第9話 夜の住民票
第九話
「夜の住民票」
東京。
人口、およそ千四百万人。
昼間はさらに増える。
毎日、何百万人という人間が電車に乗り、車を走らせ、物を買い、食事をし、働き、病院へ行き、ゴミを捨て、眠る。
その巨大な都市の片隅に。
誰も気に留めない、小さな会社がいくつもあった。
飲食店。
配送会社。
不動産会社。
警備会社。
医療関連企業。
クラブ。
IT会社。
清掃会社。
中古車販売店。
人材派遣会社。
どれも小さい。
ニュースになったこともない。
業界最大手でもない。
上場企業ですらない。
街中にいくらでもありそうな、ごく普通の会社だった。
だから。
誰も気付かなかった。
それらすべてに。
NIGHT SHIFTが関係していることに。
ヤタガラス本部。
会議室。
大型モニターいっぱいに企業名が並んでいる。
黒崎が腕を組んで画面を見上げた。
「……多いな」
久世がキーボードを叩く。
「直接所有してる会社は少ないです」
「直接じゃない?」
「名義が違うんです。出資者も違う。役員も違う。株主も違う」
ホオズキが椅子にもたれた。
「じゃあ違う会社じゃん」
「表面上はね」
久世がクリックする。
企業同士を結ぶ線が画面に表示された。
「でも、取引先を追うと繋がる」
配送会社から飲食店。
飲食店から医療系企業。
医療系企業から不動産。
不動産から警備会社。
警備会社からIT企業。
IT企業からクラブ。
さらにそこから別の会社へ。
線。
線。
線。
蜘蛛の巣のように広がっていく。
ホオズキが眉をしかめた。
「うわ」
黒崎。
「どうした」
「こういう相関図、見ると眠くなる」
「寝るな」
「もう名前が無理」
「まだ会社名しか出ていない」
「アルファベット三文字の会社が多すぎる」
久世が言った。
「日本企業あるあるです」
「全部『なんとかサービス』にしてほしい」
「余計分からなくなります」
その横で情報担当の隊員が資料をめくっている。
「面白いのはここからです」
ホオズキ。
「面白くなくていい」
「聞いてください」
「はい」
素直だった。
隊員が指差した。
「この不動産会社」
NIGHT SHIFTと関係する吸血鬼に部屋を貸している。
契約者名義は人間。
保証人も人間。
家賃も銀行振込。
普通の賃貸契約に見える。
だが。
実際には、昼間に活動できない入居者を前提にした物件だった。
遮光設備。
監視カメラ。
地下駐車場。
非常口。
近隣住民との接触を減らす設計。
「こっちは配送会社」
夜間配送専門。
輸送物は表向き食品や医療物資。
実際には血液製剤も混ざっている。
「こっちは飲食店」
営業時間。
午後八時から午前五時。
従業員の半数が吸血鬼。
バックヤードには血液保管用の冷蔵設備。
「クラブ」
従業員募集を装って、吸血鬼の身元確認。
「警備会社」
昼間に吸血鬼が動けない時間帯の拠点警備。
「IT会社」
偽装用の勤務履歴。
給与記録。
業務委託契約。
税務処理。
「医療関連企業」
血液の保管。
成分検査。
健康管理。
そして――
死亡診断書。
ホオズキが止まった。
「……死亡?」
久世が画面を切り替える。
人間社会で長期間生活する吸血鬼には、避けられない問題がある。
老化しない。
あるいは。
老化が極端に遅い。
二十年前と顔が同じ。
三十年前と顔が同じ。
四十年前と顔が同じ。
当然、不自然になる。
だから。
一度。
死ぬ。
書類上で。
死亡。
口座解約。
住民記録整理。
勤務履歴終了。
数年後。
別人になる。
新しい氏名。
新しい経歴。
新しい勤務先。
新しい住居。
ホオズキが呟いた。
「人生の機種変か」
黒崎。
「軽く言うな」
「データ移行つき」
「もっと軽くなったな」
久世は画面を見たまま言った。
「でも、だいたい合ってます」
黒崎が久世を見る。
「合ってるのか」
「古い身分を捨てて、新しい身分に移るので」
ホオズキ。
「じゃあ吸血鬼ショップで相談できる?」
「何をですか」
「旧人生から新人生への乗り換え」
久世。
「初期設定サポート付きですかね」
黒崎。
「お前まで乗るな」
会議室の端で誰かが吹き出した。
