CASE1-12 「ヒトモドキだからな!」
半人族のドヴェリクは、今日も“狩り場”で獲物を狙う。
彼の狩り場は鬱蒼とした森の中ではない。――いや、本来はそうなのだが、とある事情によって、不本意ながら場所と標的を変えているのだ。
今の彼の稼ぎ場所は、この地方最大の都市マイハラスのメインストリート。獲物は、行き交う人々のポケットの財布だ。
ズボンのポケットに手を突っ込み、そっと抜き取る。そんな彼の“狩り”に、半人族の身体的特徴は大いに役立った。
低い目線は、人間の財布が入っているポケットの位置を見極めるのに最適な高さだし、彼が生まれた森の木々よりも密集した人々の間を縫って、素早く獲物に近付き、目的を達成した後に、その場を素早く離れる際には、半人族特有の小柄な体躯と俊敏性が役に立った。
しかも、掏られた事に気付いた標的が慌てて辺りを見回しても、その目線の高さにはドヴェリクの姿は無い。事実、彼がこの狩りを生業にしてから半年が過ぎたが、捕まる事はおろか、気付かれた事も滅多に無かった。
――本来、狩人としての誇り高い気性を持つドヴェリクには甚だ不本意な事ではあったが――、半人族にとって掏摸という仕事は、正に天職だと言えた。
そして今日も、ドヴェリクは愛用の帽子を目深に被り、メインストリートをぶらぶらと歩きつつ、獲物を見定める。
やがて、彼は格好の標的を発見した。
ハシバミ色の目を輝かせながら沿道に並ぶ店を見回している、ひょろ長い背丈をした青灰色の髪の若い男だ。
(……おいおい、がら空きだぜ)
と、ドヴェリクが思わず心配してしまう程、若者には警戒心の欠片も見られなかった。
尻ポケットからは黒い財布の頭が覗いていて、掏摸にとっては、おあつらえ向きすぎて呆気に取られる程の格好のカモだった。
だが、同情はしない。寧ろ、教育してやるつもりで、彼は仕事に取りかかる。
ドヴェリクは、人混みの間を擦り抜けながら若者に近付き、その無警戒な背中に思い切りぶつかった。
「う、うわっ!」
「……ごめンヨ!」
若者が蹌踉けて体勢を崩すと同時に、彼の尻ポケットに素早く手を伸ばし、流れるような動きで財布を掏り取る。
(……一丁上がり)
目的は達した。後は、速やかに立ち去るのみ。もっとも、あれだけ鈍そうな若者の事だ。掏られた事自体に気付くのも随分後だろうが。
いやいや――『だろう』を根拠に行動するのは愚の骨頂だ。常に『かもしれない』を行動の基準に据えるのが、狩りでも掏摸でも求められる心構え――。
(……ん?)
その時、彼は不穏な気配を感じて後ろをチラリと振り返る。
――すると、凄まじく美しく若い女性と目が合った。
「――!」
彼女の紫水晶のような深紫色の瞳を見た瞬間、ドヴェリクの全身の肌が粟立った。――その感覚はまるで、かつて森の中でヒヒイロオオグマの雄と鉢合わせしてしまった時のようだった。
(マズい……アレに捕まったら――ヤバい!)
