第8話 アウレリアの遺産
第八話
「アウレリアの遺産」
ヤタガラス本部。
会議室の机の上に、紙が積み上がっていた。
ファイル。
地図。
印刷した写真。
手書きのメモ。
銀行の取引記録。
病院の一覧。
古い住所録。
そして、なぜかホオズキがコンビニで買ってきた肉まん。
「……狭い」
黒崎が言った。
「仕方ないじゃん。パソコン信用できないんだから」
ホオズキは肉まんをかじりながら答えた。
久世トウマが紙束の向こうから顔を出す。
「信用できないのは外部情報です。パソコンそのものではありません」
「じゃあパソコン使っていい?」
「ネットワークから完全隔離した端末なら」
「最初からそう言ってよ」
「三日前から言っています」
「聞いてなかった」
「知っています」
黒崎が額を押さえた。
ここ数日。
ヤタガラスは、可能な限り外部ネットワークへの依存を減らしていた。
紙の地図。
現金。
直接確認。
人間による尾行。
使い捨て端末。
無線。
伝令。
最新鋭のPMCとは思えない。
黒崎が机を見渡した。
「二〇二六年の組織とは思えんな」
ホオズキが胸を張る。
「昭和を舐めるな」
「お前は平成生まれだろ」
「心は昭和」
「一番信用できないタイプの発言だな」
そんな中。
久世が一枚の紙を机の中央へ置いた。
「共通点が出ました」
空気が変わる。
ホオズキが肉まんを置いた。
「NIGHT SHIFT?」
「正確には、彼らが最近接触していた場所です」
東京。
神奈川。
埼玉。
千葉。
複数の地点が赤いペンで囲まれている。
廃ビル。
個人病院。
閉鎖された倉庫。
古いマンション。
資産管理会社。
そして、既に存在しない法人。
黒崎が眉を寄せた。
「何だ、これは」
久世は答えた。
「全部、過去にアウレリア・セレスティンの勢力が利用していた施設です」
沈黙。
ホオズキの表情から、笑いが消えた。
前回の事件。
アウレリアと、その配下。
人間社会の裏側で長年構築されていた吸血鬼の潜伏網。
表向きには何の関係もない人間。
医師。
経営者。
不動産業者。
血液を提供する協力者。
偽名を用意する人間。
身分証明を整える者。
夜間でも診察する病院。
長期間使用されていない地下施設。
資金洗浄用の会社。
長期睡眠に入った吸血鬼の保管場所。
膨大な情報網だった。
前回の戦いで。
アウレリアの組織は崩壊した。
拠点も壊れた。
人間の協力者も散った。
多くの資料が焼却された。
だが。
全部ではなかった。
久世が続ける。
「アウレリア派が保有していた潜伏情報の一部が、組織崩壊の混乱で流出しています」
黒崎が腕を組む。
「誰が持ち出した」
「複数です。元協力者、構成員、仲介業者。資金欲しさに情報を売った者もいます」
ホオズキが地図を見る。
「それをNIGHT SHIFTが集めてる?」
「その可能性が高いです」
ホオズキは少し考えた。
そして。
「アウレリアの組織を乗っ取るつもり?」
その日の午後。
ミレイユから連絡が来た。
相変わらずだった。
こちらの連絡先を知っている。
こちらからは追えない。
映像通信。
画面の向こう。
ミレイユ・ヴァイスはコーヒーを飲んでいた。
普通だった。
あまりにも普通だった。
ホオズキは開口一番に聞いた。
「アウレリアの組織、欲しいの?」
「いらない」
即答だった。
「早っ」
「古い」
ミレイユはコーヒーを置いた。
「遅い」
指を一本立てる。
「偉そう」
二本目。
「会議が長い」
三本目。
黒崎が眉を動かした。
「最後は組織論なのか」
「重要よ」
ミレイユは真顔だった。
「会議が長い組織は嫌い」
ホオズキが久世を見る。
「そこはちょっと分かる」
「同意しないでください」
「うちも長いじゃん」
「あなたが脱線させるからです」
「私?」
「あなたです」
ミレイユが画面越しに小さく笑った。
「アウレリアのやり方は二十年前なら優秀だったと思う」
「今は?」
「時代遅れ」
笑顔のまま。
「秘密結社。血統。忠誠。主従関係。古い城。地下室。仰々しい紋章」
ミレイユが肩をすくめる。
「維持費が高い」
