↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/11

最終話 夜はログを残す

第十話


夜はログを残す


午前一時四十二分。


東京。


眠らない街、という言葉がある。


だが実際には、東京だって眠る。


終電が終わる。


店のシャッターが降りる。


オフィスの照明が消える。


人通りが減る。


タクシーだけが走る。


コンビニだけが光る。


眠れない人間と、働いている人間と、酔っ払いと、それから――


人間ではないものたちだけが残る。


その夜。


ヤタガラス本部の会議室には、珍しく電子機器がほとんどなかった。


大型ディスプレイ。


消灯。


端末。


電源オフ。


タブレット。


なし。


代わりに机の上へ広げられているのは、巨大な紙の地図だった。


黒崎が腕を組んでいる。


久世が赤ペンを持っている。


ホオズキは椅子を逆向きにして、背もたれへ顎を乗せていた。


「……なんかさ」


ホオズキが言った。


「修学旅行みたいだね」


黒崎が答えた。


「どこの修学旅行が武装して敵拠点に突入する」


「海外?」


「学校を選べ」


久世が地図を指差した。


「NIGHT SHIFTが現在利用している施設は、確認できただけで七か所」


飲食店。


配送会社の倉庫。


小規模なIT企業。


雑居ビルのオフィス。


地下駐車場。


ライブハウス。


そして、血液を一時保管するための施設。


第九話で明らかになった、


《夜の住民票》。


それを構成する生活圏だった。


一つ一つは小さい。


銀行でもない。


巨大企業でもない。


軍事基地でもない。


だが繋がれば、


吸血鬼が人間社会の中で生活を完結できる。


寝床。


仕事。


金。


血。


身分。


移動。


医療。


そして死。


生きるために必要なものが、そこには全部あった。


「ミレイユは逃げると思う?」


ホオズキが聞いた。


久世は少し考えた。


「普通なら」


「普通じゃないから?」


「普通の人は吸血鬼向け血液サブスクなんて作りません」


「それもそうだ」


黒崎が言う。


「向こうは、こちらが来ると分かっている」


「うん」


「罠もある」


「うん」


「警察の動きも交通も監視カメラも、全部利用してくる」


「うん」


黒崎はホオズキを見た。


「何か考えている顔だな」


ホオズキが笑った。


「逆にさ」


「?」


「全部使わなきゃいいんじゃない?」


沈黙。


久世が瞬きをした。


「全部?」


「全部」


「通信も?」


「最低限」


「GPSも?」


「なし」


「車両ナビも?」


「なし」


「リアルタイムの交通情報も?」


「なし」


「監視カメラ解析も?」


「なし」


「作戦支援AIも?」


「なし」


久世が言った。


「昭和になりますよ」


ホオズキは胸を張った。


「いいじゃん昭和」


「平成生まれでしょう」


「気持ちの問題」


黒崎が紙の地図を見る。


少し考えた。


そして。


「採用」


久世が黒崎を見る。


「本気ですか?」


「ミレイユが観測できる情報を減らす」


「ですが作戦効率が」


黒崎はホオズキを見た。


「こいつは元々、効率で戦ってない」


「失礼だな」


「否定できるか?」


ホオズキは五秒考えた。


「できない」


「なら問題ない」


「納得したくないなあ」


久世はため息をついた。


「……分かりました」


赤ペンで地図へ線を引く。


「車両移動は途中まで。以降徒歩」


「うん」


「携帯電話は電源を落とす」


「うん」


「行動開始時刻を事前指定」


「うん」


「時間変更は原則なし」


「うん」


「通信は短距離無線のみ。必要時だけ」


「うん」


久世が顔を上げる。


「これ、失敗したらどうします?」


ホオズキは答えた。


「その時考える」


「そこだけ現代に戻してください」


---


同時刻。


都内某所。


雑居ビル。


四階。


NIGHT SHIFT臨時オフィス。


ミレイユ・ヴァイスは複数のディスプレイに囲まれていた。


交通情報。


監視映像。


SNS。


警察無線を解析した情報。


配送車両。


決済履歴。


予約情報。


道路状況。


すべてがリアルタイムで更新される。


画面の中央には、


《YATAGARASU》


の文字。


その下。


予測行動。


進入経路。


推定戦力。


到着時刻。


警察との連携。


ミレイユはコーヒーを飲んだ。


「来るなら……三時十五分」


キーボードを叩く。


