最期の願いの話
「ヴィオ」
暗い部屋に、低いテノールが響いた。
その声はどこか優しく、聞く者に安心させる様だった。
声の主の姿は霞んでいてよく見えない。
姿は不安定で、ともすれば消えてしまいそうなほど弱々しかった。
そんな彼の元に青年が現れる。
黒髪に黒い瞳。あまり、表情を見せない……最初の使い、ヴィオルール。
その目は彼の姿しか見ていない。
「ヴィオ……申し訳ないね」
「なにを言ってんだよ」
「私の所為でこんな事になってしまった」
「てめぇの所為じゃないだろ。……それに、オレはお前が創ったんだ……お前が創造主なんだから……」
困った様子で彼が微笑む。
やはり、その姿は儚い。いまにも消えてしまいそうだ。
それを見て、ヴィオルールは苦しげに顔をそむけた。
「絶対、消えんなよ」
「私は消えることはないよ」
消えることはないけれど、今のままは保てない。
暗に、告げられる事実に、ヴィオルールは苦虫をつぶしたように顔をしかめる。
「……そう言う意味じゃない」
「ごめんね」
微笑む彼は、とても美しかった。
それは、儚く散っていく花に似ているかもしれない。
物悲しくも、美しい。そんな退廃的な美だった。
きっと、花は散るから美しい。
いつか、それを認められない鏡の魔王が生まれるとしても。
「だからね、ヴィオ……私は、君達は自由になるべきだと思うんだ」
「……」
「私の子ども達……もう、縛られなくていいんだよ」
「それは……」
「もう、自由に……生きて欲しいんだ」
「それは……ふざけるな!!」
ダンっ、と壁が叩かれる。
自分の無力さはヴィオルール自身が良く解っている。だからこそ、許せない。
自分も、それを受け入れている彼も。
そして、このような事態を起こしてしまった世界を。
「オルロンドも同じことを考えているってさ」
「あんな朴念仁と一緒にするなっ」
「君は本当にオルロンドが苦手だね」
「に、苦手な訳が無いだろ! 嫌いなだけだっ。おいっ、笑うな!」
今も、この部屋から一歩外へ出れば、無意味な戦いがおこなわれている。
蘇芳に染まった地面。打ち壊された村々。野ざらしの墓標。もはや、この大陸で争いのない場所は無かった。
すでに目的を忘れ、ただ憎しみのままに、もしくは命じられるがままに戦う。
戦いはさらなる戦いを呼んで、彼の身を蝕んでいる。
それが、たまらなく悔しいのだろう。ヴィオルールは顔を曇らせる。
そんなヴィオの肩を叩く存在がいた。いつの間にか、部屋にはヴィオルール以外の者達も集まってきていた。
二人だけで話しているなよと、仲間たちが口々に話し始める。
そのうち、暗い話は終わりとばかりに明るい笑い声が何時までも続く。
一時の安らぎの時間は、こうして過ぎ去っていく。
こんな時間、いつまでも続いて行かないのだ。
それは、予感があったからだろう。もう、彼は自らの前から姿を消すとだろうという予感。
きっと、オルロンドもアルカディアもこの争いの末にティアロナリアを殺さざるを得ないのだろうと言う予感。
「そういえば、君達にお願いがあるんだ――」
空に星が瞬く頃、ふと彼は一つだけ、言い残した。
それは、小さな宝物の話。
やがておとずれる一人ぼっちのソリテールの話。
彼が死んだのは、その半年後となる。
その後も戦いは続き、この大陸の生きとし生ける者はその数を減らしたと言う。
詳しい事は後世に語り継がれていない。
ヴィオルールは、決して語らない。原初の魔王と呼ばれた者たちもまた、固く口を閉ざしている。
ただ、その戦争が終結した後に、神々は争い邪神を封印したとのことだ。それからというもの、オルロンドの姿を見た者はなく、同時にアルカディアは眠りについてしまった。
そして、彼の最後の宝物もまた、眠りについてしまった。
邪神と呼ばれた彼がかつて、あまりにも優しく、お人よしで、哀しいほどに心の美しい神だったことを知る者は少ない。
彼の眷族ですら、知らないのだ。
知っているのは、かつてティアロナリアの使いと呼ばれた『原初の魔王』だけ……。




