第7話 城には入っていない
第七話
城には入っていない
ヤタガラス本部。
午前七時十二分。
普段なら作戦会議が始まる時間だった。
だが、その日の会議室に人はいなかった。
正確には、
人はいた。
床に。
「……何も出ません」
机の下から声がした。
情報担当の若い隊員が、LANケーブルの束を抱えたまま床に転がっている。
ラックの裏には別の隊員。
天井裏には二人。
壁際では久世トウマがノートPCを三台並べ、無表情でログを追い続けていた。
黒崎が腕を組む。
「本当に全部調べたのか」
「全部です」
若手隊員が床から答える。
「社内ネットワーク、業務端末、サーバー、認証システム、VPN、監視端末、バックアップ回線、無線LAN、外部接続履歴、管理者権限の変更履歴――」
「侵入痕跡は」
「ありません」
「不審な通信は」
「ありません」
「マルウェア」
「ありません」
「バックドア」
「ありません」
「内部協力者」
「今のところ形跡なし」
黒崎の眉間に皺が寄る。
「……じゃあ、何なんだ」
誰も答えなかった。
ここ数週間。
NIGHT SHIFTは、明らかにヤタガラスの行動を読んでいた。
突入地点。
移動経路。
監視対象。
警戒区域。
活動時間。
それどころか隊員の生活圏まで把握していた。
にもかかわらず、
内部システムには、
何もない。
侵入された形跡が。
本当に、
何一つない。
「もっと奥じゃない?」
ホオズキが言った。
全員が振り返る。
彼女は壁に寄りかかり、紙コップのコーヒーを飲んでいた。
久世が聞く。
「奥とは」
「ほら」
ホオズキは天井を指さした。
「天井裏とか」
天井裏から声がした。
「もういます」
「じゃあ床下」
「昨日やりました」
「壁の中」
「配線確認済みです」
ホオズキは少し考えた。
「トイレ」
黒崎が言った。
「ハッカーを何だと思ってる」
「いや、映画だとなんかトイレから侵入するじゃん」
「しない」
「配管とか」
「忍者じゃねえんだぞ」
久世が淡々と言う。
「一応、ネットワーク接続機能付き設備は確認しています」
黒崎が久世を見る。
「あるのか」
「複合機、監視設備、空調管理、入退室管理」
「トイレは?」
「ありません」
ホオズキが残念そうにコーヒーを飲む。
「夢がないな」
誰も夢を求めていなかった。
その時。
会議室の大型モニターが点灯した。
全員の動きが止まる。
画面中央に、
着信。
発信元不明。
一瞬で空気が変わった。
若手隊員たちが端末へ飛びつく。
「通信経路追跡!」
「隔離回線へ!」
「発信元特定!」
久世が言う。
「待って」
通信担当が操作を止める。
久世は表示を見た。
そして数秒、
黙った。
「……普通の動画通話です」
黒崎。
「は?」
「外部会議用の公開アカウントに着信しています」
沈黙。
ホオズキが言う。
「出れば?」
黒崎が嫌そうな顔をしながら応答した。
画面が切り替わる。
女が映った。
ミレイユ・ヴァイス。
いつも通りだった。
黒いジャケット。
落ち着いた表情。
その向こうには、ごく普通の部屋。
ミレイユは画面の向こうを見て、
笑った。
「まだ探してるの?」
誰も答えない。
ミレイユの視線がわずかに横へ動く。
「天井裏まで?」
天井裏にいた隊員が固まる。
ホオズキがゆっくり天井を見る。
「お前、今見えてんの?」
ミレイユは笑う。
「見えてないよ」
「じゃあなんで知ってる」
「あなたたちならやると思ったから」
ホオズキが少し傷ついた顔をした。
「読まれてる」
黒崎が前へ出る。
「ミレイユ」
「はい」
「どうやって入った」
ミレイユが瞬きをする。
「どこに?」
「ヤタガラスのネットワークだ」
一拍。
