第9話 いじめていいのは私だけ
「あ、おはようございます」
アルシオスが、ごく自然な動作で教室の扉を開ける。
そのまま私の背中を軽く押した。
「……ます」
並んで教室へ入る。
先生はまだ来ていなかった。
アルシオスに促され、通路を進もうとした――その時だった。
「やっぱり、お姉さん!?」
すぐ近くで誰かが勢いよく立ち上がる。
声より先に身体が反応した。
反射的にシールドが展開し、そのあとでようやく相手を認識する。
「……うるさい」
例の少年だった。
テロリストを手引きした――あの生徒。
「あ、もしかして卒業延期ですか!? スタジアム壊したから!」
なぜか笑われる。
そう言えば、アルシオスも笑っていた気がする。
(……スタジアム壊すと、面白いの?)
よく分からない。
それにしても、すごい生命力だ。
いや、治した人がすごいのか。
――さすが、私だね。
「……ノクス、彼は?」
アルシオスが軽く咳払いする。
外向けの顔だった。
「知らない」
「またまたぁ! バディになった仲じゃないですか!」
……そんな話もあった気がする。
アルシオスがスッとネクタイに指をかけた。
私を背に隠すように、一歩前へ出る。
――珍しい。
アルが、誰かを警戒している。
「――挨拶が遅れたね」
なんだか声が低い。
「僕はアルシオス・レダリウス。この国の第一王子だ」
流れるような所作。
外交用の完璧な笑顔。
一瞬で教室中の視線が集まった。
周囲が息を呑む。
けれど。
「あぁ、あなたが……」
少年――ネモの表情が変わる。
一瞬だけ笑顔が消えた。
その視線が、アルシオスの胸元にある王家の紋章へ落ちる。
(……なに、この感じ)
さっきまで騒がしかった教室が、少しだけ遠くなった気がした。
「ネモです。よろしくお願いします」
「……覚えておくよ。ノクス、席へ行こう」
アルシオスが微笑む。
でも――目だけが笑っていなかった。
(……あれ、この顔)
どこかで見た気がする。
気づけば声が出ていた。
「ネモ、だっけ」
名前を呼ぶと、ネモが表情を和らげる。
固まるアルシオスを尻目に、握手を求めるように手を差し出した。
「はい。ノクスさんって言うんですね」
ネモが手を伸ばす。
皮膚が触れる――その直前。
「アルのこといじめていいのは――私だけだから」
自分で言ってから、なんだか少し変な気分になった。
指先に術式が浮かぶ。
淡い光がぱちりと弾けた。
ネモの顔色が一瞬で変わる。
「っ、ノクス!」
アルシオスが慌てて私の手を包み込んだ。
それだけで術式はふっと霧散する。
「……なに?」
「教室は壊さない約束だろう?」
「……そうだった」
――約束、忘れてた。
少しだけしょんぼりする。
するとネモが引きつった顔のまま後退った。
「いやいやいや!? 今、完全に殺る流れでしたよね!?」
「殺してないよ」
「結果論!!」
ネモの悲鳴が教室中に響く。
しん、と静まり返る室内。
クラスメイトたちが一斉にこちらを見ていた。
怯え。
困惑。
そして少しだけ、好奇心。
(……めんどくさい)
後始末、よろしく。
アルシオスの袖を掴む。
見上げると、いつもの優しい表情に戻っていた。
「席、行こうか」
「うん」
けれど。
「待ってください!」
ネモが懲りずに割り込んでくる。
「なんで今ので終わった空気なんですか!? 普通もっと問題になりますよね!?」
「ならないよ」
「なります!!」
「ネモくん」
アルシオスが、にこりと笑う。
完璧な王子様の笑顔。
「これ以上騒ぐと、今度は僕が止められなくなる」
「え?」
「ノクスを」
その瞬間。
教室から音が消えた。
ネモの顔が引きつる。
「……すみませんでした」
「賢いね」
満足そうに頷くアルシオス。
(……何、その感じ)
まあ、いっか。
王子様が笑っているなら、それでいい。
席へ向かおうとして、ふと足を止める。
「……アル」
「どうしたの?」
「席、どこ」
「僕の隣」
即答だった。
ざわっ、と教室が揺れる。
「えっ」
「隣!?」
「王子の!?」
(……なんで騒いでるんだろ)
不思議に思いながら窓際最後列へ向かう。
アルシオスが椅子を引き、当然のように私を座らせた。
「え、今……」
「王子がエスコート……」
「自然すぎない?」
(……普通じゃないの?)
