【第5章】【第1節】バカンス最終日、不穏な影の接近。緑海樹海より逃れた「黒い霧」の残滓
第5章 黒き霧、楽園を侵す
第1節 バカンス最終日、不穏な影の接近。緑海樹海より逃れた「黒い霧」の残滓
東方限界海域でのバカンス最終日。
俺たちは、名残惜しむように『潮騒の神殿』のテラスで遅めの朝食をとっていた。
アピス特製の深海サンドイッチ(見た目は青いが味は絶品)を頬張りながら、穏やかな波音に耳を傾ける。
「主よ、帰りたくないな。王都の喧騒を思うと胃が痛くなる」
マリモがテーブルの上でゴロゴロと転がりながら、切実な声を上げた。
「同感だ。だが、アッシュバーデンの連中も待ってるしな。それに、ここでの研究成果を持ち帰れば、街の環境改善もさらに進むはずだ」
俺は手元のメモ帳に、この海域特有の海藻の成分分析結果を書き込んでいた。
アピスはそんな俺たちを見て、寂しそうに、けれど嬉しそうに微笑んでいる。
「またいつでも来てくださいね。お部屋は一番良いところを空けておきますから!」
「ああ、頼むよ。次はもっと長期休暇を取ってくる」
穏やかな時間。平和な会話。
だが、その平穏は唐突に打ち破られた。
ザザァッ……ザザァァッ……。
波の音が変わった。
規則正しいリズムが乱れ、不快なノイズが混ざり始める。
同時に、鼻をつく腐臭が漂ってきた。
「……なんだ、この臭いは」
俺は顔をしかめた。それは、アッシュバーデンの最下層下水道よりも酷い、ドブと腐敗が凝縮されたような悪臭だった。
「主よ! 海を見ろ!」
マリモの警告に、俺たちは一斉に海へ視線を向けた。
息を呑む。
美しかったアピス・ブルーの海が、どす黒く変色していた。
水平線の彼方から、黒い霧のようなものが海面を這うように迫ってくる。
「あれは……まさか、『黒い霧』か!?」
俺の記憶にある、忌まわしい厄災の名前が脳裏をよぎる。
かつて北方の『緑海樹海』で発生し、多くの命を奪ったとされる正体不明の呪い。
討伐されたはずのそれが、なぜこんな場所に?
「生き残りか……! いや、残滓だとしても、この規模は異常だ!」
黒い霧は意思を持つかのように蠢き、この『潮騒の神殿』を目指して一直線に進んでくる。
まるで、ここにある膨大な魔力を喰らい尽くそうとするかのように。




