第9話 聞こえるかな……今、君の心に直接語りかけてるよ……
私は『社会的火刑フェス』を終え、屋敷の廊下を悠々と歩く。別に何か成し遂げたわけでもない。ムカつく相手を特別賢くもない言葉で貶してきただけだ。
けれど、婚約破棄だけはもぎ取った。それだけで頭の中に勝利のファンファーレが鳴り響き、気持ちだけは凱旋気分だ。
『ちょっと、さっきのなんだい!? 恋は甘かったかとか、楽しかったかとか……!』
『だってムカついたから。はぁ~イケボだし、こんな安っぽいセリフですら震えるくらい画になってたんだろうなー。中からじゃなくて外から見たかった……これぞ役得ならぬ役損』
『君が何を言ってるのか全然わからない』
きっとアスラルが目の前にいたら、両手で頭を抱えてしゃがみ込んでいそうだ。それでもその声は、ダリアとミラーノを前にしていた時よりも明るく、いつもの調子が戻りつつあった。
『婚約が破談になって良かったなーって意味。この傾国顔のイケメンが、あの尻軽と結婚するとかマジでもったいないもん!』
『いけめん……?』
『最高にカッコイイってこと!』
『ぁ……か、カッコ……ぃ……?』
カッコイイと言われて、アスラルは戸惑っているらしい。これだけ顔が良いなら、褒められたことなんて一度や二度では済まないはずだろうに。それ以上深くは考えず、今はひたすら勝利の余韻に浸ることにした。
『最高に気分がいい~! もしかしてこれが、ゆめぴの言ってた『ざまぁ』ってやつ? リアルざまぁじゃん!』
イケメンと組んで『ざまぁ』やったぞ~って自慢したら、ゆめぴはめちゃくちゃ羨ましがるだろうな~!
『僕の体でスキップは……ちょっと、やめてほしくて……ほら、みんな怖がって僕を見てる……あんな目を向けられたの人生で初めてだよ?』
『もしかして私、国宝を守った英雄では? ヤバ……』
『聞いてないし……』
至宝のようなイケメン。あのゴミ……ではなく、裏切り者たちを許す寛大で清らかなメンタリティ。危うく不貞という残酷な現実を前に失われるところだった。それを私という存在が、まぁよくわからないがなんとなく繋ぎ止めたのだ。もうそれだけでMVPと言っていいんじゃないか、と内心自画自賛しまくっていた。
『もう、リタのせいでめちゃくちゃだよ。本当に……めっちゃくちゃになったけど……ふっ、あはは……僕、生きてる。まだちゃんと生きてるね。一つでも踏み外したら人生終わりだって、ずっと思ってたのになぁ……』
アスラル……こんな声で笑うの、初めて聞いた。
清々しく爽やかに、伸び伸びと響く笑い声。ずっと悲しそうに、力なく笑ってばかりだった彼が、ようやく心から笑い飛ばせたのだと思えて嬉しい。頬がにまにまと緩んでしまうのを、今は止められそうになかった。
* * *
私はアスラルの部屋へと戻ると、備え付けのティーセットで紅茶を淹れることにした。貴族様はこういったこともわざわざ従者にさせるらしいが、私は生前の知識から得たスキル【紅茶】持ちだ。茶葉をティーポットに入れて、沸かしたお湯を注ぎ、カップに注ぐくらい楽勝なのである。
それにしても、この屋敷にある茶葉はどれもこれも良い香りがする。私が生前飲んでいた激安のティーパックとはまるで次元が違う。
『う~ん……これぞ勝利の美酒……』
『お酒じゃないのに? 僕は飲めない体質じゃないし、もらってきたら?』
『いい、いい! もう会場には戻りたくないし』
今頃会場は夜会どころではないだろう。来てくれた客人にお詫びしながら見送り、アトラクト家とトーフリット家を交えて婚約と賠償の話を詰めることになるはずだ。
精霊であることとアスラルの心労を体の良い理由にして逃げ帰ってきて正解だ。どちらにせよ“イカれた精霊”にできることは何もない。