内なる本能がドヴェリクに強い危機感を伝え、彼は向き直るや一目散に走り出した。
人混みの僅かな隙間を擦り抜け、通行人の股をくぐり、馬車の車輪の間を潜り抜けた。後ろを振り返る事に恐怖を感じながら、ひたすら前に進む事にだけ集中して、必死で左右の足を交互に前に出す。
角を二つ三つ曲がり、人も疎らな裏通りに出た所で、彼はやっと足を止めた。
恐る恐る後ろを振り返る。あの、妖艶なまでに美しく、総毛だつほどに恐ろしい雰囲気を持つ金髪紫眼の女の姿は――見えなかった。
――何とか撒けたようだ……。
……久しぶりに、本気で身の危険を感じたドヴェリクは、大きく安堵の息を吐く。ドクドクと、血管の脈動が速いテンポで耳を打って喧しく感じた。
彼は、建物の陰に隠れて落ち着こうと、フラフラしながら歩き出す。
――その時、
「おう、やぁぁぁっと見付けたぜえ。この半人族のスリ野郎が!」
不意に、彼の頭上から下卑た男の濁声が降ってきた。
ハッとしたドヴェリクが頭上を見上げようとした次の瞬間、彼の鳩尾に、硬いブーツの爪先がめり込んだ。
「グフゥ――ッ!」
軽いドヴェリクの身体は鞠のように吹き飛ぶ。彼はゴロゴロと石畳を転がり、街路樹に背中を打ちつけてようやく止まった。
ドヴェリクは、痛みと衝撃で気が遠くなりながらも、必死で体を起こして走り出そうとするが、その足を掴まれて吊り上げられてしまう。
「よう! オレの事を覚えてるか、このクソ亜人!」
ドヴェリクを逆さに吊り上げて、憎悪に満ちた眼で彼の顔を睨みつけてきたのは、頬に十字傷を付けた、凶悪な面相の男だった。
ドヴェリクは、逆さにされたままブンブンと頭を横に振る。
「ス……スいまセン……。ワタし、アナタのこト、し……知らナイ――」
「ああっ? てめえ、つい2日前の事も覚えてねえのかよ、アァッ?」
男は、不機嫌さを態度に表し、ドヴェリクをブンブンと乱暴に振り回す。
「オレは、2日前にテメエに財布を掏られたんだよ! 忘れたとは言わせねえぞ!」
「ア……」
思い出した。
確かに、2日前に、居酒屋の脇で眠りこけているこの男の懐から、薄い財布を失敬した。……熟睡していると思って、不用意に近付いてしまったのが裏目に出てしまったようだ。
――が、だからといって、ハイそうですと認める訳にはいかない。
「……ひ、人チガいデス。ワタし、スリなんテ……しテませン――グブッ!」
「半人族の分際で、一丁前にしらばっくれようとしてるんじゃねえぞ! ゴラァ!」
膝蹴りでドヴェリクの鼻を潰した男は、顔を怒りでどす黒くしながら吠えた。
ドヴェリクは、鼻血の溢れる鼻を押さえながら、必死で懇願する。
「……ご、ゴメんなさイ! オカね、カエシますかラ……少なかっタケど……」
「あぁ? 今更ゴメンナサイしても、もう遅えんだよ! お詫び代わりに、オレの気が済むまで、サンドバッグになってもらおうじゃねえか!」
そう叫んだ男は、ドヴェリクを放り投げると、腕を振りかぶり、空中で彼の腹を思いきり殴りつけた。ドヴェリクは、身体をくの字に折りながら吹き飛び、建物の壁に勢いよく激突して、ベシャリと音を立てて地面に落ちた。
虫の息の彼は、やっとの事で口を開く。
「や……ヤメて……。ヒ……ヒとゴロし……」
「人殺しぃ? ヒャハハハ、んな訳ねえだろが!」
男は、心底蔑むように嘲笑うと、ドヴェリクの顔に唾を吐きかけた。
「てめえらみてえな半人族をいくら殺そうが、人殺しなんかにゃならねえよ! ――だってそうだろ?」
男は、狂ったように哄笑しながら、道端から大きな石を拾い、大きく振りかぶった。
「――なにせ、お前らは、ヒトのなり損ない……ヒトモドキだからな!」
そう叫んで、男がドヴェリクの頭目がけて石を振り落とそうとした――その時、
「あら、それは困りますわ」
「――ぐ、ぐうっ!」
鈴の音を思わせる涼やかな女の声がしたかと思うと、男の顔が苦悶に歪み、振り上げた石を取り落とした。その手の甲には、小さな矢が深々と突き刺さっている。
「い――痛えじゃねえかよ! 邪魔すんな、この――!」
男は振り返って怒鳴――ろうとして、思わず絶句した。
ドヴェリクも、男の振り向いた先に視線を移す。
「まあ、確かに……財布を掏られてお怒りの気持ちは解りますわ――」
路地裏から、ゆっくりと近付いてくる人影。逆光に照らし出されて、金糸のように輝く髪が眩しい。
「でも、それにしても少々やり過ぎです。――そして、半人族に対する数々の暴言……同じ人間として、恥ずかしくて聞き捨てなりませんね」
彼女は、そう言うと、キッと眦を吊り上げた。――男はもちろん、種族が違う半人族のドヴェリクですら、思わず見惚れてしまう程の美しい顔だった。
そして彼女は、手にした矢を構え、絶句する男をその深紫の瞳で睨み据えながら言った。
「――今すぐこの場から消えて頂けるなら、これ以上は言いませんが……。退いて頂けないのなら、少々きついお仕置きをお見舞いしますわよ」




