、彼の身体を支える。
「ああ、無理はしないで……。私たちといらっしゃいな、治療してあげるから」
「……あ、ありガトう。……でモ……あ、アナた……は、い――一体?」
「私?」
マイスは小首を傾げた後、ニッコリと微笑って答えた。
「――私は、マイス・L・ダイサリィ。ハルマイラで武器防具修理工場の主をしていますわ。――今回は、半人族の皆様に、良い商談をお持ちしましたの」