4.
「で、どうだい?決まったかい?」
「うん。リス族の人にしようかな……って」
「そうかい!そうかい!やっぱりハイジはいい女に育ったねえ!持参金もあっちの方が高いし、ハイジの生活だってあの人の方が楽なはずさ!」
返事をするや否や、アーデルハイトの母親は満面の笑みを浮かべました。
(やっぱりこれが正解なんだ……!マテオはすごいなあ)
アーデルハイトはホッとしました。母親に嫌な顔をされるのではないかと少しビクビクしていたからです。
「その人のお嫁さん……第一夫人の人はどんな人なの?」
「あん?そんなの気にしなくったっていいよ!どうせろくな女じゃないさ!」
アーデルハイトがそう聞くなり、母親は苦々しい顔をしてがなり始めました。
「大体ねえ、金持ちの女ってのはケバケバしてて業突く張りなのさ!それでいて嫉妬深くて意地が悪いってのに、男にだけは優しそうな顔をしてやがる!知らない女と浮気した自分の夫より、相手の女を叩く最悪な生き物なのさ!だから気にすることはないよ!」
(あ。聞いちゃいけなかったのかも……)
アーデルハイトはすぐに後悔しました。こうなると長いのです。
「花街に行って欲しくないなら、家に男を縛り付けときゃいいだろ?それなのに誘惑しただのなんだの、あいつらは花街の誰かがわざわざあいつらの男を引き摺って連れてきてるとでも思ってるのかねえ。私らだって面倒な男とは関わりたくないさ!仕事だよ仕事!そりゃ中には入れ上げて嫁に迎える男や、今までの妻に嫌気が差して離婚する男もいるけどね!そんなの、嫁を養う気もない甲斐性のない男を選んだ女が悪いね!そういうやつらは花街に来なくたってどうせ他の女を見つけてきてよろしくやるってのにさ!どうしても花街に来ないような男と一緒になりたいんだったら、まずは自分が男を見る目を養えってんだ!」
「……」
アーデルハイトは黙ってアイロンをかけ続けました。その日は大量のシーツを洗濯したため、アイロンをかけなければならない布は沢山ありましたから。
(そんなに怖いお嫁さんなのかなあ……。何歳ぐらいなんだろう……?)
アーデルハイトは想像しましたが、情報が少なく、分かることはほとんどありません。
(……でも、子どもがいるってことは、リス族の人がいるんだよね?優しい人だといいなあ……)
そして、ちょっとだけ追加で考えました。
(結婚する人は、旦那さん?ご主人様?なんて呼べばいいのかなあ……。お母さんみたいにすぐ怒らない人だといいけど……。マテオみたいな人だったらいいかも……)
そしてその日から、アーデルハイトはとても忙しくなりました。
「ほら!知り合いから昔の花嫁衣装を借りてきてやったよ!これを修繕して結婚式までにまともな衣装にするんだ!3ヶ月後には式だからね!」
「はーい」
アーデルハイトはまだ相手に会ってもいませんが、どうやら婚約は無事成立したようです。
(どんな人かなあ……)
花嫁衣装は昔は白かったのでしょう。でも、長い年月のせいか、今は少しベージュがかった色に変わっていました。それでも衣装のレースは繊細で美しく、所々にあしらわれている真珠は艶やかに光っています。
(花嫁衣装って可愛いなあ。どんな人が持ってたんだろう。すっごく高そうなレース……。相手の人……確かゴーシュウさん?は喜んでくれるかな……)
その衣装は以前もリス族の花嫁が着たのか、アーデルハイトの背丈にもぴったりで裾や丈を整える必要はなさそうでした。
(結婚式は相手の家でするんだよね?どんな家かなあ……。あ。でも、お母さんが、夫人には1人に1つ家があるって言ってたな……。でも、本当にそんなお金持ちいるのかな?)