黒崎が睨む。
静かになった。
二秒後。
また誰かが笑った。
「……続けろ」
黒崎は諦めた。
久世が資料をまとめる。
「要するに」
画面上の企業が一つずつ光る。
住居。
仕事。
血液。
医療。
移動。
警備。
身分。
情報。
資金。
廃棄物処理。
「これ全部を使えば」
久世が言った。
「吸血鬼は、人間社会と最低限しか接触せずに生活できます」
沈黙。
ホオズキが椅子から身体を起こした。
「……街じゃん」
「え?」
「これ」
画面を見る。
「吸血鬼用の街を作ってる」
正確には。
街ではない。
区画でもない。
壁もない。
門もない。
看板もない。
地図にも載っていない。
だが。
機能としては同じだった。
NIGHT SHIFTが管理する会社を渡り歩けば。
吸血鬼は生活できる。
夜に働き。
夜に食事をし。
血液を買い。
部屋を借り。
医療を受け。
移動し。
給料を受け取り。
身分を更新し。
そして。
人間を襲わずに。
生きていける。
ホオズキが小さく言った。
「……これが目的?」
久世が答える。
「たぶん」
黒崎。
「本人に聞く」
「連絡取れるの?」
その瞬間。
会議室のスピーカーが鳴った。
全員が止まった。
着信。
発信者。
非通知。
ホオズキが画面を見る。
「すごいタイミング」
久世。
「盗聴されてませんよね」
黒崎。
「確認した」
ホオズキ。
「じゃあ怖いな」
回線を開く。
ミレイユ・ヴァイスの声が流れた。
『こんばんは』
ホオズキ。
「今、昼」
『私には夜』
「知らん」
ミレイユが少し笑う。
『調査、終わった?』
ホオズキ。
「おかげさまでね」
『どうだった?』
「会社いっぱい」
『小学生の感想?』
「うるさい」
黒崎が割って入る。
「目的を話せ」
少しの沈黙。
そして。
ミレイユは答えた。
『生存』
黒崎。
「何?」
『吸血鬼が、この時代で生き続けるための仕組み』
モニターの向こう側。
ミレイユはどこかの部屋にいた。
飾り気のない小さなオフィス。
デスク。
ノートパソコン。
紙コップ。
背景に、安っぽい観葉植物。
ホオズキが画面を見た。
「思ったより普通の部屋だね」
『家賃安いから』
「秘密組織のボスなんだから、もっとこう……」
ホオズキが手を広げる。
「地下基地とか」
『維持費高い』
「巨大モニターとか」
『電気代高い』
「回転する椅子とか」
『酔う』
ホオズキ。
「夢がない」
ミレイユ。
『利益率は高い』
黒崎。
「本題に戻れ」
『はいはい』
ミレイユがノートパソコンを操作する。
ヤタガラス側の画面に資料が転送されてきた。
そこには。
NIGHT SHIFT内部で使われているらしい名称が書かれていた。
《NIGHT RESIDENCY》
その下。
日本語。
《夜間居住基盤》
ホオズキ。
「ださい」
ミレイユ。
『私もそう思った』
久世。
「あなたが付けたんじゃないんですか?」
『部下』
「却下しなかったんですか?」
『面倒だった』
ホオズキ。
「じゃあ何て呼んでんの」
ミレイユは言った。
『夜の住民票』
ホオズキが黙った。
黒崎も黙る。
久世も。
その名前だけは。
妙にしっくりきた。
人間社会の中に。
存在しない住民たち。
昼間の行政から外れ。
夜だけを生きる者たち。
住所。
職業。
収入。
医療。
血液。
身分。
すべてを裏側で繋ぐ。
もう一つの生活基盤。
夜の住民票。
ミレイユは淡々と説明した。
『昔の吸血鬼は簡単だった』
『金持ちの家に潜る』
『地下室を作る』
『使用人を置く』
『人間を襲う』
『死体を埋める』
『数十年ごとに土地を変える』
ホオズキ。
「最低だね」
『うん』
即答だった。
ホオズキが少し拍子抜けした。
ミレイユは続ける。
『でも今は無理』
監視カメラ。
SNS。
マイナンバー。
電子決済。
顔認証。
位置情報。
健康保険。
税金。
防犯システム。
ネットワーク社会。
『人間一人消えただけでも、昔よりずっと痕跡が残る』
『だから襲わない方が安い』
ホオズキ。
「倫理じゃなくて?」
『コスト』
「最低」
『でも結果は同じ』
ホオズキ。
「むかつく言い方するなあ」
