第6話 「……手」
軍用通信が、静かに割り込んだ。
『――ノクス・リシェ。応答しろ』
低く落ち着いた声。
それだけで誰か分かる。
(……アル)
肩から、
少しだけ力が抜けた。
『――門の外にいる。早く来い』
「了解」
通信が切れる。
私は人の流れに逆らうように、
校門へ向かった。
すれ違うたび、
視線が刺さる。
恐怖。
畏怖。
憧憬。
……その違いは、よく分からない。
どれも似たような顔に見えた。
そして――
校門の前で、
おかっぱの少女が深く一礼する。
軍人だ。
一目で分かった。
無駄のない敬礼。
隙のない立ち姿。
ああいうのを見ると、
少しだけ肩が凝る。
(……やっぱり、そっち側だったか)
どうやら昨日の接触も、作戦の内だったらしい。
「はーい、ノクスです」
少女からレシーバーを借りる。
私は軍人じゃない。
王子様への直通回線なんて持っていないのだ。
「――迎えに来たよ」
すぐ後ろで声がした。
油断した。
この気配は――
「この間はごめんね」
振り向いた瞬間、
赤い薔薇の花束を押し付けられた。
ふわりと気品のある香りが鼻先を掠める。
「あと、卒業おめでとう」
首に記念メダルが掛けられる。
なんか軽い。
ペラペラしてる。
それより――
「……なんでいんの?」
「もちろん、君の卒業式に出席するためだよ」
「……それ、王子様がやること?」
「大事な幼馴染の卒業式だからね」
「……暇なの?」
「酷いなぁ」
柔らかく笑う。
――レダリウス王国第一王子・アルシオス。
ちなみに、
軍の総司令官でもある。
「今日も最高に可愛いね、ノクス」
大きな手のひらで、頭を撫でられる。
それだけで。
胸の奥で引っかかっていたものが、
少しだけ軽くなった気がした。
「スカート、新しいの渡せばよかったね。さすがに三年前のは短すぎる」
顎に手を添え、
じろじろと全身を眺め回される。
「……二日しか着ないし、いいかなって」
「魔法でプリーツが靡く度、そこしか目がいかなくてね。
綺麗な足に傷がつかないかヒヤヒヤしたよ」
後半それっぽいこと言ってるけど。
――たぶん、
パンツが見たかっただけだと思う。
「そうだ。部屋まで送ってくれるかい?
後処理を任せたら、運転手がいなくて」
返事をする前に、
指先同士が絡め取られる。
冷えた指先に、
じんわりと熱が移った。
……とりあえず、
乗ることにした。
◇
行き先は、
アルシオスのプライベートルーム。
大きなベッドへ、
倒れ込むように着地する。
柔らかい。
あったかい。
安心する。
「ノクスは、本当にここが好きだね」
「……だって、よく寝れるから」
指先に力を込める。
隣にはアルシオス。
滑らかな絹のシーツ。
包み込むような温度。
――この瞬間が好きだった。
「世界最強度のセキュリティシステムを採用してるからね。
おかげさまで、僕も毎晩快眠だよ」
アルシオスがイタズラっぽく笑う。
何重にも張られた結界。
外からの干渉を拒む王族専用の防壁。
ここは、世界一堅牢な寝室だ。
……私が壊さない限りは。
「着替えてくるね」
額へ、
そっとキスが落ちた。
触れられた場所だけ熱い。
無意識に右手で押さえる。
「これ、ノクス用に買ったんだ。気に入るものはあるかな?」
数分後。
レダリウスの第一王子ではなく、
“幼馴染のアル”が戻ってきた。
両手いっぱいに服を抱えて。
一枚ずつ、
宝物みたいにベッドへ並べていく。
(……私、もう十六なんだけど)
大きなリボンのスカート。
レースがあしらわれたブラウス。
刺繍が細かい、フリルたっぷりのワンピース。
昔からアルシオスは、
こういう服を私に着せたがる。
ふわふわしていて。
柔らかくて。
壊れやすそうなものばかり。
――兵器に、可愛いは必要ないのに。
「こういうの嫌いなの、知ってるでしょ。いつものでいい」
「……そう言うと思った」
くすりと笑って、
アルシオスは自分のシャツを差し出した。
ぶかぶかの白いシャツ。
受け取って袖を通す。
柔らかな香りに包まれて、
そのまま丸くなるようにベッドへ沈む。
……これが一番落ち着く。
「猫みたい」
笑いながら、額を撫でる。
髪を梳く指先が心地いい。
気付けば、
無意識にその手へ擦り寄っていた。
そっと目を閉じる。
アルの指。
優しい声。
ゆっくり流れる時間。
――戦場の匂いも。
血の匂いも。
この部屋にいる間だけは、
少し遠くなる。
この時だけ――
私は、
“ただのノクス”になれる。
この時間が好きだった。
「今日はありがとう。助かったよ」
穏やかな声。
けれど。
この時間も、
長くは続かない。
「知ってたんでしょ? あいつらが来るの」
だから卒業を一日伸ばした。
わざわざ、
小道具まで使って。
「一応、王国一の名門校だからね。将来有望な彼らを見殺しにはできないさ」
指先が髪を優しく梳いていく。
アルシオスは、
私を女の子にしたがる。
この髪だって、
彼のために伸ばしている。
でも――
レダリウスの王子様は違う。
「今回の件はノクスが最適任だった。敵も君のことを学生だと油断していたしね」
優しい声。
せめてもの抵抗に、そっと目を閉じた。
「君なら最小の被害で、この事態を終息させることができると信じていた。
そして見事に、それに応えた」
……褒めてくれているんだと思う。
けれど。
胸の奥が少しずつ削れていく。
「見事だった。さすが、“アンダー・リム”だ」
その呼び方は嫌いだった。
アルがそう呼ぶ時は、
幼馴染じゃなくなるから。
ただのノクスじゃ、
いられなくなるから。
――兵器に戻される。
「……それ、褒めてるの?」
一瞬だけ。
アルシオスが黙った。
その沈黙だけで、
十分だった。
そっと、目を開ける。
「今日はもう休みなさい」
「……話、逸らした」
「逸らしてないよ」
優しく笑う。
そのまま髪先へ、
そっと口づけが落ちた。
ぬくもりが離れていく。
「……手」
小さく呟いて、
手のひらを差し出す。
「握ってくれないの?」
いつものおまじない。
指を絡めて、
隣で眠るだけで安心できる。
……でも今日は。
「まだやることがあるから、終わったらね」
一瞬、息が止まる。
断られるなんて、
思っていなかった。
胸の奥が、
ひやりと冷えた。
いつもなら、
このまま、
一緒に横になってくれるのに。
代わりに――
額に。
瞼に。
頬に。
優しく、キスが落ちてくる。
壊れ物に触れるみたいな、優しい息遣い。
(……あったかい)
アルシオスがいないと、
上手く眠れなくなった。
そんな私を、
無理やり眠らせるのが神様だ。
(……やっと、寝れそう)
微睡みに落ちる寸前。
アルシオスの指先が、
名残惜しそうに離れていった。
眠ったことを確認してから、
彼はそっと前髪に触れる。
壊れ物を扱うみたいに。
「……ノクス」
切なげな声が落ちる。
「君を普通の女の子にできない僕を、許さないでほしい」
静かな部屋に。
彼女は眠ったまま、
返事をしなかった。
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