5.
「君がアーデルハイトかい?」
「はい」
「確かにフローレンスに似てるね。念の為、婚約前に色々と君のことは調べさせてもらったけど、確かに今時なかなかいない、可愛い子だね」
それは結婚式当日の、まだ夜も明けきっていない暗い空の下のことでした。
花嫁衣装を着たアーデルハイトが初めて見たゴーシュウは、今まで見た中で最も年寄りな男でした。
それはそうでしょう。
貧民街で60越えても生きられる者は僅かでしたから。
(わあ……!すごい。ものすごくおじいちゃんだ)
アーデルハイトはそう思いました。
ゴーシュウの髪の毛はほぼ白で、おでこの面積もとてつもなく広く、でも目尻の皺は人が良さそうな顔をしています。
(リス族でも髪は白くなるんだなあ……)
アーデルハイトは変なことに感心していました。
(私もおばあちゃんになったら髪の毛がなくなるのかな?)
アーデルハイトが心配したのは、皺のことよりも自分の髪の毛のことでした。
(髪は長い方が嫁の貰い手が増える、高い持参金を貰える、ってお母さん言ってたもの……。だからゴーシュウさんも貰ってくれたのかな?)
あまり怒りそうには思えません。見た目の印象では、ですが。
「少し長い馬車旅になるからね。頑張るんだよ」
そう言ったゴーシュウに手を引かれたアーデルハイトが馬車を見たのは、これが初めてでした。
(家を馬が引いてる……!)
アーデルハイトはポカンと口を開けました。その馬車は、乗る部分に屋根まで着いている少し上等な馬車でしたが、そんなことアーデルハイトに分かるはずもありません。
馬車を見たのも初めてでしたから。
(家の外にも人が立ったり座ったりしてる……)
その馬車の前後には、御者や使用人が控えているようでした。しかも、貧民街では馬車が珍しいせいか、大勢の見物客が周囲を囲んでいます。
アーデルハイトは怖くなって母親を見ました。朝からアーデルハイトに着付けをしていた母親は、満更でもない顔ですましています。
(あれ?お母さんもいつもよりずっといい服を着てる……!誰かに借りたのかなあ?)
それは紺色に染め上げられた、絹で作られたドレスでした。耳や首にも宝飾品が光っています。
「家族に挨拶をしておいで」
アーデルハイトの視線に気付いたのかゴーシュウがそう言ったため、アーデルハイトはようやく口を開くことができました。
「お母さん、サンサーノ、今までありがとう。元気でね……。お母さんはあまり働きすぎないで……。サンサーノ、夜はちゃんと布団を被って寝るのよ?」
母親もサンサーノも涙ぐんでいます。貧民街の住民も一部釣られたのか、スンスンと音が聞こえました。
(みんな優しかったなあ……。あ。マテオはどこだろう?)
アーデルハイトはキョロキョロとあたりを見回しましたが、マテオの顔は見つけられませんでした。
(……まだ寝てるかな?朝早いものね)
そう思ったアーデルハイトは探すのをやめ、ゴーシュウが開けてくれた馬車に乗り込みました。
(えっ!人がいる!)
馬車には先客が2人いました。綺麗に着飾った白い髪のリス族の女と、これまた綺麗に着飾ったそれより少し若い、焦茶色に白が混じっている髪をしたリス族の女です。
(わあ……!綺麗な人!)
アーデルハイトはそう思いました。それは少し若い初老の女に対してでした。その女がアーデルハイトに向かってにっこりと微笑んでくれたからかもしれません。
白い髪の女は顔もこちらに向けませんでしたから、美醜は判断もつかなかったのです。
「こんにちは」
アーデルハイトがそう言うと、初老の女の方はにこやかに頷いてくれましたが、返事はありません。
白い髪の女は聞こえていないのか、黙っています。
アーデルハイトは一瞬躊躇しましたが、思い切って馬車に乗り込みました。
(わあ……!うちの玄関ぐらいの広さがあるわね!椅子もふわふわでうちにあるどの椅子よりも柔らかいわ!)