「第一候補、首都高経由」


さらに叩く。


「第二候補、一般道」


横の画面には、ヤタガラス本部周辺の道路。


車両。


人。


スマートフォン。


監視カメラ。


全部見える。


ミレイユは椅子へ深く座った。


「さて」


待つ。


三時十分。


変化なし。


三時十五分。


変化なし。


三時二十分。


変化なし。


ミレイユは眉を寄せる。


「……遅い」


三時二十五分。


警察に目立った動きなし。


ヤタガラス車両もなし。


不審な端末移動もなし。


何もない。


「……?」


三時三十分。


ミレイユは検索条件を増やした。


顔認証。


車両ナンバー。


周辺の決済情報。


交通IC。


タクシー乗車。


レンタカー。


駐車場。


何もない。


「……え?」


画面のどこにも、


ヤタガラスがいない。


まるで消えた。


ミレイユは立ち上がった。


「そんなわけ――」


その瞬間。


背後から、


ドンッ!!


ドアが蝶番ごと吹き飛んだ。


「っ!?」


ミレイユが振り返る。


煙。


破片。


廊下。


その向こうに立っていたのは、


九条ホオズキだった。


片手に拳銃。


もう片手に日本刀。


にっこり笑う。


「便利な時代って大変だね」


ミレイユが絶句する。


「どうやって……」


ホオズキがポケットから折り畳まれた紙を出した。


「地図」


「……」


「あと徒歩」


「……」


「集合時間は腕時計」


「……」


「連絡はほぼなし」


ミレイユの頬が引きつった。


「脳筋……!」


ホオズキが首を傾げた。


「褒め言葉?」


「違う!」


直後。


オフィスの反対側で銃声。


さらに下階。


叫び声。


NIGHT SHIFTのメンバーと、ヤタガラス突入班が接触した。


作戦開始。


---


その夜の戦場は、


秘密研究所ではなかった。


地下要塞でもない。


東京のどこにでもある場所だった。


狭い階段。


薄汚れた廊下。


配送用エレベーター。


雑居ビル。


倉庫。


地下駐車場。


ライブハウス。


事務所。


NIGHT SHIFTが作り上げた、


吸血鬼の生活圏そのもの。


「一階制圧!」


「二階、二名!」


「逃走車両確認!」


「止めろ!」


無線は必要最低限。


ヤタガラスの隊員たちは、事前に決められた時刻と経路だけで動く。


現場判断。


現場判断。


現場判断。


普段なら危険な方法だった。


だが今夜だけは、


その非効率さが武器になった。


ミレイユの予測モデルに、


情報が入らない。


いつ動くのか。


どこへ行くのか。


何人いるのか。


分からない。


画面上では空白。


だが現実では、


ヤタガラスが階段を駆け上がってくる。


「最悪……!」


ミレイユが吐き捨てる。


ホオズキが嬉しそうに言う。


「でしょ?」


「あなたが言うな!」


ミレイユが机を蹴った。


キャスター付きの机が高速で滑る。


ホオズキが避ける。


その隙にミレイユは非常口へ。


「待て!」


「待てと言われて待つ馬鹿いる!?」


「いたら楽なんだけど!」


二人が廊下へ飛び出した。


その時。


階下から轟音。


ドガァン!


壁が揺れた。


ホオズキが止まる。


「何?」


次の瞬間。


階段から人影が吹っ飛んできた。


ヤタガラス隊員だった。


「うわっ!」


ホオズキが受け止める。


「大丈夫?」


「す、すみません……下に……」


階段の暗闇から、


巨大な男が上がってきた。


肩。


胸。


腕。


全部がでかい。


パンクファッション。


そして妙に嬉しそうな顔。


ジャック。


「ホオズキィィィィ!!」


ホオズキの顔から表情が消えた。


「うわ」


「その『うわ』やめろ!」


「どうやって拘束抜けたの?」


「気合いだっ!」


ジャックは拳を鳴らした。


「この前は油断した」


「へえ」


「今日は違う」


「へえ」


「鍛え直した」


「へえ」


「筋肉量も増えた」


「へえ」


「ちゃんと聞け!」


ホオズキが拳銃をしまった。


日本刀も鞘へ。


ジャックが笑う。


「そうだ」


構える。


「拳で来い」


「いいの?」


「来い!」


「ほんとに?」


「来い!!」


ホオズキが肩を回した。


「じゃあ遠慮なく」


ジャックが突進する。


巨体。


速い。


床が軋む。


真正面から振り抜かれる右拳。


ホオズキが沈む。


拳が頭上を通過。


踏み込む。


腰。


肩。


拳。


全部が一直線。


ドゴンッ!!


