第3話 あとがき
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003 ギルガメシュ(三)― 洪水と若返りの草 ― あとがき
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『朝には焼き菓子を、夕べには小麦の雨を』
板はこの言葉を三度書きます。はじめは神エアの口。次は太陽の神が定めた刻限。三度目は舟の戸をふさぐ前の遠き人の口です。
板の語で菓子はクック。闇はクックー。小麦を言う語にも重さを言う語が重なります。菓子と小麦の下に、闇と重さを聞く読みが、百年ほど前からございます。麦の粒のようにしげく降る雨、と聞く人もおります。掛けてなどいない、と見る人も。
わたくしは焼き菓子と小麦の雨と書きました。今の言葉では菓子のなかに闇が聞こえません。三度とも聞こえないままでございます。
「聞こえたのかどうか、わたしには決められません。耳に残っているのはすぐあとの行です。夜明けに、国じゅうの人が門に集まってくるでしょう。大工は斧を持って。年寄りは棕櫚の縄を担いで。闇と聞いた人は縄を担いで来ません」
来なかった人のことまでは字は数えません。板が数えるのは来た人の手にあった物です。斧、石、縄、瀝青。
「この板でわたしが耳をそばだてるのは、奥さんの声です。舟はもう岸を離れています。そこで、『国へ帰るあの人に、あなたは何を与えたのですか』」
妻が奥さんと呼ぶ人に、板は名を書いておりません。あるのは『妻』の一語だけです。
その妻の問いを、夫は一語ずつ拾って、客に向かってくり返しました。ここまで来て、苦しみ、力を尽くした。国へ帰るおまえに、わたしは何を与えただろう。草のことが板に出てくるのは、そのすぐあとです。
「おしまいの城壁はどう聞けばいいのでしょう。座って泣いた人が、町の広さを数えて、それきりです」
分かりません。板は王の言葉だけを置いて終わります。どんな声で言ったのかを告げる語は、ひとつもございません。
同じ言葉が、歌のいちばんはじめの板にも並んでおります。城壁に上がれ。礎を調べよ。煉瓦をあらためよ。
わたくしは、王が数えているのだと考えております。煉瓦は焼いた土。町を分ける四つのうち、ひとつは粘土の採り場。友が土になったと言ってまわった人が、帰ってきて、土で築いたものを端から数えあげる。『土に還る』を板はこの一枚に二度書きました。昔の日々について。それから、洪水のあとの人びとについて。王の口には三度目を言わせておりません。
「土で築いたものを数えている。それは、そうなのでしょう。でも、あれは数える声ではなくて、聞かせる声だと思います。『上がれ、ウルシャナビよ』。渡し守は岸をなくした人です。王さまは草をなくして、渡し守は岸をなくして、二人で着いた町でしょう。ここを歩いてごらんなさい、と言っているように、わたしには聞こえます」
渡し守がなぜ岸をなくしたのか。城壁に上がったのかどうか。板はどちらも書いておりません。
草をさらった蛇を、王は『大地の獅子』と呼んで嘆きます。嘆きのつづきにある潮と水路の行は、読み方がいまも割れております。
その蛇は引き返すときに皮を脱ぎ捨てました。その前に、王も洗い場で獣の皮を脱ぎ捨てております。板ではどちらも同じ動詞です。
人がなぜ死ぬようになったのか。それを語る話に、皮を脱ぐ蛇の出てくる土地が、世界のあちこちにございます。
もうひとつ。舟が山に乗り上げ、鳩が放たれて戻ってくる。この板のそのあたりを、一八七二年に、はじめて読み解いた人がおりました。名はジョージ・スミス。読むなり部屋を駆けまわり、着ているものを脱ぎはじめた、と伝わります。何にそれほど驚いたのか。
皮を脱ぐ蛇のことも、部屋を駆けまわった人のことも。
そのお話は、いずれまた。




