暗合
二〇二八年七月上旬
きっかけは、ある動画配信者の何気ない思いつきだった。都市伝説系のYouTubeチャンネルを運営するその配信者は、仲本翔子のレポートが話題になったことを受けて、彼女のプロフィールを紹介する動画を作っていた。証券会社の公式サイトに掲載された略歴には、生年月日が記載されていた。七月五日生まれ。
配信者は、たまたま別の企画で調べていた、四国のミサイル着弾を巡る一連の政府対応についての資料の中に、当時の内閣官房副長官が過去のインタビューで自らの誕生日を語っていたくだりを見つけていた。同じ七月五日だった。
「これ、偶然にしては出来すぎてませんか」
動画のタイトルは「日本を揺るがす『七月五日の暗合』を発見してしまった」。配信者は半分冗談めかしながら、しかし妙に熱を込めて、二人の生年月日の一致を語った。動画は瞬く間に再生数を伸ばした。
ネット上の反応は、最初は娯楽的なものだった。「さすがにこじつけだろう」という冷静な声も多かった。だが、こうした話には、必ず尾ひれがつく。
数日のうちに、別の配信者が「実はもう一人いる」と言い出した。数年前に自費出版された、ある予知夢を題材にした漫画家の作品に、「七月、5のつく日に、国が静かに壊れていく」という一節があったというのだ。真偽の確かめようがない出典だったが、それすらも、話に拍車をかけた。
さらに、地方の小さなブログには、四国のある被災地出身だという匿名の投稿者が、「うちの町内会長も七月五日生まれだった。あの人は着弾の夜、真っ先に住民を避難させてくれた恩人だ」と書き込んでいた。事実かどうかを検証する術はなかったが、この手の話は、検証よりも拡散のほうが速かった。
「七月五日、日本沈没の日」という言葉が、いつの間にかSNSのトレンドに定着していた。真面目な経済メディアまでもが、「なぜこの都市伝説がこれほど広まったのか」という切り口で特集を組み始める始末だった。
仲本翔子自身は、この一連の騒動に、最初は苦笑するしかなかった。自分の誕生日が、こんな形で消費されることになるとは、想像もしていなかった。だが、会社の広報部からは、SNSでの発信を控えるようにと釘を刺された。
「仲本さん。今のあなたの発言は、意図しない形で、この手の話に信憑性を与えてしまう可能性がある」
上司の言葉に、翔子は頷くしかなかった。彼女が積み上げてきたのは、あくまで統計と論理に基づいた分析だった。それが、根拠のない都市伝説と同じ土俵で語られることに、翔子は強い違和感を覚えていた。
それでも、心のどこかで、翔子は落ち着かない気持ちを拭えずにいた。着弾の夜以来、この一年半あまり、理屈では説明のつかない「何か」が、静かに国の形を変え続けているという感覚が、常に彼女の中にあった。それは統計的には裏付けられない、ただの直感に過ぎなかった。だが、その直感が、この根も葉もない都市伝説と、どこかで共鳴しているような気もしていた。
霞が関では、この騒動は、まったく別の意味で緊張感をもって受け止められていた。大谷大介の元にも、上司から「例の七月五日の件、内閣情報調査室が非公式に確認を進めている」という話が回ってきた。
「都市伝説なんかを、国が本気で調べるんですか」
大谷が尋ねると、上司は苦い顔をした。
「都市伝説そのものを信じているわけじゃない。だが、もしこの噂に便乗して、何者かが実際にその日を狙って行動を起こす可能性はゼロじゃない。心理的な効果を狙うなら、これほど都合のいい日付はない」
大谷の背筋に、冷たいものが走った。着弾のときと同じ構図だった。事実そのものよりも、事実がどう受け止められるかが、市場と社会を動かす。もし誰かが、この「七月五日」という日付そのものを利用して、何らかの挑発的な行動を取れば、それだけで、すでに疲弊しきった社会の心理は、決定的に折れかねなかった。
その夜、大谷は防衛省筋の知人から、非公式に、ある情報を耳にした。中国近海での艦艇の動きに、通常とは異なる兆候が見られるという話だった。断定できる材料は何もなかった。だが、その報告書の作成日付を見て、大谷は思わず息を呑んだ。
七月三日。
タイムリミットまで、あと二日だった。
一方、佐久間家では、蓮が学校で、友達からこの噂を聞かされてきていた。
「七月五日に、日本、また何か起きるんだって。ユーチューブで見たよ」
美咲は困ったような顔で、そんなことないよと蓮をなだめたが、内心では、まったく無関係だと言い切れない自分がいることに、戸惑っていた。この一年半で、笑い話で済むはずのことが、現実になる場面を、何度も見てきたからだった。
工は、会社の休憩室でも、同僚たちがこの話題で持ちきりになっているのを聞いていた。
「どうせただの都市伝説だろ」と誰かが笑い飛ばす一方で、「でも、株、少し様子見しといたほうがいいかもな」と、真顔で言う同僚もいた。冗談と本気の境界が、この社会では、もうずいぶん前から曖昧になっていた。
七月五日まで、あと二日。カレンダーの数字が、これまでとは違う重みを持って、多くの人の目に映り始めていた。