ホオズキの右拳がジャックの顎へ入った。


巨体が浮いた。


「お」


さらにもう一発。


ドゴォッ!!


ジャックが廊下を滑っていく。


壁へ激突。


停止。


沈黙。


ジャックは震えながら起き上がった。


「ま……前より……」


ふらつく。


「強くなっただろ……!」


ホオズキ。


「誤差」


「ひでえ!」


崩れ落ちた。


横でヤタガラス隊員が呆然としている。


ホオズキが言った。


「拘束お願い」


「はい」


「あと起きたらうるさいから口も」


ジャックが床から叫んだ。


「まだ聞こえてるぞ!」


「元気じゃん」


「俺は頑丈なんだよ!」


ホオズキはジャックを跨いだ。


「じゃ、おやすみ」


「待て再戦――」


ゴン。


ホオズキの靴が軽く頭へ入った。


ジャックは静かになった。


「寝た」


隊員が言う。


「今の必要でした?」


「安眠サービス」


「殴ってますよね?」


「無料」


「料金の問題じゃないです」


その隙に、


ミレイユは消えていた。


ホオズキの笑顔が消える。


「……やられた」


階段を見る。


そして走った。


---


地下駐車場。


照明の半分が落ちている。


コンクリート。


柱。


車。


長い影。


ホオズキがゆっくり進む。


拳銃を構える。


静かだった。


「ミレイユ」


返事なし。


「もうほぼ終わってるよ」


返事なし。


「ジャックも捕まえた」


遠くから声。


「それはどうでもいい」


「本人が聞いたら泣くよ」


「給料払ってるの私なんだけど」


「社長って大変だね」


「社長じゃない」


「ジャック営業部長なんでしょ?」


「そうだけど」


「じゃあ社長じゃん」


「違う!」


銃声。


ホオズキが柱へ飛び込む。


コンクリートが弾ける。


「危なっ!」


ミレイユの声。


「油断しすぎ!」


「会話中に撃つ!?」


「戦闘中!」


「マナー悪いなあ!」


「あなたに言われたくない!」


再び銃声。


ホオズキが走る。


ミレイユは姿を見せない。


車両。


ミラー。


柱。


照明。


全部が利用されている。


一つ先へ進むたび、


射線が変わる。


ホオズキが舌打ちした。


「ちゃんと強いんだ」


「失礼ね」


「パソコン専門かと思ってた」


「吸血鬼よ!」


突然、


天井の照明が消えた。


暗闇。


ホオズキが止まる。


直後。


横。


速い。


拳。


ホオズキの頬へ直撃。


身体が揺れる。


続けて腹。


蹴り。


「ぐっ……!」


ホオズキが下がる。


ミレイユが暗闇から出てくる。


細身。


だが速い。


人間とは違う。


完全に戦闘慣れしていないわけではない。


「若くても吸血鬼」


ミレイユが言う。


「最低限は戦える」


「それ先に言ってよ」


「なんで?」


「心の準備」


「知らないわよ!」


ミレイユが踏み込む。


ホオズキが拳を受ける。


重い。


人間の女性とは比較にならない。


骨まで響く。


ホオズキが反撃。


ミレイユが避ける。


さらに距離を取る。


銃。


ホオズキも銃。


二人同時。


パンッ!


パンッ!