座るや否や、アーデルハイトは驚きました。その馬車は本当に快適な造りになっていたのです。
それからすぐにゴーシュウが乗り込んで扉を閉めると、馬車は動き出しました。
馬車の前を先導していた馬に乗っている護衛が貧民街の人間を恫喝して道を開けたようでしたが、アーデルハイトには見えませんでした。
窓の外には大勢の近所の住民が見えます。
アーデルハイトはやはりちょっぴり寂しくなり、窓の外に手を振りました。
(わあ……!皆嬉しそうに手を振りかえしてくれる!やっぱり優しいなあ……)
アーデルハイトは思わずニコニコと笑いました。
「ふんっ。あんな薄汚い者たちにいい顔して。あなたの母親もそうやっていい顔をしながら色んな男を誘惑しているのでしょうね」
急に白い髪の女が喋ったので、アーデルハイトは思わずその女の方を見ました。ゴーシュウの隣、アーデルハイトの斜め前に座っているその女は、眉間に皺を寄せてアーデルハイトを睨みつけています。
「す、すみません……」
(私、悪いことをしちゃったみたい……)
アーデルハイトは慌てて、振っていた手を下ろしました。
(綺麗な人?かな?すごい化粧だな……。お母さんが外に行く時とちょっと似てる……かも)
アーデルハイトは少しがっかりしました。家を出てもやはり、母親のような人に沢山怒られてしまうことが分かりましたから。
「リーシュウや、そんなことを言わないで仲良くしたまえ」
「そもそも、60越えてこんな若い女を買うようなあなたが悪いのです。何も分かっていない小娘ではありませんか!」
「リーシュウだって、何度も娘が欲しいと言っていたではないか」
「私は娘が欲しいと言ったのです!家の手伝いをする夫人を増やして欲しいと言ったのではなくてよ!」
「今更養子縁組はなあ……。ヨンタとワイルももう立派な後継者になって妻子がいるし、こんな小さい兄弟ができたら困るだろう?」
「私だって困りますよ!花街に飽きたらず、花街の女の娘を嫁にまでするなんて!」
「でも、調査ではいい子だっただろう?貧民街の子にしては珍しく花街で働いているわけでもないし、近所の男たちも何故か手をつけていないからね」
「何故かではないでしょう?隣の乱暴者の少年が、手を出そうとした男どもを集団で襲っていたのはもう分かっているではありませんか!」
「いやあ、あれはなかなかすぐには信じられない報告だったねえ……。でも、その少年もこの子には手をつけなかったというんだから、随分立派な心掛けじゃないか」
「そうかもしれませんけれど……。でもそれは、その少年の好みではなかったからではなくて?まだ若い子でしたもの。もっと年下が好きとか」
「そうかねえ……?ま、そうかもしれないけれど、そのおかげでこんな擦れてない娘が貧民街にいたんだから、悪い話じゃないさ」
「ふんっ。男なんて好みだったらすぐに自分のものにするに決まっています!」
アーデルハイトはハラハラしてその会話を見ていました。
(ど、どうしよう……。私のせいだよね?やっぱりお金持ちの人のお嫁さんって怖いのかなあ……。私、目を潰されちゃうのかな……?)
アーデルハイトの家の中で喧嘩が起こることなんて
、殆どありませんでしたから。
アーデルハイトは目をぎゅっと瞑りました。
すると、急に誰かにぎゅっと抱きしめられたのです。それは柔らかくて、とてもいい匂いでした。
(えっ!?)
アーデルハイトが目を開けると、初老の女が自分を抱きしめていました。
(な、なんだろう?この人どうしたのかな?)
アーデルハイトはどうしていいか分からず、身体を硬直させました。
初老の女はアーデルハイトの背をさすっています。
「キーリシアはやはり優しいねえ……。話せないのが本当に口惜しい」
「だからって私と結婚して早々、我が家に連れ込むあなたもどうかしています!しかも使用人ではなく第二夫人にするなんて!」
「でも、その割にはだいぶ家の仕事や育児を手伝ってもらっていたようじゃないか」
「あの時は本当に手が足りなかったのです!妻じゃないと触れない書類もあるでしょう?」
「だからいいじゃないか。キーリシアは口も硬いしね」
「硬いのではなく話せないだけでしょう!誰かに文を送られたらおしまいです!」
「でも、誰かに密告している様子もないんだろう?」
「それはそうですけれど……」
リーシュウは更に眉間に皺を寄せ、ギリギリと歯を鳴らしました。
(わ、わあ……。歯軋りって、起きてる間にする人もいるんだ……!?)
アーデルハイトは変なことに驚いていました。
キーリシアは落ち着いたアーデルハイトに安心したのか、少し身を離し、それでもやはりアーデルハイトの背をさすっています。
アーデルハイトはキーリシアの方を向いてニコリと笑いました。
「ありがとう」
キーリシアは安心したかのように手を離し、ニコニコ笑いながら2回頷きました。
そんな馬車旅は、それから4時間も続いたのです。




