#12. 空っぽの王座(セレン視点)。
(一体なぜ、こんなことになってしまったのだろう)
太陽が高く昇った正午。
一日の始まりとしては遅い時間であるにもかかわらず、会議室の内部には静寂だけが立ち込めていた。
御前会議に集まった貴族たちは互いの顔色を窺うばかりで、誰も先に口を開こうとはしなかった。
(聖女である私が、他人のものに心を奪われた罰なのだろうか? それとも、ただ起きるべきことが起きただけなのだろうか)
王都内の高位貴族の当主が勢揃いした席であるにもかかわらず、最も上座である国王の座は空っぽだった。
二番目に高い席――本来なら王妃が座るべき席に無理やり座らされたセレンは、その虚ろな隣席を見つめながら漠然と考えていた。
「……聖女様。陛下はいつお越しになるのですか?」
長すぎる沈黙に耐えかねた宰相が、低くセレンに尋ねた。
セレンとて知りたいはずだった。カメルがいつ会議室に入ってくるのか。
カメルが戻ってくるのかどうか。
(ただ……ほんの少しだけ夢を見たかっただけなのよ。こんな座を狙うつもりなんて毛頭なかったのに)
アマリア神聖王国の第三王女セレンは、生まれて一度も外国に出たことがなかった。
神聖王国はその名の通り非常に厳しい規律と制約に満ちた場所であり、幼いセレンにとってそこは美しい牢獄に他ならなかった。
そんなセレンにとって、ハーメルンという未知の国へ向かう旅はまるで夢のようだった。物語に出てくるような閑静な村、優しい人々、華やかな王都、そして物語にそっくりな王子様。
カメルを初めて見た瞬間、彼に心を奪われたことは認める。
しかし、彼の視線にはいつだって別の誰かが映っていたことをセレンは知っていた。
セレンとは対照的な、黒い長髪を柔らかく三つ編みにまとめた女性は、セレンと同い年とは思えないほど大人びた美しさを放っていた。神秘的な色が宿る黄金色の瞳。
当時、王太子の婚約者だったエルナは、カメルと共に魔巣戦争の先頭を指揮した魔導将軍であり、戦争を勝利に導いた英雄だと聞いていた。
セレンの目から見ても、エルナは思わず頭が下がるほど気高く美しい女性だった。
(絶対に勝てないんだわ)
恋心を自覚した瞬間、失恋したことを理解できた。セレンは芽生えた小さな恋をすぐに諦めた。
どうせセレンが自由に過ごせるのは五年間だけ。
だからほんの少し。意地悪をしただけなのだ。
勝てないことくらい分かっているから。カメルが誰を愛しているのか知っているから。エルナならこの程度の意地悪くらい許してくれるはずだから。
あの日の王城の宴会でも、それは意地悪の一環だった。エルナなら即座に反論するはずだから。存在もしない罪を着せられて謝るほど、彼女は柔な人間ではなかったから。
(一体なぜ、こうなってしまったんだろう)
王城の宴会以降、すべてが壊れてしまった。カメルはもうセレンに微笑んでくれなくなったし、紳士的に接してくれもしなかった。
セレンだけではない。一応政務はこなしているものの、政務以外は一切何もしない。
食事すら口にせず、毎夜のように幽霊のように王妃宮を徘徊した。
「王妃が消え、国王が狂った」
王城内に噂は瞬く間に広がっていった。姿を消した王妃を探すため王都一帯をしらみつぶしに捜索したが、エルナはどこにも見当たらなかった。
そうして一週間。事件が起きた。
「俺はなぜ、こんなことをしているんだ?」
倒れない程度の栄養だけを摂取しながら仕事ばかりしていたカメルが、突然ガバッと席から立ち上がったかと思うと、そのまま狂ったように笑い出したのだ。
「エルナのいないこの国に何の意味があるというんだ? 言ってみろ! セレン! お前は聖女なんだから何でも分かるだろ?」
ハーメルンの大結界についての相談のために執務室を訪れていたセレンの肩を荒々しく掴んで叫ぶカメルは、恐ろしいほどだった。赤く充血した瞳には、もうセレンの姿は映っていなかった。
「陛下。王妃様はすぐに戻られます。ですからどうか……」
「いや! エルナはもう戻らない。この国に、俺に完全に愛想を尽かしてしまったんだ」
座り込んだカメルは泣いていた。うなだれたまま切なそうに泣く彼の姿に、セレンの胸を引き裂かれるように痛むと同時に、こんな瞬間でさえ自分以外の人間を選ぶ彼が憎らしかった。
セレンはそっとカメルの肩を抱きしめた。しかしカメルは、手首が折れそうになるほど強くセレンを振り払った。
「全部お前のせいだ。お前さえいなければ」
「へ……陛下?」
「いや、違うな。聖女だけの問題じゃない。すべてはこの国のせいだ。俺が王太子でなければ魔巣戦争に出る必要もなかったし、聖女によく見られる必要もなかったはずだ」
席から立ち上がったカメルがブツブツと言葉を続けた。
「そうだ、この国の王でなければいいんだ。そしたらエルナはまた俺を見てくれる。エルナの好きな冒険小説の中の英雄たちのように。一緒に旅に出よう。そうだ、それがいい」
「陛下!」
「聖女、お前はいつも王座を熱い眼差しで見つめていただろ? それは王になりたいという意味のはずだ。いいだろう、お前にやる。この国を持っていけ。お前ならうまく統治できるだろう。おい、キャメロン。お前はセレンが好きだったな。ちょうどいい。お前は国王の護衛だ。これから一生セレンを守れ」
被っていた王冠をセレンに投げつけたカメルは、自分の傍らに立った護衛騎士に笑いかけながら言った。そして誰が引き止める間もなく執務室を飛び出していった。
それがカメルの最後の姿だった。
(……陛下)
それから五日。セレンはカメルを捜し出すためにあらゆるツテを当たってみたが、王族専用の秘密通路から出ていったのか、誰もカメルの行方を掴むことはできなかった。
「陛下が御前会議にご欠席されてから五日になります。聖女様。どうか教えてください。陛下はいったいなぜ謁見室にお出にならないのですか?」
「それは……」
やっとの思いで口を開いたセレンは、込み上げる吐き気をこらえながら固く目を閉じた。聖女は決して偽りを口にしてはならない。これまで巧みにごまかしてきたが、もはやこれ以上ごまかすことはできなかった。
国王の不在も、消え始めた大結界も……。
沈黙だけが支配する会議室、セレンは惨めな気持ちを必死に抑え込みながら口を開いた。
「陛下は……王位を捨ててお発ちになりました」
セレンの答えは凄まじい波紋を広げた。貴族たちの顔に困惑の色が広がる中、たった一人。オルテンス公爵だけは、こうなることが分かっていたかのように穏やかな顔を浮かべていた。