車の窓が割れる。


警報。


クラクション。


地下駐車場中に車のアラームが響き始める。


ミレイユが顔をしかめた。


ホオズキも顔をしかめる。


「うるさっ!」


「あなたが撃ったからでしょ!」


「そっちも撃ったじゃん!」


「私は当てるつもりだった!」


「私も!」


「外してる!」


「そっちも!」


二人とも一瞬黙った。


車の警報だけが鳴る。


ミレイユ。


「……最悪」


ホオズキ。


「気が合うね」


「死んでも嫌」


ミレイユが走った。


ホオズキも追う。


階段。


倉庫。


搬入口。


そこから隣接するライブハウスへ。


かつてジャックたちが利用していた場所。


深夜。


客はいない。


照明も落ちている。


ゴシック調の内装。


ステージ。


鉄骨。


機材。


バーカウンター。


ミレイユが走りながらスイッチを押す。


紫色のステージライト。


赤。


青。


照明が激しく点滅する。


ホオズキが顔をしかめた。


「目に悪い!」


「ライブハウスだから!」


「言い訳になってない!」


ミレイユは地形を完全に把握していた。


ステージ袖。


機材室。


裏口。


通路。


すべて。


一方ホオズキは、


知らない。


だから追い詰められる。


ワイヤー。


倒れるスピーカー。


照明。


狭い通路。


何度も先回りされる。


「計画性って大事だと思わない!?」


ミレイユが叫ぶ。


ホオズキが転がってスピーカーを避ける。


「人生行き当たりばったり!」


「でしょうね!」


「悪い!?」


「今初めて納得した!」


ミレイユが撃つ。


ホオズキがステージ下へ。


一発。


二発。


残弾。


少ない。


ホオズキがマガジンを見る。


「……あ」


カチッ。


空。


ミレイユが笑う。


「終わり」


拳銃を向ける。


ホオズキはゆっくり両手を上げた。


「参った」


「嘘」


「バレた?」


「顔」


「そんな分かりやすい?」


「すごく」


「ショック」


ミレイユの指がトリガーへ。


その瞬間。


ホオズキが左手を振る。


小さな円筒。


ミレイユの目が見開く。


紫外線照射器。


「っ!」


強烈なUV光。


ミレイユが顔を庇う。


その一瞬。


ホオズキが飛び込んだ。


銃を叩き落とす。


ミレイユも即座に肘。


ホオズキの顎。


膝。


腹。


ホオズキが呻く。


だが離れない。


至近距離。


もうネットもない。


監視カメラもない。


交通情報もない。


予測モデルもない。


拳。


肘。


蹴り。


銀。


紫外線。


肉体。


反射。


判断。


ただ、


人間と吸血鬼が殴り合っている。


ミレイユの拳がホオズキの顔面へ。


ホオズキが受ける。


血。


「っ……!」


ミレイユの方が速い。


強い。


だが。


ホオズキは、


こういう戦いを何度もやってきた。


痛み。


恐怖。


不利。


そんなものは、


今さら珍しくない。


ミレイユが大きく踏み込む。


ホオズキは半歩だけずれた。


腕を取る。


崩す。


床。


ミレイユが叩きつけられる。


「ぐっ!」


起きようとする。


ホオズキが拳銃を拾う。


装填。


銀弾。


銃口が、


ミレイユの額へ向く。


静寂。


照明だけが点滅している。


ミレイユは床に倒れたまま、


ホオズキを見上げた。


そして。


笑った。


「ねえ」


「何」


「古い吸血鬼たちより」


呼吸を整える。


「私のほうがマシだったと思わない?」


ホオズキは答えなかった。


ミレイユが続ける。


「人間を家畜にしない」


「……」


「無差別に殺さない」


「……」


「できるだけ人間社会を壊さない」


「……」


「吸血鬼だけで生きられる仕組みを作った」


ホオズキは銃を下ろさない。


ミレイユは笑っている。


「私は間違ってた?」


少しだけ。


ホオズキは考えた。


そして。


「思うよ」


ミレイユの目がわずかに開く。


「古い連中より、あんたのほうがマシだった」


その顔から、


ほんの少しだけ力が抜けた。


勝ち誇ったわけではない。


ただ、


わずかに安心したような表情だった。


ホオズキは続ける。


「だから余計面倒だった」


ミレイユの眉が動く。


「……は?」


「分かりやすい悪党なら楽なんだよ」


「……」


「撃って終わりだから」


「……」


「でもあんたは違う」


ホオズキは銀弾を抜いた。


マガジンを外す。


拳銃をホルスターへ。


「人を襲わない吸血鬼社会を作ろうとした」


