第5話 首の青い玉
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005 首の青い玉 ― 本文
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【発見】 『イナンナの冥界下り』『ギルガメシュ叙事詩』『難破した水夫』ほか、これまでの話から
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■眉
エジプトの巻物を、蛇のあらわれるところまで巻き戻しました。
海に投げ出された男が、ひとり島に打ち上げられます。三日ののち、雷のような音とともに来たのが蛇でした。巻物はその姿をこう書いております。
『体は金におおわれ、眉は本物の瑠璃』
二人の女神の首に続いて、三つ目の瑠璃でございます。
この青い石の出る山は、メソポタミアにもエジプトにもありません。
山はずっと東です。いまのアフガニスタンの北東、川にそった谷あい。六千年を越えて掘られてきた山で、メソポタミアの瑠璃もエジプトの瑠璃も、ここから来たと考えられております。高原を越えて、まずメソポタミアへ。そこから売られて、ナイルの岸へ。
「『あなたの尊い瑠璃を、石工の石と一緒に割らせないでください』。イナンナが従者に教えておいた嘆きです。従者はそれを三つの家で言います。断られて、次の町へ行って、また同じ言葉で」
石工の石と一緒にしてくれるな、と板は申します。高原をひとつ越えてきた石でございました。
その石で眉をかたどることは、メソポタミアでもしておりました。従者が二番目に訪ねた町、ウル。その町の王たちの墓から、瑠璃の玉が出ております。瑠璃でこしらえた眉と髭も。
首と、眉と、墓。話より先に石が歩いておりました。
「石は歩きません。担いだ人が歩いたのです」
担いだ人、と妻は申します。その人の名を刻んだ板を、わたくしは一枚も持っておりません。手もとにあるのは、石の着いた先の字ばかりです。
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■神殿
首の玉を取られたのは、イナンナ。蠅を首の瑠璃にした女神を、十一枚目は神々の女主人と呼びます。イナンナの名ではございません。
それなら十一枚目にイナンナはいないのか。
おります。板のいちばん終わり、旅から帰り着いた王ギルガメシュが、自分の町ウルクの広さを数えあげるところです。
『一シャルは町。一シャルはなつめやしの園。一シャルは粘土の採り場。半シャルは女神イシュタルの神殿』
イシュタル。イナンナのもう一つの名でございます。
はじめの板はシュメールの言葉で刻んであります。十一枚目はアッカドの言葉。同じ川の国の町アッカドの名で呼ばれ、あとから広く話されるようになった言葉です。その言葉では女神をイシュタルと呼びます。
そして、ウルク。はじめの板の歌い出しで、イナンナは冥界へ下るために、町々の神殿を七つ捨てていきます。その一つ目がウルクの神殿エアンナでした。
女神が捨てて出た町の神殿を、もう一枚の板のおしまいで、王が数えております。
「あなたが字で一柱見つけたのなら、わたしは声で一柱です。言うことを、口うつしに教える方がいるでしょう。はじめの歌では、爪の垢からこしらえた二人に教えます。屍にされたイナンナを取り戻しにやる二人です。川いっぱいの水を出されても受け取るな。『鉤に掛かった屍をください』と言え。十一枚目では舟を造る人に教えます。町の人には何と答えましょう、ときかれて、『こう言うがよい』と。教えたあとで、助からないはずの命が助かります」
口うつし、とは妻もうまく申します。板の字でも、教える言葉は一語ずつ置いてありました。その神の名がはじめの板ではエンキ。十一枚目ではエア。こちらもアッカドの言葉での名でございます。
住まいは動いておりません。はじめの板が書くのは、エリドゥの町にあるエンキの家まで。メソポタミアでは、この神は地の下の真水の淵に住むと語られておりました。淵の名はアプスー。十一枚目で舟を造る人は、町の人にこう言えと教わります。『わたしはアプスーへ下り、主エアのもとで暮らす』
イナンナは冥界へ向かう道で、従者にこう言い置いておりました。『父エンキは、命の草を知り、命の水を知っています』。十一枚目で王が足に石を結んで沈み、若返りの草を引き抜いてくる先も、アプスーです。
二つの名が、はじめから一柱の神の名だったのかどうか。イナンナとイシュタルも、エンキとエアも、もとは別々の神が、のちに重ねられたのだと見る人が多うございます。
「名前が替わって、歌はどうなったのでしょう。別の歌になったのですか」
お持ちした四つのほかに、冥界下りをアッカドの言葉で刻んだ板も伝わっております。
そちらで門をくぐるのはイシュタル。助けを出すのはエア。門は七つのままで、くぐるたびに品を一つ取られるのも同じです。首飾りは三つ目の門で取られます。
その板には帰り道が書いてありました。門をひとつ出るごとに、取られた品がひとつ返される。首飾りも返されます。
「それなら、取られたきりではありませんでした」
アッカドの板では、そのとおりです。はじめの板は、返したとも返さなかったとも、いまも書いておりません。
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■まぶた
四つ目の歌は妻が言います。
「『立ち止まることもなく、まぶたを閉じることもない。ここを歩きまわる神々の見張りは』。八つ目の節です。妹のヤミーに体を求められて、兄のヤマはこう言って退けます。わたしはこの行を、こわい行だと思って聞いてきました。どこにいても見られているのですもの。十一枚目と並べたら、聞こえ方が変わりました。まぶたを閉じずにいられる者をうらやむ人が、一人いるでしょう」
一人思い当たります。ウルクの王ギルガメシュ。友に死なれ、自分の死を恐れて、洪水を生きのびた人のもとまで旅をしてきた王でございます。
生きのびたその人は、洪水のあと神から『われら神々のようになれ』と告げられておりました。神々のような命を探しにきた王に、その人は言います。
『さあ、六日と七夜、眠らずにいてみよ』
王は腰を落として座ります。座るやいなや、眠りが霧のように吹きかかりました。
目を覚ましたとき、頭のそばにはパンが七つ。一つ目は乾ききり、七つ目はまだ炭火の上にありました。眠った日の数だけ、焼いて並べてあったのです。王は言います。
『わたしの寝間には死がすわっている』
インドの歌で、まぶたを閉じないのは神々の見張りでした。その神々をヤミーは『不死の者たち』と呼び、兄のことは『ただひとりの死ぬ定めの者』と呼びます。
眠らずにいることと、死なずにいること。板も歌も、この二つを同じ側に置いているとわたくしは読んでおります。
「ヤミーは、同じ寝床にともに寝たい、と言いました。寝床があるのは眠るほうの人たちです」
寝間には目が止まり、寝床は素通りしておりました。眠る側のことは、妻のほうがよく数えております。
板はメソポタミア、歌はインド。あいだには高原と山々がございます。瑠璃の山も、そのあいだです。




