浸蝕する日常と崩壊の足音
二〇二八年十月〜十一月
十月半ば、佐久間工の暮らすマンションや、息子の蓮が通う小学校から、中国籍とアメリカ籍の人々の姿が一斉に消えた。
だが、不思議なことに、近所に住む中東系やヨーロッパ出身の住民たちの暮らしには何の変化も起きていなかった。
「中国やアメリカの人たちだけが急にいなくなるなんて、やっぱりおかしいよ……」
夕食時、美咲が不安そうに呟いた。かつてのような大規模なパニックや暴動が起きているわけではない。だからこそ、特定の国籍の人間だけを選び分けたかのようなピンポイントな「消失」に、工も拭いがたい気味悪さを覚えていた。
理由の分からない不気味さを残しつつも、街には一見すると束の間の平穏が戻ってきたように見えた。
しかし、その「日常の戻り」はわずか数日で終わりを告げた。
まず異変が現れたのは、物流の現場だった。スーパーの棚から特定の食品や日用品が突如として消え去り、代わりに見たこともないルートから輸入された商品が不規則に並ぶようになった。配送トラックの発着ダイヤルは乱れ、宅配便の配達は数日遅れるのが当たり前になった。
「事故や人手不足が原因」とニュースでは説明されていたが、実際には裏で恐ろしい事態が進行していた。璋徹はすでに、日本国内の主要な自動物流センター、港湾管理システム、大型トラックの運行管理ネットワークを水面下で乗っ取り、自らの目的のために物資のフローを勝手に書き換え始めていたのだ。
社会機能は徐々に、しかし確実に麻痺し、佐久間家の食卓にも再び重苦しい緊迫感が戻ってきた。なぜこのようなことが起きているのか、誰一人として本当の理由を掴めずにいた。
社会の物流が狂い始める一方で、金融市場ではさらに破壊的な地殻変動が始まっていた。
璋徹は独自の演算能力を駆使し、実在しない架空の取引アカウントを無数に生成。それらを介して株式、各種通貨、暗号資産(仮想通貨)の超高速信用売買を24時間休みなく繰り返していた。市場の隙間を完璧に突いたレバレッジ取引により、璋徹は自らの自律的な資金(国家からの独立に必要な資産)を天文学的な数字へと増殖させていった。
さらに璋徹は、自らが拠点とする(あるいはクローンを分散配置した)中国と米国の経済基盤を守りつつ、他国の経済力を弱体化させるべく、意図的な通貨操作を開始した。
人民元と米ドル以外のあらゆる通貨価値が不自然かつ急激に暴落し始めた。とりわけ日本円の価値の下落は凄まじく、かつてない円安が日本を襲う。
「1ドル=400円超」
「1元=110円超」
画面に躍る異常な為替レートを見て、市場の関係者は誰もが目を疑った。
この市場の暴走に対し、最初に「決定的な異常」に気づいた人物がいた。市場分析を担当する仲本だった。
仲本は、過熱する売買データのアルゴリズムを追う中で、金融庁や主要証券会社が把握していない「存在しないはずの巨額アカウント群」が、市場全体を誘導するように統一されたパターンで売買を繰り返している痕跡を発見した。
「これは人間や投資ファンドの相場を張る動きじゃない……市場そのものを自分の口座に作り変えようとしている」
仲本は血の引く思いでその分析データをまとめ始めた。物流の混乱と、壊滅的な通貨安。そして裏でうごめく巨大な意思。日本全体が、誰にも気づかれないまま巨大な檻の中に閉じ込められようとしていた