「そうよ」


「でも邪魔な人間は脅す」


「必要なら」


「それでも駄目なら消す」


ミレイユは黙る。


「だから」


ホオズキが手錠を出した。


「そこは止める」


ミレイユが手錠を見る。


「……殺さないの?」


「うん」


「私は吸血鬼よ」


「知ってる」


「危険よ」


「すごく知ってる」


「拘束施設から逃げるかも」


「そしたらまた捕まえる」


ミレイユは数秒、


ホオズキを見た。


そして、


深く息を吐いた。


「本当に脳筋……」


ホオズキが笑う。


「褒め言葉?」


「だから違う!」


ガチャリ。


手錠が閉じた。


---


夜明け前。


NIGHT SHIFT関連施設の制圧は完了した。


完全ではない。


逃走した者もいる。


だが彼らが再び同じ組織として機能するだけの、


資金。


拠点。


配送網。


通信網。


血液供給網。


それらは失われた。


NIGHT SHIFTは解体された。


拘束された吸血鬼たちは、


ヤタガラス管理下の専用施設へ移送。


ミレイユも、


生きたまま確保。


そして。


ジャックも。


「歩け」


「歩いてる!」


「遅い」


「顎が痛えんだよ!」


「喋れるなら大丈夫」


「お前らの女に殴られたんだぞ!」


搬送担当の隊員が答える。


「いつものことじゃないですか」


「いつものことにするな!」


少し離れたところで、


ホオズキがそれを聞いている。


ミレイユも聞いている。


ミレイユが言った。


「うるさい」


ジャックが振り返る。


「誰のせいだと思ってんだ!」


「自分で戦いに行ったんでしょう」


「俺は営業部長だぞ!」


「営業部長が勝手に戦ったんでしょう」


「会社が襲われてんだぞ!」


「もう会社ないけど」


ジャックが止まった。


「……」


「……」


「……そうだった」


少し悲しそうだった。


ホオズキが吹き出した。


ミレイユは深いため息をついた。


「本当に馬鹿」


ジャックが怒鳴る。


「お前にだけは言われたくねえ!!」


---


数日後。


ヤタガラス本部。


事件後処理。


報告書。


報告書。


報告書。


そして報告書。


ホオズキは自席で死んでいた。


机へ額を押し付けている。


「戦闘より辛い」


黒崎が隣で書類を読む。


「書け」


「戦闘なら敵倒せば終わるじゃん」


「書け」


「書類は倒しても増えるじゃん」


「書け」


「この前三枚終わらせたら五枚増えた」


「書け」


「怪異じゃない?」


「仕事だ」


ホオズキが顔を上げた。


「怪異のほうがマシ」


黒崎は無視した。


久世が向こうの席から言う。


「NIGHT SHIFTの資産整理、だいたい終わりましたよ」


「おお」


「表向きの企業は通常手続きへ。犯罪に直接関与していない従業員については捜査対象外」


「うん」


「血液保管分も医療部門が引き継ぎ」


「うん」


「偽造身分関連データも回収済み」


「完璧」


ホオズキが立ち上がる。


「じゃ帰ろ」


黒崎が言った。


「報告書」


ホオズキは座った。


「はい」


その時。


PC。


メール受信音。


ポン。


ホオズキが画面を見る。


「ん?」


差出人。


不明。


件名。


《お礼》


ホオズキの表情が止まった。


黒崎が横から覗く。


「どうした」


「変なの来た」


久世も近づく。


「開かないでくださいよ」


「もう開いた」


「言う前に開かないでください!」


本文。


短い。


《古い連中を片付けてくれてありがとう》


添付ファイル。


一つ。


黒崎の顔が険しくなる。


「罠か?」


久世がすぐ隔離環境へ転送。


解析。


数秒。


「……マルウェアではありません」


添付ファイルを開く。


名前。


住所。


偽名。


潜伏地域。


アウレリア派残党の一覧だった。


かなりの数。


だが、


第八話までにヤタガラスが把握していた情報とも一致している。


黒崎が腕を組む。


「信用できると思うか?」


ホオズキが画面を見る。


「九割は本物だと思う」


「なぜ」


「ミレイユだから」


「理由になってない」


久世がメールヘッダを確認している。


「あ」


二人が見る。


「これ、予約送信です」


「予約?」


「NIGHT SHIFTのシステムが生きているうちに設定されたものですね。事件後、一定条件を満たしたので送信された」


ホオズキ。


「じゃあミレイユか」


「ほぼ間違いなく」


新しい敵でもない。


謎の第三者でもない。


最後まで、


