#16. 別れ、出会い。あるいは。
帰支度を始める獣人たちの姿に、まだテントを片付けていなかったことに気づいたエルナが急いで声をかけた。
「ちょっと待って。近くにテントを張ってあるの。すぐに片付けるから、少しだけ待ってくれるかしら?」
「テント? こんなところで? お嬢さん、寒くないのか?」
「保温魔法くらい難しくないもの。テントの中はすごく暖かくて快適よ」
「保温……あ、そういえば人族は魔法が特化しているんだっけか。どれくらいかかる?」
「三十分ほどよ」
エルナの答えにラファが眉を釣り上げ、聞こえよがしに舌打ちをした。
「だるいほど時間かかるじゃん。その間、アタシたちはここでじっと待ってろってわけ?」
「おい、ラファ。やめろよ」
「アタシが悪いわけ? そもそも、なんでアタシたちがこの女を待ってなきゃいけないのさ! 一人で行かせりゃいいだろ!」
戦闘で積もったわだかまりがまだ解けないラファは、エルナが他の獣人たちと話しているときも不満げな表情で睨みつけていたが、エルナの言葉が気に食わないのか即座に不満をぶちまけた。
エルナが無言で見返すと視線を逸らしたものの、隙あらば突っかかってくる様子は、まるで言いがかりをつけるネタを探す王妃宮の侍女たちのようだった。
(あら。忘れた頃にイライラがこみ上げてくるってことは、まだ根に持っていたわけね)
侍女といえど貴族の子女だ。特に王妃宮では政治的な思惑が複雑に絡み合っているためぞんざいに扱えなかったが、今は違う。
この状態のままラファと一緒に移動したところで、お互いに感情を害して揉め事が起きるのは目に見えていた。
それに、もう一度いさかいが起きれば、エルナはさっきのように生ぬるく見逃すつもりはなかった。
顔をしかめたエルナは少し悩んでから、ホリに尋ねた。
「ホリ。村まではどれくらいかかるのかしら? すごく遠い?」
「いや、そんなに遠くはないよ」
「どうやって行くの?」
「ここからもう少し進むと、村へ向かうトンネルがあるんだ。ただ、かなり深い場所にあるから青熊族じゃないと上り下りするのが難しくてね」
青熊族じゃないと難しい、か……。
「どうして難しいのかしら? 高低差があるから? それともクレバスの間にあるとか?」
「クレバスの間にあるよ。って……なんでそんなこと聞いてくるんだ?」
「この地図に位置を書き込んでくれる? そしたら私一人で勝手に行くから」
「えっ?! お嬢さん、それどういうことさ」
驚いたホリが問い返すと、エルナは自分に敵意を向けているラファの方へと首を向けた。エルナが突然視線を転じたため、ラファは慌てて目を逸らした。
(性根が腐ってるわね)
怖いなら突っかかってきなきゃいいのに。あるいは、信念を貫いて盛大に散ってみせるか。
どっちつかずな態度はエルナが一番嫌いなタイプだった。片方の口角を釣り上げたエルナは、ラファから目を離さないまま言った。
「私、実力もないくせに口だけ達者な小娘がこの世で一番嫌いなのよ。一緒にいっても喧嘩になるだけだから、自ら引き下がってあげようっていう優しさよ」
「はぁ? おい、テメェ今何……」
「言い切ったならどう? 一戦交えてみる? あなた程度の無能な役立たずなら、エアルテなしでも簡単に料理してあげられるけれど?」
「こいつ、マジで!」
「やめろって、ラファ!」
毛を逆立てたラファが牙を剥き出しにすると、パカンが彼女の頭を激しく叩いた。パカンはすぐにエルナの方を向き、低い声で言った。
「ラファが無礼な振る舞いをしたことは謝罪する。だから、あなたもそこにしておいてくれ」
「ええ、ええ。とにかく私たちは彼女と死ぬほどソリが合わないみたいだから、地図に場所だけ教えてちょうだい。あとは自分でどうにかするから」
「いや、お嬢さんと一緒に行くよ。パカン、いいだろ?」
「ああ。俺がラファを連れて先に出発する」
おや? ホリは話が通じるだけでなく、性格もいいらしい。エルナが意外そうな表情で見つめると、ホリは首をかしげながら尋ねた。
「お嬢さん? どうしたの?」
「何でもないわ。じゃあホリ、お願いしてもいいかしら? お礼はたっぷり弾むから」
「お礼なんていいさ。気にしないで。そもそもこれも俺たちの仕事だしね」
ホリが人の良さそうな笑みを浮かべた。
子狐を抱えているとはいえ、そろそろ腕が疲れてきたところだし、話がまとまったなら早く動いたほうがよさそうだ。
パカンと簡単な挨拶を交わしたエルナは、そのままホリと共にテントを張っていた場所へと向かった。
魔法がかけられたテントは吹雪の中でもびくともせず頑丈に立っていた。
「それじゃあホリ、ちょっと外で待っててくれる? そんなに時間はかからないから」
「わかったよ」
「あ、それから、寒いかもしれないから……ちょっと手を出してもらえるかしら?」
「え? うん」
ホリが差し出した手にエルナが自分の手を重ね合わせた。
ザハードとは違うが、ザハードと同じくらい温かい手だった。
目を閉じたエルナが軽く呪文を唱えると、ホリの周囲に薄い膜のような光が灯った。
「おっ、これが保温魔法かい? すげえな」
「温かいでしょう? すぐ片付けるから、少しだけ待っててね」
「ゆっくりでいいよ〜」
ホリを外に残してテントに入ったエルナは、懐にいた子狐をベッドにそっと下ろしてから、すぐに荷物の整理を始めた。
ティーセットを真っ先に収納バッグに入れ、ティーテーブルを綺麗に折りたたむ。
入浴しようと考えていたせいで浴槽まで出していたため、浴槽とシャワー道具もきれいに片付けた。
着替えの服も畳んでしまい、化粧品を含む生活雑貨も次々と押し込んだエルナは、最後にベッドを整えるため寝台へと歩み寄った。
いや、歩み寄ろうとした、その瞬間だった。
「うっ……?!」
ベッドに向かおうと体を翻した拍子に、何かに激しくぶつかってしまった。
最初は壁だと思った。硬くて冷たくて、何より真っ白だったから。
それが壁ではないと気づいたのは、このテントの中に壁など存在しないことを誰よりも自分がよく分かっているからだ。
見知らぬ何かが気配もなく近づいていた。驚いたエルナが腰の後ろに差していた短剣を引き抜こうとした、その瞬間だった。
「……ザハード、様」
「え、えっ…?!」
ザハードの名を呟いたその[壁]が、エルナの胸元へと崩れ落ちるように倒れ込んできた。
反射的に抱き留めると、雪のように白い髪が視界を搔き乱した。
触れ合う胸の向こう側から、あまりにも遅く、そして不規則な鼓動が聞こえてきた。
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