ミレイユは気にしない。
『吸血鬼が人間を襲わない』
『人間は殺されない』
『警察も事件を追わなくていい』
『ヤタガラスも出動しなくていい』
『私たちも死なない』
両手を軽く広げる。
『全員得する』
ホオズキ。
「珍しくまともなこと言ってる」
黒崎。
「珍しくは余計だ」
ミレイユ。
『私はいつもまとも』
ホオズキ。
「それはない」
『傷つく』
「絶対傷ついてない」
『うん』
「ほら!」
久世がこめかみを押さえた。
「話が進まない」
だが。
一見すると。
確かに理想的だった。
吸血鬼が人を襲う理由。
血液。
金。
住居。
身分。
それらを合法。
あるいは合法に近い形で提供する。
人間に危害を加えなければ。
ヤタガラスが彼らを狩る理由も薄くなる。
少なくとも。
昔ながらの吸血鬼よりは。
遥かにマシだった。
ホオズキも。
それは認めざるを得なかった。
だからこそ。
気になった。
「で」
ホオズキが言う。
「問題は?」
ミレイユ。
『何が?』
「絶対あるでしょ」
『ないよ』
「ある」
『ない』
「ある」
『ない』
「ある!」
『子供?』
「五十二歳に言われたくない」
ミレイユが止まった。
ホオズキ。
「効いた?」
『少し』
「よし」
久世。
「勝負してないでください」
ホオズキは画面に身を乗り出す。
「これだけ大きな仕組み作って」
「誰にも秘密を知られないなんて無理でしょ」
ミレイユの笑みが消えた。
ホオズキ。
「人間の従業員」
「取引先」
「医者」
「役所」
「大家」
「警備員」
「配送業者」
「いろんな人間が関わる」
ミレイユ。
『そうね』
「秘密を知った人間は?」
数秒。
ミレイユは普通に答えた。
『買収できれば買収する』
ホオズキの目が細くなる。
『無理なら脅す』
黒崎の表情が固くなる。
ミレイユは。
まるで。
業務マニュアルを読み上げるように言った。
『それでも無理なら消す』
沈黙。
ホオズキ。
「……やっぱり駄目じゃん」
ミレイユ。
『完璧な社会制度なんかないよ』
「殺すな」
『最終手段』
「最終手段に入れるな」
『国家だって――』
「それ言い始めたら長くなるやつだからやめて」
ミレイユ。
『そう?』
「そう」
ホオズキは椅子の背もたれから身体を離した。
完全に表情が変わっている。
「人を殺さず吸血鬼が生きられる仕組みを作る」
「そこまではいい」
「むしろ」
少しだけ間を置く。
「すごくいい」
ミレイユは黙っている。
「でも」
ホオズキ。
「その仕組みを守るために人を殺すなら」
「結局、同じだよ」
ミレイユ。
『違う』
「同じ」
『被害人数が違う』
「人数の話してない」
『私はしてる』
そこで。
完全に決裂した。
二人が見ているものは。
最初から違っていた。
ホオズキは。
目の前の一人を見る。
ミレイユは。
全体の数字を見る。
一人を殺して百人が助かるなら。
ミレイユは。
迷わず一人を切る。
ホオズキは。
その一人を切らずに済む方法を最後まで探す。
そして。
もし無理なら。
たぶん。
自分が無茶をする。
久世が小声で言った。
「相性悪いですね」
黒崎。
「今さらか」
ホオズキ。
「私この人嫌い」
ミレイユ。
『私は結構好き』
「もっと嫌いになった」
『残念』
ミレイユがカップを取った。
中身を飲む。
ホオズキ。
「それ何?」
『コーヒー』
「吸血鬼コーヒー飲むの?」
『飲むよ』
「味分かる?」
『普通に』
「ニンニクは?」
黒崎。
「今聞くことか?」
ミレイユ。
『食べられる』
ホオズキ。
「十字架」
『平気』
「鏡」
『映る』
「流水」
『渡れる』
「招かれないと家に入れない」
『不法侵入になるから普通は入らない』
ホオズキ。
「法律だった」
久世が耐えきれず笑った。
黒崎。
「おい」
久世。
「すみません」
ミレイユ。
『あと日光は無理』
ホオズキ。
「そこは吸血鬼なんだ」
『そこ疑われると私も困る』
「牙は?」
ミレイユが口を開く。
小さな牙を見せる。
ホオズキ。
「おお」
黒崎。
「何を見せられてるんだ俺たちは」
その瞬間。
久世の端末が鳴った。
解析終了。
画面に新しい資料が表示される。