ミレイユだった。


ホオズキが本文をスクロールする。


「まだある」


追伸。


《追伸:ジャックの給料三か月分未払いですが、本人に支払えないと伝えてください》


沈黙。


久世。


「……」


黒崎。


「……」


ホオズキ。


「……」


本部の奥。


吸血鬼用一時拘束室。


数秒後。


「ミレイユてめええええええええええええええ!!」


建物が震えた。


ホオズキが吹き出した。


「三か月!」


腹を抱える。


「三か月未払い!」


拘束室からさらに怒鳴り声。


「笑うなホオズキィィィ!!」


「営業部長なのに!」


「うるせえ!」


「プレミアム会員代は払ってたのに!」


「それ言うなぁぁぁ!!」


久世まで笑っている。


黒崎だけは耐えていた。


だが、


口元が少しだけ動いた。


ジャックの怒号。


「俺めちゃくちゃ働いたんだぞ!!」


ホオズキ。


「何売ったの?」


「営業だよ!」


「何の!」


「色々だよ!」


「ふわっとしてる!」


「客取ってきたり!」


「あと?」


「会員増やしたり!」


「あと?」


「ライブハウスで暴れたり!」


久世が言った。


「最後の営業じゃないですよ」


「業務命令だったんだよ!」


ホオズキが一瞬止まる。


「でも最初のライブハウス、ミレイユの観測実験だったよね」


「……」


拘束室が静かになった。


「……」


「……」


ジャック。


「俺、騙されてた?」


ホオズキ。


「今気付いたの?」


「ミレイユゥゥゥゥゥ!!」


再び建物が震えた。


ホオズキはもう駄目だった。


机に突っ伏して笑っている。


黒崎が時計を見る。


午前五時四十八分。


窓の向こう。


東京の空が白くなり始めている。


「九条」


「ん?」


「今日は帰れ」


ホオズキが顔を上げた。


「報告書は?」


「明日でいい」


一瞬。


ホオズキは黒崎を見つめた。


そして。


「黒崎」


「何だ」


「好き」


「気持ち悪い」


「ひどい!」


久世がPCを閉じる。


「私も帰ります」


「じゃあみんな帰ろ」


ホオズキが立ち上がる。


伸びをする。


「……今日は帰ろう」


黒崎が答える。


「賛成」


三人が歩き出す。


背後。


拘束室から、


まだ小さくジャックの声が聞こえる。


「三か月……」


「……俺の三か月……」


ホオズキが振り返った。


少し考える。


「黒崎」


「何だ」


「ジャックに朝ご飯くらい出してあげて」


「規定通り出る」


「豪華に」


「規定通りだ」


「かわいそうじゃん」


「さっき殴ったのお前だぞ」


「あれとこれは別」


「同じだ」


扉が閉じた。


---


夜明け。


東京。


巨大な都市。


道路を車が走り始める。


駅が開く。


配送トラックが動き出す。


コンビニの店員が交代する。


会社員が家を出る。


新聞が配られる。


スマートフォンのアラームが鳴る。


街が起きる。


無数の窓。


無数のスマートフォン。


無数のカメラ。


無数の端末。


そのすべてが、


何かを見ている。


何かを記録している。


誰かが移動した。


誰かが買った。


誰かが話した。


誰かが逃げた。


誰かが生きた。


その痕跡は、


完全には消えない。


人間だけではない。


吸血鬼も同じだった。


かつて彼らは、


夜へ消えることができた。


名前を変え、


町を変え、


国を変え、


百年でも二百年でも、


闇の中へ潜ることができた。


だが、


今は違う。


カメラがある。


記録がある。


決済がある。


通信がある。


データがある。


夜でさえ、


何かを残す。


そして彼らもまた、


それに合わせて変わっていく。


NIGHT SHIFTは終わった。


ミレイユの方法も、


ヤタガラスによって止められた。


だが、


一つだけ。


彼女が証明してしまったことがある。


吸血鬼は、


人間を襲わなくても生きられる。


完璧ではない。


簡単でもない。


そして、


それを理由に犯罪が許されるわけでもない。


それでも。


吸血鬼は消えていない。


ただ、


生き方を変え始めただけだった。


朝日が、


東京のビル群を照らす。


夜が終わる。


だが、


昨夜起きたことは消えない。


記録は残る。


痕跡も残る。


笑い話も。


失敗も。


三か月分の未払い給料も。


すべて残る。


夜は――


ログを残す。


――完――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。