そして、
ミレイユは心底不思議そうな顔をした。
「入ってないよ」
会議室が静まり返った。
黒崎が眉をひそめる。
「何?」
「私は一度も、あなたたちのネットワークに入ってない」
久世の指が止まった。
ホオズキも笑わなくなった。
ミレイユは続ける。
「だって必要ないじゃない」
画面が切り替わる。
地図。
道路。
店舗。
SNS。
自治体の公開情報。
交通情報。
監視カメラ。
決済履歴。
配送データ。
ホテル予約。
飲食店予約。
ニュース記事。
口コミサイト。
無数の情報が表示される。
「あなたたちは優秀だよ」
ミレイユが言う。
「だから、情報を集める」
地図上に点が浮かぶ。
「警察から」
一つ。
「自治体から」
一つ。
「民間企業から」
一つ。
「SNSから」
一つ。
「交通網から」
一つ。
「防犯カメラから」
無数。
「そして、それらを照合する」
点が線になる。
線が場所を示す。
NIGHT SHIFTの潜伏先。
――だったはずの場所。
「情報の精度が高ければ高いほど、あなたたちはそれを信頼する」
久世が低く言った。
「……外側」
ミレイユが微笑む。
「そう」
画面いっぱいに、
都市そのものが映し出された。
「私は城には入っていない」
ホオズキが画面を見る。
ミレイユは言った。
「城を攻める必要ないじゃない」
地図が書き換わる。
一本の道路が変わる。
車両位置が変わる。
予約情報が変わる。
監視映像の時刻が変わる。
目撃情報が追加される。
すると、
ヤタガラスの部隊アイコンが、
違う方向へ動いた。
「地図を書き換えれば」
ミレイユが言う。
「城の兵隊は勝手に違う場所へ行く」
誰も言葉を発しなかった。
それはハッキングではなかった。
少なくとも、
ヤタガラスに対する直接的な侵入ではない。
ミレイユは、
ヤタガラスが世界を認識するために使う情報を操作していた。
現実そのものではない。
現実について書かれた、
記録。
ログ。
表示。
評価。
位置。
時刻。
信用。
ヤタガラスは、
その加工された世界を見て、
自分たちで判断し、
自分たちで動いていた。
「じゃあね」
ミレイユが手を振る。
「調査、頑張って」
通信が切れた。
沈黙。
長い沈黙。
やがてホオズキが言った。
「……性格悪っ」
黒崎が頭を抱えた。
*
翌日。
ヤタガラス本部。
作戦会議室。
机の上には、
紙。
大量の紙。
紙。
紙。
紙。
そして、
紙。
若手隊員が震える声で言った。
「……これ、本気ですか?」
久世が答える。
「本気」
机の中央には紙の地図。
壁にも地図。
道路情報は蛍光ペン。
重要地点は付箋。
対象者情報は印刷。
作戦指示書は手書き。
黒崎が説明する。
「今後、NIGHT SHIFT関連作戦では外部情報への依存度を最低限まで落とす」
隊員が手を挙げる。
「具体的には」
「必要以上にネットを使わない」
「……はい」
「位置確認は紙地図」
「はい」
「小規模な支払いは現金」
「はい」
「通信は独立無線」
「はい」
「作戦内容は直接伝令」
「はい」
「必要に応じて使い捨て端末」
「はい」
若手隊員が、
机の上を見た。
紙の地図。
現金。
無線機。
メモ帳。
鉛筆。
そして、
ホオズキ。
妙に嬉しそうだった。
「いいじゃん」
ホオズキが地図を広げる。
「こっちのほうが分かりやすい」
若手隊員が小声で言った。
「昭和……」
「誰が昭和だ」
「何も言ってません」
「言っただろ」
「独り言です」
「聞こえたんだよ」
ホオズキは紙地図を持ち上げる。
「見ろよ。電池切れないぞ」
「Googleマップも普通そんなすぐ電池切れません」
「落としても割れない」
「スマホケースあります」