「そこ?」
ホオズキが突っ込む。
「大事よ」
ミレイユは淡々としていた。
「地下施設は湿気る。古い建物は修繕費が高い。大人数を抱えれば食料も血液も必要。誰かが裏切れば全体が危険になる」
「吸血鬼の秘密結社を不動産経営みたいに言わないで」
「似たようなものよ」
本当にそう思っている顔だった。
その日の夕方。
さらに奇妙な報告が入った。
アウレリア派の残党が潜伏していると見られていた廃倉庫。
そこで戦闘があった。
ヤタガラスが到着した時には、既に終わっていた。
床に血痕。
破壊された壁。
銀弾。
だが。
人間の死体はない。
倒れていたのは。
三体の吸血鬼だった。
一体は消滅。
一体は逃走。
最後の一体は重傷。
古参の吸血鬼だった。
推定年齢百年以上。
ヤタガラスが保護しようとすると。
その吸血鬼は激しく抵抗した。
「触るな、人間!」
「はいはい。元気だね」
ホオズキが押さえ込む。
「貴様らごときが我らを――」
「動くと銀入るよ」
「……」
静かになった。
「聞き分けいいね」
その吸血鬼は、NIGHT SHIFTに襲撃されたと証言した。
黒崎が聞く。
「目的は」
「知らん!」
「何を奪われた」
「何も!」
「ではなぜ襲われた」
「知らん!」
ホオズキが横から口を挟む。
「友達少なそうだね」
「黙れ!」
「当たった?」
「黙れ!」
久世が質問する。
「最近、人間を襲いましたか」
沈黙。
全員がその吸血鬼を見る。
「……」
ホオズキも見る。
「襲った?」
「……三人ほど」
「三人」
「必要な分だけだ」
「必要な分って便利な言葉だね」
「人間など増えるだろう!」
その瞬間。
ホオズキの顔から笑みが消えた。
「それ、もう一回言ってみろ」
部屋の温度が下がった。
黒崎がホオズキの肩を掴む。
「やめろ」
「まだ何もしてない」
「する顔だった」
「失礼だなぁ」
「付き合いが長いから分かる」
調査を進めると。
同じ事例が次々と見つかった。
古参吸血鬼の潜伏先。
違法な血液調達。
行方不明者との関連。
暴力事件。
そして。
NIGHT SHIFTによる襲撃。
一件。
二件。
三件。
すべて同じだった。
NIGHT SHIFTは。
人間を狩っているのではない。
吸血鬼を狩っていた。
その夜。
ヤタガラス地下区画。
拘束中のジャックが、紙コップのコーヒーを飲んでいた。
ホオズキが椅子を引いて座る。
「聞きたいことあるんだけど」
「取り調べ?」
「雑談」
「じゃあ菓子くれ」
「囚人が要求すんな」
「客だぞ」
「どこの世界に手錠つけられた客がいるんだよ」
「特殊な店」
「黙れ」
ジャックは笑った。
ホオズキが写真を置く。
古参吸血鬼たち。
「これ、NIGHT SHIFTがやった?」
ジャックは写真を見る。
「ああ」
あっさり答えた。
「隠さないんだ」
「今さら?」
「目的は?」
ジャックは紙コップを持ち上げた。
「整理」
「何を」
「不良在庫」
ホオズキが無言になった。
黒崎も無言になった。
久世も無言になった。
ジャックが首を傾げる。
「何だよ」
ホオズキが言った。
「百歳超えた吸血鬼を不良在庫って呼ぶ人、初めて見た」
「ミレイユが言ってた」
「やっぱりあの女か」
ジャックは続ける。
「古いやつらは面倒なんだよ」
「お前も吸血鬼だろ」
「そうだけど」
ジャックは指を折った。
「人間食う」
一本。
「事件起こす」
二本。
「警察来る」
三本。
「ヤタガラス来る」
四本。
ホオズキを見る。
「お前ら強い」
「急に褒めても何も出ないよ」
「だから迷惑」
「褒めてなかった」
「特にお前」
「よし殴る」
黒崎が止めた。
「座れ」
ジャックは笑う。
「昔ならさ。何人か人間が消えても何とかなったんだよ」
表情が少しだけ真面目になる。
「今は無理だ」
スマートフォン。
監視カメラ。
GPS。
SNS。
電子決済。
顔認証。
位置情報。
人間が一人消えれば。
その人間が最後にどこへ行ったか。
誰と会ったか。
何を買ったか。
どこを歩いたか。
何時に電車を降りたか。
大量の記録が残る。