久世が見る。
そして。
表情が変わった。
「……待ってください」
ホオズキ。
「何?」
久世が過去の作戦記録を開く。
第一話以降。
NIGHT SHIFT関連として処理されてきた情報。
拠点候補。
目撃情報。
取引記録。
車両。
偽装企業。
アウレリア派残党。
久世が一件ずつ並べる。
「これ……」
「おかしい」
黒崎。
「何がだ」
「NIGHT SHIFTの情報として出てきたもののうち」
久世が画面を拡大する。
「半分くらい」
「情報源が綺麗すぎる」
ホオズキ。
「どういうこと?」
「見つけやすすぎるんです」
沈黙。
久世。
「NIGHT SHIFTは外部情報を操作できる」
「ヤタガラスがどんな情報を参照するかも分かってた」
「なのに」
「私たちは何度も手がかりを拾えた」
ホオズキ。
「……わざと?」
ミレイユが。
笑った。
小さく。
ホオズキの顔から表情が消える。
「おい」
ミレイユ。
『やっと気付いた』
久世が高速でデータを照合する。
NIGHT SHIFTの活動地点。
ヤタガラスの捜索地点。
そして。
アウレリア派残党の潜伏地点。
点が。
重なる。
一件。
二件。
三件。
四件。
ホオズキ。
「……まさか」
ミレイユ。
『アウレリア派って、隠れるの上手いんだよね』
『古い吸血鬼だから』
『百年単位で潜伏してる人もいる』
『偽名も何個もある』
『人間の協力者もいる』
『探すの大変』
黒崎。
「だから俺たちに探させた?」
『そう』
あっさり。
ミレイユは認めた。
『NIGHT SHIFTの痕跡を少し見せる』
『ヤタガラスが追う』
『その途中でアウレリア残党を見つける』
『戦闘になる』
『残党が減る』
『空いたネットワークを私たちが引き継ぐ』
ホオズキ。
「……」
『効率いいでしょ』
ホオズキ。
「……」
『自分たちで探すより早かった』
ホオズキ。
「…………」
黒崎が横を見る。
ホオズキは。
ものすごく静かだった。
久世が小声で言う。
「まずい」
黒崎。
「ああ」
ミレイユ。
『特に三件目は助かった』
ホオズキの眉が動いた。
『あそこ、半年探しても見つからなかったから』
ホオズキ。
「……なるほど」
声が低い。
黒崎。
「ホオズキ」
「利用された」
「落ち着け」
「めちゃくちゃ利用された」
「分かっている」
「無料で」
「そこか?」
ホオズキが画面へ顔を近づける。
「請求書送る」
ミレイユ。
『経費で落ちる?』
「落とさせる」
『宛名は?』
「NIGHT SHIFT御中」
久世。
「経理に怒られますよ」
ホオズキ。
「じゃあミレイユ・ヴァイス様」
ミレイユ。
『個人請求は困る』
「困れ」
『領収書いる?』
「いらない!」
黒崎が額を押さえた。
「何の話だ」
ホオズキは机を叩いた。
「第一話からでしょ!?」
ミレイユ。
『うん』
「ライブハウスも!?」
『半分』
「ジャックも!?」
『あれは事故』
「事故?」
『営業に行かせたら喧嘩した』
沈黙。
ホオズキ。
「営業?」
『営業』
「ライブハウスで?」
『新規顧客開拓』
「何売ってたの」
『血液配送サービス』
ホオズキは天井を見た。
「ちゃんと営業部長だった……」
久世。
「そこ今感心するとこですか」
ミレイユ。
『本人は営業成績いいよ』
黒崎。
「あれで?」
『押しが強いから』
ホオズキ。
「物理的にね」
『あと断られても気にしない』
「営業向きだ」
久世。
「納得しないでください」
ホオズキはハッとした。
「しかもあいつプレミアム会員なんでしょ?」
ミレイユ。
『そう』
「自分の会社のサービスに?」
『社員割引あるよ』
「そこじゃない」
ミレイユ。
『プレミアムプランは配送時間指定できる』
ホオズキ。
「知らないよ!」
『ポイントも貯まる』
「聞いてない!」
『今なら紹介キャンペーン――』
「入らない!」
久世が机に突っ伏して笑っている。
黒崎は完全に諦めた顔になっていた。
やがて。
ホオズキは笑うのをやめた。
画面のミレイユを見る。
「つまり」
「私たちにアウレリア残党を片付けさせて」
「その縄張りを取って」
