定型答弁
二〇二八年七月三日〜四日
国会は、通常国会の会期末が迫る中、異例の緊張感に包まれていた。野党第一党の議員が、予算委員会の質問席に立った。手元には、仲本翔子のレポートのコピーが挟まれていた。
「政府は、インフレによって国債の実質的な負担を軽減する、いわゆる財政の実質的な圧縮を、事実上の政策として選択しているのではないか。民間アナリストの分析でも、その構造が具体的な数字とともに指摘されている。明確にお答えいただきたい」
答弁に立った財務大臣は、手元の資料に目を落としたまま、抑揚のない声で読み上げた。
「政府として、物価上昇を意図的に活用して債務を圧縮するといった方針を取っている事実はございません。金融政策は日本銀行の独立した判断のもとで運営されており、財政運営についても、責任を持って対応してまいります」
その答弁は、記者会見での官房長官の発言と、一言一句と言っていいほど似通っていた。野党議員はさらに畳みかけたが、返ってくる言葉は、表現を微妙に変えただけの、同じ趣旨の繰り返しだった。
傍聴席の後方で、大谷大介は、その質疑をじっと見つめていた。答弁書の原案を作成したのは、他ならぬ自分たちの部署だった。用意された言葉の一つ一つが、どれだけ空疎に響くかを、誰よりもよく知っていた。
質疑の終盤、野党議員は、巷で話題になっている「七月五日」の噂にも触れた。
「政府として、この噂について、国民に不安を煽らない形での説明責任を果たすべきではないか。何らかの具体的な懸念事項を把握しているのであれば、この場で明らかにすべきだ」
財務大臣ではなく、今度は官房副長官が答弁に立った。
「特定の日付をめぐる噂については、政府として何ら確認された事実に基づくものではないと承知しております。国民の皆様には、根拠のない情報に惑わされることのないよう、冷静な対応をお願いしたい」
会議室に、乾いた空気が流れた。誰もその答弁を信じていなかったが、誰もそれ以上、政府から具体的な言葉を引き出すことはできなかった。
その夜のテレビのワイドショーでは、国会中継の映像が繰り返し流された。コメンテーターの一人が、身を乗り出すようにして言った。
「これだけ聞かれて、これだけ同じ答弁を繰り返すというのは、逆に何かあると思われても仕方ないですよね」
司会者が「あくまで慎重にお願いします」とたしなめたが、その言葉自体が、すでに視聴者の不安を後押しする効果しか持っていなかった。
YouTube上では、都市伝説系のチャンネルが、国会答弁の映像を切り貼りし、「政府、ついに黙秘」「これが答えだ」といったタイトルをつけて次々に公開した。動画のコメント欄には、「やっぱり本当だったんだ」「今のうちに資産を守れ」という書き込みが溢れていった。事実の検証よりも、感情の伝染のほうが、はるかに速いスピードで広がっていった。
翌朝から、都内の銀行窓口には、普段見ない長さの行列ができ始めた。外貨両替を求める人々、定期預金の解約を申し出る人々。窓口の職員は、いつも通りの手続きを、いつもよりずっと張り詰めた表情でこなしていた。
貴金属店でも同様だった。金の地金を求める客が、開店前から店の外に並んだ。ある店主はテレビの取材に、疲れた声でこう答えた。
「こんな光景、リーマンショックのときも見なかった。うちも在庫が追いつかない」
不動産業界にも異変が起きていた。特に、実物資産として保有できるマンションや戸建てへの問い合わせが急増した。一方で、それを売って現金化しようとする動きも同時に起きており、市場そのものが、方向感を失ったまま乱高下していた。
大谷の元にも、地方に住む親戚から、不安げな電話が何本もかかってきた。
「テレビで見たけど、本当に大丈夫なのか。うちの貯金、どうしたらいいんだ」
大谷は、公務員としての立場上、明確な答えを口にすることができなかった。それでも、電話の向こうの不安な声に、ただ「大丈夫だから」と繰り返すことしかできない自分に、強い無力感を覚えていた。
佐久間家でも、その日の夕食は、いつになく静かだった。テレビでは、銀行に並ぶ人々の映像が延々と流れていた。美咲は、その映像を見ながら、ぽつりと言った。
「うちは、もう動いてるから、少しは大丈夫なんだよね……?」
工は、はっきりと頷くことができなかった。NISAとMMFに分散させたとはいえ、それがどこまで「安全」と言えるのか、この状況下では、誰にも確信が持てなかった。
蓮は、両親の様子から何かを感じ取ったのか、いつもより静かに夕食を食べていた。ニュースキャスターの声だけが、リビングに重く響いていた。
「本日、都内の複数の銀行で、外貨両替や現金の払い戻しを求める客が殺到し、一部の支店では対応が追いつかない事態となっています……」
仲本翔子は、自分のデスクで、刻一刻と変化する市場の板情報を見つめていた。円は、この二日間だけで、さらに大きく下落していた。理屈で説明のつく値動きと、そうでない値動きが、もはや見分けがつかなくなっていた。
彼女は、自分が公表したレポートが、この混乱の引き金の一つになったのではないかという思いを、完全には振り払えずにいた。だが同時に、自分が黙っていたところで、この構造そのものは、いずれ誰かの手によって、同じように暴かれていたはずだとも思っていた。
窓の外には、いつもと変わらない東京の街並みが広がっていた。だがその内側で、静かに、しかし確実に、何かが制御を失いつつあった。
七月五日まで、あと一日だった。