夜は。
もう秘密ではない。
ジャックが言う。
「一人食っただけでログだらけだ」
久世が呟いた。
「だから古参吸血鬼を排除している」
「ああ」
「人間社会に吸血鬼の存在が露見するリスクを減らすため」
「そういうこと」
ホオズキがジャックを見る。
「世界征服とかは?」
ジャックが吹き出した。
「誰がやるんだよ」
「吸血鬼ってそういうの好きそうじゃん」
「偏見だぞ」
「アウレリアやってたじゃん」
「あの人は例外」
「じゃあ人類支配」
「面倒くさい」
「東京征服」
「家賃高い」
「政府転覆」
「政治分からん」
「じゃあ何がしたいんだよ」
ジャックは少し考えた。
そして言った。
「普通に暮らしたい」
ホオズキは黙った。
数秒。
ジャックが付け加える。
「夜に」
「昼は?」
「寝る」
「普通だ」
「だろ?」
同じ夜。
再びミレイユから通信。
今回はホオズキの方から聞いた。
「古参吸血鬼を殺してるね」
「ええ」
否定しなかった。
「仲間じゃないの?」
「生物学的には」
「冷たいね」
「そう?」
ミレイユは首を傾げた。
「人間だって、人間なら誰でも仲間というわけじゃないでしょう」
それは。
反論しづらかった。
黒崎が問う。
「何が目的だ」
ミレイユは少し考えた。
初めてだった。
質問に対して。
彼女がすぐ答えなかったのは。
だが。
やがて口を開いた。
「数十人」
「何?」
「東京に吸血鬼が何人までなら存在できるか、ずっと考えてた」
ミレイユは淡々と話した。
「百人は多い」
「五百人なら必ず事故が起きる」
「千人なら隠せない」
「だから数十人」
ホオズキは黙って聞いている。
「人間社会の中で働く」
「家を借りる」
「税金を払う」
「必要なら偽名も使う」
「医療を受ける」
「血液は人間を襲わず確保する」
「事故を起こさない」
「殺人をしない」
「警察に追われない」
「あなたたちを呼ばない」
ミレイユは微笑んだ。
「それを三十年続ける」
静かだった。
「三十年続けば、その次は五十年」
「五十年続けば、その仕組みはもう特別じゃない」
ホオズキが言う。
「吸血鬼の国を作りたいわけじゃない」
「いらない」
「吸血鬼の軍隊も」
「維持費が高い」
「城も」
「湿気る」
黒崎が小さく息を吐いた。
「お前、本当に夢がないな」
ミレイユは笑った。
「夢はコストが高いから」
その言葉に。
ホオズキは少しだけ笑った。
ただ。
すぐに表情を戻す。
「じゃあアウレリアの情報を集めてた理由は?」
「使えるものがあるから」
ミレイユが答える。
「協力的な病院」
「人間を襲わなくても血液を入手できる経路」
「長期滞在可能な物件」
「身分を維持する方法」
「資金経路」
「休眠中の吸血鬼」
「全部ゼロから作る必要はない」
「古い仕組みでも、使える部品は使う」
久世が言った。
「レガシーシステムの再利用」
「そう」
ミレイユは嬉しそうだった。
ホオズキが久世を見る。
「今の分かった?」
「分かります」
黒崎も頷く。
「俺も分かる」
ホオズキだけ黙る。
「……古い冷蔵庫から使える部品取る感じ?」
久世が目を閉じた。
「概ねそうです」
「やった」
話は。
そこで終わるはずだった。
だが。
ホオズキには。
一つだけ引っかかっていた。
「ミレイユ」
「なに?」
「人間を襲わないのは分かった」
「ええ」
「事件を起こさないのも分かった」
「ええ」
「吸血鬼同士で勝手に揉めてる分には、私も正直どうでもいい」
黒崎が横を見る。
「言い方」
「だってそうじゃん」
ホオズキは画面を見つめた。
「でもさ」
声が少し低くなった。
「その仕組みを維持するために、人間の行動を操作するの?」
ミレイユは黙った。
「情報を弄る」
「見せたい情報だけ見せる」
「人間が判断する材料を勝手に変える」
「ヤタガラスにもやった」
ホオズキは続ける。
「それって」
「人間を襲ってないだけで」
「人間を管理してるよね?」
数秒。
沈黙。
ミレイユは。
困った顔をするでもなく。
怒るでもなく。
ただ。
本当に不思議そうに言った。