「会社と人脈を繋いで」
「夜の住民票を広げた」
ミレイユ。
『そう』
「私たちが追えば追うほど?」
『助かった』
ホオズキ。
「すごく腹立つな、あんた」
ミレイユ。
『よく言われる』
「誰に」
『ジャック』
「仲間にも言われてんじゃん」
『週一くらい』
「多いな」
『この前は三回』
「一日で?」
『会議中に』
ホオズキ。
「なんか安心した」
黒崎。
「何にだ」
「ちゃんと嫌われてる」
ミレイユ。
『好かれてるよ』
ホオズキ。
「強いなメンタル」
『五十二年生きてるから』
「さっき年齢気にしてたじゃん」
『それとこれは別』
久世。
「めんどくさい人ですね」
『聞こえてるよ』
久世。
「聞かせました」
ホオズキが久世を見る。
「強くなったね」
「誰のせいだと思ってるんですか」
少しだけ。
空気が緩む。
だが。
根本的な問題は変わらない。
NIGHT SHIFTは。
人間を襲わずに吸血鬼を生かす仕組みを作った。
それは。
おそらく。
これまで誰も本気で実現できなかったものだった。
だが。
それを守るためなら。
脅迫も。
偽装も。
殺人も。
許容する。
ミレイユにとって。
重要なのは。
善か悪かではない。
システムが。
維持できるかどうか。
ホオズキは立ち上がる。
「止めるよ」
ミレイユ。
『何を?』
「夜の住民票」
ミレイユ。
『全部?』
ホオズキは少し黙った。
「……人を殺すところ」
ミレイユの目が。
ほんのわずかに細くなる。
ホオズキ。
「血液買うのも」
「夜働くのも」
「部屋借りるのも」
「勝手にすればいい」
「吸血鬼が人間を食わずに生きる方法があるなら」
「そこを潰す気はない」
黒崎がホオズキを見る。
だが。
何も言わなかった。
「でも」
ホオズキ。
「秘密守るために人間消すなら」
「そこから先は」
「ヤタガラスの仕事」
ミレイユはしばらく。
ホオズキを見ていた。
そして。
小さく笑った。
『分かりやすいね』
ホオズキ。
「あんたが分かりにくすぎるんだよ」
『私は簡単だよ』
「どこが」
『一番損失が少ない方法を選ぶだけ』
ホオズキ。
「ほら分かりにくい」
『そう?』
「普通はそこに人情とかあるの」
『誤差が増える』
「人情を誤差って言うな」
黒崎。
「もういい」
二人を見る。
「話は終わりだ」
ミレイユ。
『そうね』
通信が切れようとする。
その直前。
ホオズキが言った。
「あ」
ミレイユ。
『何?』
「請求書」
『まだ言ってる』
「掃除代」
『払わない』
「ケチ」
『経営者なので』
「社長じゃん」
『そう』
ホオズキがニヤリとする。
「ジャックに言っとく」
ミレイユ。
『何を?』
「社長がケチだって」
一秒。
通信が切れた。
ホオズキ。
「逃げた」
久世。
「切っただけです」
黒崎は立ち上がる。
「全員、準備しろ」
ホオズキ。
「どこ行くの?」
黒崎は。
モニターに表示された企業群を見る。
「NIGHT SHIFTの拠点を潰す」
ホオズキ。
「全部?」
「違う」
黒崎。
「人を消すために使っている場所だけだ」
ホオズキが笑った。
「了解」
久世も端末を閉じる。
「ようやく分かりやすくなりましたね」
ホオズキ。
「うん」
そして。
モニターを見る。
東京の夜。
数千。
数万。
数百万の灯り。
その中に。
人間には見えない。
もう一つの社会がある。
壁はない。
国境もない。
看板もない。
住民票もない。
それでも。
確かに。
そこに暮らしている者たちがいる。
ホオズキはジャケットを羽織った。
「じゃ」
刀を取る。
「夜の住民票」
鞘を肩に担ぐ。
「住所確認しに行きますか」
久世。
「職務質問みたいに言わないでください」
黒崎。
「行くぞ」
三人が会議室を出る。
机の上。
誰かが印刷した資料が一枚だけ残っていた。
NIGHT SHIFT関連企業一覧。
その余白に。
ホオズキの字で。
大きく書かれている。
《ミレイユに請求》
その下。
久世の字。
《経理で却下されます》
さらに。
黒崎の字。
《仕事しろ》
東京は。
今日も眠らない。
人間も。
吸血鬼も。
そして。
夜には。
ちゃんと住所がある。