アーデルハイトにはまだ現実味がありませんでした。
アーデルハイトの母親は、アーデルハイトがゴーシュウと結婚すると決めたのがよほど嬉しかったのか、色んなことを話してくれたのです。
「金持ちの家はね、第一夫人から第三夫人までちゃんと家が貰えるんだ!使用人まで揃えてくれるかは分からないけどね!だから、あっちの家に行ったら泣き言は言わず、なんでもハイハイ言うことを聞くんだよ!ハイジはただでさえ気が利かないんだから!」
「はーい」
「それから、あっちの家に行ったらもう戻って来れないからね!その家の墓に入るつもりで頑張りな!」
「……遠いところなの?」
「そりゃあそうさ!そんな金持ちがここらにいるわけないだろ?ここら辺は貧民街なんだからね!」
「……サンサーノとも会えない?」
「会えるわけないだろ!ゴーシュウ様が寛大だったから良かったが、嫁に男兄弟がいるのを嫌がる男もいるんだからね!」
「はーい」
(そっかあ……。サンサーノとももう会えないんだ……)
アーデルハイトは急に不安になりました。よく考えると、アーデルハイトは今までこの家以外に住んだことがありません。
(お母さんとももう会えない……?)
母親と離れるのは普通は悲しいはずなのに、アーデルハイトはなんだかホッとしました。むしろ、結婚が少し楽しみになったのです。
(結婚したらぬいぐるみが買ってもらえたりして……!だってお金持ちなんだもの!)
アーデルハイトは青空教室からの帰り道で、雑貨屋の窓を覗いたことがあります。その雑貨屋は古ぼけていて、どこかで一度使われた物を安く手に入れ、売りに出しているようでした。
(あのウサギのぬいぐるみ、可愛かったな……)
そのぬいぐるみは真っ白で首元に大きな空色のリボンまでついていて、他の物とは違って新品同様でした。
(ご飯も……毎日食べられるといいな……)
いざ結婚するとなると、新生活が楽しみになってくるものです。
相手の顔もまだ知りませんでしたが。
「おい!ハイジ!結婚決まったんだってな!」
「あ。マテオ!うん!」
「どこのやつだ?」
「遠いところのおじいちゃんだって!」
「じいさんか……。そりゃ良かった。って、そうじゃねえよ!どこの地域だよ!」
「地域……?」
「おいおい!青空教室でも言ってただろ!タナラン地域とか、テンラル地域とか!」
「聞いてない……」
「おまえ……本当に大丈夫か?」
「……分からない……ゴーシュウさんに怒られるかな?」
「そいつはゴーシュウって名前なんだな?普通は地域もちゃんと聞くだろ!最北端のヤバい地域だったらどうすんだよ!」
「北だとダメなの……?」
「ダメってわけじゃねえけど、冬になるとあそこはしょっちゅう雪が降るんだぜ?川も湖も凍るってよ!」
「川が凍るの……!?」
「……ハイジはほんと何も考えてないなあ……。……いいか?とにかく生きろよ?やばくて死にそうだと思ったらそのじいさんか他の夫人に助けを求めろ!……まともなやつにだぞ?」
「どんな人がまとも?」
「そりゃ……うーん……、俺みたいなやつかな?」
「……そんな人いるかなあ」
マテオは少し頭をかきながら天を見上げました。
「……サンサーノみたいなやつでもいいよ!とにかく生きてたら探してやっから!」
「探してくれるんだ?」
「……そりゃ、幼馴染がのたれ死んでたら夢見が悪くなりそうだからな!」
「幼馴染……?」
「そうだろ?ガキん頃から知ってんだから」
「ふふふ、幼馴染かあ。分かった。頑張る」
アーデルハイトは可笑しくなりました。
(マテオみたいな人を、お父さん……っていうのかも)
アーデルハイトはもう、自分の家が世間一般からすると少し特殊だということを分かっていました。貧民街の中では普通ですが。
(マテオの家はお父さんだけだから……。マテオはお父さんに似たのかな?)
アーデルハイトはそんな日々を過ごしながら、結婚式の日を迎えたのでした。