「人間もやってるでしょう」
ホオズキの目が細くなる。
「広告」
ミレイユが言う。
「検索結果」
「信用情報」
「推薦アルゴリズム」
「報道」
「学校」
「会社」
「法律」
「保険」
「SNS」
「街の防犯カメラ」
静かに。
一つずつ。
「人間はずっと、人間の行動を誘導してる」
「私だけが特別?」
ホオズキは即答した。
「知らん」
ミレイユが少し驚いた顔をする。
「知らない?」
「人間がやってるからって、お前がやっていい理由になるかは知らない」
ホオズキは椅子にもたれた。
「難しい話、嫌いなんだよね」
久世が小声で言った。
「知っています」
「でも」
ホオズキは続ける。
「嫌がってる奴を勝手に動かすのは嫌い」
ミレイユは何も言わない。
「お前が吸血鬼だからじゃないよ」
ホオズキが言う。
「人間でも嫌い」
「会社でも」
「政府でも」
「ヤタガラスでも」
一瞬。
黒崎を見る。
「うちがやったら?」
黒崎は答えた。
「俺も嫌だ」
「だよね」
ホオズキは再び画面を見る。
「だから」
「お前が言ってること」
「半分くらいは分かる」
ミレイユが眉を少し上げた。
「半分も?」
「人襲わない」
「それは偉い」
「税金払う」
「もっと偉い」
「血液サブスク」
「ネーミングは嫌いじゃない」
「でも」
ホオズキは笑った。
「勝手に地図を書き換えるのは駄目」
ミレイユも笑った。
「そこ?」
「そこ」
「古参吸血鬼を殺していることより?」
「そいつら人間殺してたんでしょ」
「ええ」
「じゃあそっちはあとで考える」
黒崎が呆れた。
「順番がおかしい」
「いっぱい問題あるんだから仕方ないじゃん」
ミレイユが声を上げて笑った。
初めてだった。
皮肉でもなく。
嘲笑でもなく。
普通に笑った。
「やっぱりあなた、面白い」
ホオズキは嫌そうな顔をする。
「その言い方する奴、大体ろくでもないんだよ」
「褒めてるのに」
「やめて」
通信が切れた。
会議室。
静寂。
しばらくして。
黒崎が言った。
「結局、敵なのか?」
ホオズキは腕を組む。
「知らん」
「またか」
「だってさ」
ホオズキが椅子を回す。
「人間殺す吸血鬼を止めて」
「人間襲わないように血液配って」
「税金払って」
「古い悪い吸血鬼ぶん殴ってる」
「そこだけ聞くと」
少し考える。
「うちより社会貢献してない?」
「やめろ」
黒崎が即答した。
久世が真顔で言う。
「ヤタガラスも納税しています」
「そこ張り合う?」
「重要です」
「今日みんな税金好きだね」
黒崎が写真を見る。
アウレリア。
かつて。
吸血鬼の未来を。
支配によって作ろうとした女。
そして。
ミレイユ。
吸血鬼の未来を。
社会の隙間に埋め込もうとする女。
同じ吸血鬼。
同じ東京。
だが。
考えていることは。
まるで違う。
ホオズキが。
机の上に残っていた肉まんを手に取る。
冷めていた。
一口食べる。
「まずい」
久世が言う。
「二時間放置していますから」
「温めて」
「自分でやってください」
「電子レンジ信用していい?」
「ネットワークに繋がっていなければ」
ホオズキが電子レンジを見る。
少し考える。
「……Wi-Fiついてる」
三人が無言で見る。
黒崎が言った。
「便利になりすぎたな」
ホオズキが頷く。
「ほんとそれ」
そして。
結局。
肉まんは冷たいまま食べた。
アウレリアの遺産。
それは。
城でも。
武器でも。
軍隊でもなかった。
吸血鬼が。
人間社会の中で生きるために積み上げた。
無数の小さな抜け道だった。
ミレイユは。
そのすべてを欲しがったわけではない。
使えるものだけ拾い。
危険なものを捨て。
小さく。
静かに。
夜の中に残ろうとしていた。
世界征服などしない。
人類を滅ぼしもしない。
ただ。
東京の片隅で。
数十人の吸血鬼が。
誰も殺さず。
誰にも見つからず。
数十年生き残る。
そのための仕組みを作る。
たったそれだけ。
そして。
その「たったそれだけ」のためなら。
ミレイユ・ヴァイスは。
人間が見る地図を書き換えることを。
何とも思っていなかった。