『でもさ、本当に許しちゃって良かったの?』
正直なところ、私はアスラルがダリアたちを許すとは思っていなかった。私だったら絶対に許さないし、一生ゴミカスとして丁重に笑い者にして語り継ぐだけに、彼の対応は菩薩が目の前に降臨召されたのかと思ったほどだ。
『うん。むしろちょっと制裁しすぎたなって』
『えー? そうかな? ゆめぴのざまぁはもっとエグかったけど』
ゆめぴから借りたマンガの『ざまぁ』は凄まじかった。私には到底思いつかないような知略で相手を詰めて、葬り去る。首が落ちることもあれば、体が擦り切れるまで使い倒されたり、死んだ方がマシなくらいの社会的死を迎えたキャラもいた。えげつない。
『……“ゆめぴのざまぁ”が何かはわからないけど、僕も、婚約を破棄する前に別の人に心惹かれてしまってたから。本当はそんなに責められる立場でもなかったなって』
『そうだったの!? 誰? よくお世話してくれてた侍女の中にいるのかな? ナラン? アマリー? あ、やっぱ笑顔が天使のヴィオレッタかな?』
精霊リタとして扱われるようになってから、世話係の侍女が数人ついた。名前を挙げた三人には、特にお世話になっている。私のひとりごとや、通じない日本語ワードにも「ハァ?」みたいな顔せず笑顔で付き合ってくれる、プロ中のプロたちだ。
『この世界の人、みんなかわいくて綺麗だしねー。庭園で引くくらい冴えないツラを晒してしまって、アスラルには本当に申し訳な──』
『……君のことだよ、リタ』
一拍、時間が止まったように静寂が下りる。キュッと心臓が、いや……首のあたりが締まったような気がした。太鼓の音が空気を震わすような振動が、胸の奥のあたりから私を揺さぶっている。
いやいや真に受けるな、真に受けるな!
「はははー、まさかそんな、推しから告白されるとか……成仏するなら今……! 今ですよ! ほら、神よ!!」
私は両手を広げ、膝をついて天を仰ぐ。けれど、神は私の声を聞き届けてはくれなかった。どうやらこの声は、天井やら屋根やらに阻まれて届かなかったらしい。
『ふふ……心臓、うるさいね。僕の体なのに、リタの反応が感覚で伝わってくる。変な感じ』
「待って待って待って! 全部バレてるやつ!?」
『リタって騒がしくて面白いけど、そういうところがかわいいよね』
「イケボが近い! 脳直で囁かれるのは、前代未聞のゼロ距離なんですけど!?」
『……好きだよ、リタ』
「耳塞いだらもっと声でっかくなった!!」
逃げ場が、逃げ場がない。心臓を握りしめられて、受け入れろと言われているくらいダイレクトだ。
この状態では表情どころか姿すら見えない。けれど今、アスラルが楽しそうに笑っているのは確かに伝わってくる。
私はアスラルのことを推しとしてしか見てなかったから、恋愛感情のことはよくわからない。けれど正直な話、好きと言われて嫌な気持ちにはならなかった。むしろ体が痛いくらい、胸が高鳴っている。
『今晩、夢の中の庭園で会えるのが楽しみだね』
「そうだった……ねるの、こわい……」
『怖がらないで。待ってるから、夜更かししないで会いに来て?』
これまではずっと愛でる対象だったのに、急に恋愛対象という視点がアスラルにねじ込まれてしまった。そんなふうに意識したことがなかったせいか、推しを目の前にしているのとは別の緊張が押し寄せている。
え……この告白の余韻のまま、あのご尊顔と対面しちゃうの?
私のせいでアスラルの心臓まで止まったら、それはそれでヤバくない……!?
体が、妙に熱くて火照る。心臓は相変わらずうるさい。よくわからない汗まで噴き出し始めている。この身体感覚や変化もアスラルに感覚として伝わってしまっているはずだ。私は物凄く、今すぐ消えてしまいたいくらい恥ずかしかった。