「水に濡れても」
久世が言う。
「紙は濡れる」
「……」
ホオズキが地図を見る。
「じゃあダメじゃん」
黒崎が額を押さえた。
「お前が一番乗り気だっただろ」
さらに問題が起きた。
若手隊員A。
「すみません、地図の折り方が分かりません」
ホオズキ。
「は?」
若手隊員B。
「自分もです」
「嘘だろ?」
「いつもスマホなので」
ホオズキが黒崎を見る。
「教育どうなってんの?」
黒崎。
「俺を見るな」
今度は無線。
「こちらアルファ、ポイントB到着」
『こちら本部、了解』
「目標確認できず」
『周辺を確認せよ』
「了解」
通信終了。
若手隊員が感動していた。
「すごい」
ホオズキ。
「何が」
「本当に無線で喋ってる」
「いつも使ってるだろ」
「普段はデジタル連携あるじゃないですか」
「同じだよ」
「なんか今日、戦争映画みたいですね」
ホオズキは満足そうに頷いた。
「だろ?」
黒崎。
「喜ぶな」
さらに。
支払い。
情報収集のため、ホオズキと若手隊員が喫茶店へ入った。
会計。
店員。
「千二百八十円です」
ホオズキが財布を出す。
現金。
若手隊員が驚く。
「現金持ってるんですね」
「お前、私を何だと思ってる」
「全部カードかスマホ決済かと」
「大人はな」
ホオズキが千円札を二枚出した。
「こういう時のために現金を持つんだよ」
店員。
「ポイントカードありますか?」
ホオズキ。
「ない」
「アプリ入れていただくと――」
「入れない」
「新規登録で百ポイント――」
「いらない」
「今なら――」
「いらない」
若手隊員が小声で言う。
「文明との戦いになってる」
「黙れ」
その日の午後。
ヤタガラスは、
驚くほど原始的になっていた。
電子掲示板の代わりにホワイトボード。
共有ファイルの代わりに紙。
GPS追跡の代わりに定時連絡。
オンライン会議の代わりに集合。
デジタル予定表の代わりに壁掛けカレンダー。
久世が壁を見ていた。
「……これは」
黒崎。
「何だ」
「黒崎さんの字?」
「そうだ」
「読めない」
「読める」
ホオズキも覗く。
「何これ」
「十五時、倉庫確認」
「『拾五蒔 倉庫確忍』に見える」
「そんな字書いてねえ!」
その横で若手隊員が真剣な顔をしている。
「すみません」
「今度は何だ」
「固定電話って、外線どうやってかけるんですか」
黒崎が天井を見た。
「……もうダメかもしれない」
ホオズキが肩を叩く。
「頑張れ昭和」
「お前が言うな!」
*
だが、
効果はあった。
NIGHT SHIFTの攪乱精度が、
明確に落ちた。
外部情報を疑う。
複数経路で確認する。
現地の人間が自分の目で見る。
ネット上の位置情報だけで判断しない。
予約記録だけを信用しない。
決済情報だけで行動しない。
古いやり方だった。
効率も悪い。
人手もかかる。
だが、
偽物の情報に踊らされにくくなった。
そして、
その過程で。
ヤタガラスは一つの情報を拾った。
NIGHT SHIFTが、
大量のデータを集めている。
最初は、
血液供給網のためだと思われた。
会員管理。
血液配送。
供給ルート。
支払い情報。
それなら不自然ではない。
しかし久世は、
データの中身を見て、
違和感を覚えた。
夜。
分析室。
紙の資料が机いっぱいに広がっている。
久世が名前を読み上げる。
「三浦和彦」
黒崎が資料を見る。
「医師」
「小野寺真由」
「看護師」
「高田修一」
「警察官」
「佐藤圭介」
「大学研究員」
「長谷川亮」
「物流倉庫勤務」
「野村拓也」
「運送業」
ホオズキが腕を組む。
「統一感ないな」
「そう」
年齢も違う。
職業も違う。
地域も違う。
資産状況も違う。