座った瞬間、周囲の緊張がまた一段階上がった。
その時だった。
「アルシオス殿下!!」
担任らしき教師が勢いよく教室へ飛び込んできた。
額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
「ど、どうして登校されているのですか!?」
「学生だからかな」
「昨日、ご卒業されたはずでは!?」
「一昨日、校則が変わってね」
にこやかに返す。
教師の顔色がみるみる悪くなった。
「そんな……うっ、胃痛が……」
「何か問題が?」
「ありません!!」
悲鳴みたいな返事だった。
「え、アルも昨日卒業だったの?」
「本当はね。でも、無効になっちゃった」
「馬鹿なの?」
校則変えたの、自分だよね?
すると隣でアルシオスが小さく笑う。
「だって、ノクスと青春したかったから」
「青春?」
「一緒に授業を受けたり、ランチしたり」
(……やっぱり、馬鹿だ)
そんなの別に必要ないのに。
なのに少しだけ胸が温かくなる。
「で、では……お二方、自己紹介をお願いします」
担任の一言に、アルシオスが立ち上がる。
「アルシオス・レダリウス。学内では普通に接してくれると嬉しい」
自然と視線が私へ集まる。
……何を言えばいいんだろう。
「名前だけでいいよ」
アルが小声で教えてくれる。
口を開いた、その瞬間。
『――裏山に大量のモンスターが出現。ランクC以上の学生は討伐へ向かってください』
校内放送が響いた。
教室が一気にざわつく。
「やば、近くない!?」
「結界班呼んで!」
慌ただしくみんなが立ち上がる中。
「ノクス・リシェ」
静かな声だけが教室を通った。
((今!?))
クラスの心が一つになる。
――この状況で自己紹介続けるのか。
しかも、それだけ言って席に座る。
「頑張ったね。素敵な自己紹介だったよ」
「……ん」
あそこだけ、なんか空気がおかしい。
花、飛んでるし。
『繰り返します――』
放送が続く。
一拍遅れてクラス全体が慌ただしく動き始めた。
「ノクスは、行かないの?」
「うん」
((え???))
またしてもクラスの心が一つになる。
「呼ばれてないし」
なにより。
「……めんどくさい」
ランクCが何かも知らないし、そもそも呼ばれていない。
みんなが帰ってくるまで寝て待つつもりだった。
「そうだね。そうしようか」
アルシオスも軽く頷く。
「え、ノクスさん行かないんですか!?」
代表するようにネモが声を上げる。
代わりにアルシオスが苦笑した。
「ノクスが行くと、裏山が消えちゃうからね」
軽い口調。
逆に教室は静まり返る。
「……その方が早い」
けれど今は、それさえ億劫だった。
……なんだか、すごく眠い。
すると担任が恐る恐る口を開く。
「ノ、ノクスさんは……殿下と教室待機でお願いします」
元から、そのつもりだった。
返事をしようとした――その瞬間。
――ゴゴゴゴゴッ!!
耳を塞ぎたくなるような振動が校舎を揺らした。
「きゃっ!?」
「な、何だ!?」
机が跳ねる。
窓ガラスが激しく震えた。
次の瞬間。
轟音と共に、床に亀裂が走る。
「うそだろ――!?」
誰かの叫びを合図にしたように、地面が真っ二つに裂けた。
まるで巨大な爪で引き裂かれたみたいに。
机が傾く。
悲鳴が重なる。
足元が崩れ落ちた。
「ノクス!」
アルシオスが咄嗟に手を伸ばす。
(……めんどい)
落ちながら、あくびを噛み殺す。
心の中で小さくため息をついた――その時だった。
ぞわり、と。
首筋を冷たい指でなぞられたような感覚。
(……あーあ)
これは雑魚じゃない。
戦場で何度も感じた、ホンモノの気配だった。
(……本体はこっちか)
奈落の底から。
何かが笑った気がした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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ノクスたちの物語はまだまだ続きますので、これからも見守っていただけたら嬉しいです。
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