政治的立場も違う。
社会的地位も違う。
富豪はいない。
大物政治家もいない。
有名人もいない。
ホオズキが資料をめくる。
「何でこんな普通の人ばっか調べてんだ?」
久世は答えなかった。
さらに資料を並べる。
二十年前。
十九年前。
十七年前。
十五年前。
十二年前。
九年前。
六年前。
四年前。
そして最近。
事件記録。
新聞記事。
警察資料。
医療記録。
ヤタガラスが保有している過去資料。
一つずつ、
名前が重なる。
黒崎の表情が変わった。
「……待て」
久世。
「気付いた?」
黒崎は一枚の資料を取る。
医師。
二十年前。
ある患者を治療している。
原因不明の大量失血。
次。
看護師。
十五年前。
深夜に搬送された身元不明者を担当。
異常な回復力を目撃。
警察官。
十二年前。
繁華街で発生した不可解な傷害事件に出動。
研究者。
九年前。
奇妙な血液サンプルを検査。
倉庫職員。
六年前。
身元不明の荷物を一晩だけ保管。
運送業者。
四年前。
ある冷蔵貨物を配送。
ホオズキの顔から、
少しずつ笑いが消えていった。
久世が言う。
「全員、共通点がある」
黒崎。
「吸血鬼か」
「正確には」
久世は資料を並べた。
「過去二十年間に」
一枚。
また一枚。
そして、
最後の一枚。
「吸血鬼事件に、偶然関わった人間」
部屋が静かになった。
ホオズキが資料を見る。
「偶然……」
「そう」
久世が頷く。
「吸血鬼を追っていた人間じゃない」
医師。
看護師。
警察官。
研究者。
倉庫職員。
運送業者。
彼らは、
吸血鬼社会を暴こうとしたわけではない。
退治しようとしたわけでもない。
ただ、
仕事をしていた。
そこに、
偶然。
夜が入り込んだ。
黒崎が低く言う。
「NIGHT SHIFTは金を集めてるんじゃない」
久世。
「血液だけでもない」
ホオズキが続けた。
「人間の情報」
久世が頷く。
「それも、無差別じゃない」
壁に貼られた名前。
数十人。
その一人一人に、
過去の吸血鬼事件との接点が記されている。
ホオズキはしばらく黙っていた。
やがて、
一枚の資料を手に取る。
「……二十年分?」
「確認できただけで」
「全部?」
「かなり広範囲」
ホオズキは鼻から息を吐いた。
「マメだなあいつら」
黒崎が横を見る。
「感想それか」
「いや」
ホオズキは資料を机へ戻した。
「二十年前の配送員まで調べてるんだぞ」
少し考えて、
言う。
「私なら三日で飽きる」
久世。
「でしょうね」
「お前ちょっと迷えよ」
黒崎は壁を見た。
無数の名前。
どこにでもいる人間。
普通に働き。
普通に暮らし。
たまたま、
普通ではないものを見てしまった人間たち。
NIGHT SHIFTは、
彼らを調べている。
ミレイユは、
ヤタガラスの城には入らなかった。
その代わり。
城の外にある、
街を見ていた。
人を見ていた。
記録を見ていた。
二十年分。
夜が、
人間社会のどこを通ったのか。
その痕跡を。
久世が、
壁に最後の紙を貼った。
《NIGHT SHIFT収集対象》
その下に、
一本の線を引く。
そして書いた。
《過去の吸血鬼事件に偶然関与した一般人》
ホオズキがそれを見る。
「……なるほどね」
黒崎が言う。
「次は、こいつらを洗う」
久世。
「ネットは?」
黒崎が少し黙る。
「……できるだけ使うな」
若手隊員が隣の部屋から顔を出した。
「すみません!」
「何だ!」
「コピー用紙なくなりました!」
沈黙。
ホオズキが笑った。
「文明崩壊早すぎだろ」
黒崎の怒鳴り声が、
本部中に響いた。
「買ってこい!!」
ヤタガラスの原始化は、
まだ始まったばかりだった。




