第4話 精霊リタ様……降臨ッ!
あれから意識を戻す方法がわからず、いつの間にかくたびれて寝落ちしていた。次に目を覚ますとあの庭園ではなく、現実……と言っていいのかはわからないが、アスラルの部屋で目を覚ました。体はやっぱり男性のもので、私が『妹尾リタ』として目覚めることはなかった。
「目が覚めたようですね。あなたはアスラル様ですか? リタさんですか?」
ベッドの傍らにある椅子に座ったトリスタンさんが話しかけてくる。あの場で和解して、この体の主導権がアスラルへ戻る可能性もあったらしい。
「あ、リタです」
「そうか。アスラル様と話はできたか?」
「うん、まぁ。事情があって塞ぎ込んでたらしくて──」
『神官のトリスタン、か。すごいな……君が体で目覚めてからの情報が僕に共有されてる』
「ぬぁぁぁっ!!」
頭が喋った……!?
頭の中に、自分のものではない声が響く。それは紛れもなく庭園で聞いていたアスラルの声だった。
「どうした? どこか痛いのか?」
「そうじゃなくて、頭に声が!」
「あぁ、なんだ。アスラル様が覚醒して、話しかけてきたってことか。表に出てきてくれるなら良い兆候だな」
「自分は慣れてるからってサラッと流さないでよ!」
トリスタンさんは事も無げに「ははは」と気楽に笑っている。人の気も知らないで……いや、彼は知っているが、知っているからといって対応が雑すぎだ。
不満に思いながらも、アスラルとの会話を事情をぼかしながら簡単に説明した。まだアスラルは体を取り戻したいとは一言も言っていないし、私自身もまだ返すつもりはない。
「わかった。体を返すときはまた呼んでくれ。術式であんたの魂を体から抽出するから」
「抽出したあと、私はどうなるの?」
「ん? そりゃ、あるべき場所へ還るだけだな」
それは本来の運命である『死』へと帰結するという意味だった。トリスタンさんの声は、変わらずに軽い。けれどそれは他人事だからではなく、受け入れるべき運命として彼自身が覚悟をしているからこその軽やかさだった。
「ひとまずアスラル様の家族に説明をする。あんたでもボロが出にくい設定を俺がでっち上げる。設定は忠実に守れよ?」
「は、はいっ!」
「よし、じゃあ俺は呼んでくるから大人しくそこで待ってろよ」
トリスタンさんは立ち上がると、部屋を出ようと離れていく。その背中を、私は思わず呼び止めていた。
「あのさ、トリスタンさんがトリスタンさんになる前の名前って、なんだった?」
「なんでそんなこと……」
「私は妹尾リタって名乗ったよね。君は?」
元の世界にはもう戻れない。戻る体もきっと、ない。私たちはそれぞれの死因があって、命を落とした。この世界ではもう、本来の名前を口にする機会もない。こうして転生者同士でもなければ。
「……栗野マサキって名前だった」
そんな私の意図を察してか知らずか、トリスタンさんの中の転生者……マサキさんは素っ気なく答えて部屋を後にした。
* * *
アスラルの部屋に集められた両親と姉は、至極真面目な表情で『神官トリスタン』の話に耳を傾ける。彼のでっち上げた設定を真実だと信じた家族は、まるで平伏すように私の前で膝をついた。
「精霊リタ様……我が息子をお守りくださったこと、心より感謝いたします」
アスラルのお父さんが、私を見上げる。眼差しはまるで救いの手を差し伸べた神を崇めるように、強烈な熱を宿していた。
わぁ……怖っ……
神官という職業はこの世界で、えげつないくらいに信用されているようだ。
精霊は自然の中に棲み、見えないながらも人々の生活と密接に関わる不思議な存在らしい。マサキさんは、「俺たちの概念で例えるなら『八百万の神』に近いっぽい」と言っていた。そして彼らは、疑いを一切挟むことなく、マサキさんのでっち上げた設定を信じている。
マサキさんの考えた設定はこうだ。何らかの理由で心を閉ざしてしまったアスラル。昏睡してしまった体を目覚めさせる気力が足りておらず、このままでは緩やかに衰弱してしまうところだった。
しかしそれを悲しんだ精霊が彼の体に入り、代わりに活動することで命を維持しようとした。突飛な行動は精霊であるせいで、人間の常識に当てはめられない。
ということにして、私のやらかしも、これから犯すであろうやらかしも、全て『精霊だから仕方ない』というこの世界の常識でねじ伏せる形をとっている。これほどありがたい設定もない。
「まずはアスラル様の心の回復を待ちましょう。それまでの間は、精霊様がお守りくださるようですから、失礼のないようにだけお願いいたします」
「もちろんです。リタ様、何かございましたらなんなりと我々にお申しつけください。できる限りの誠意を尽くして、ご恩をお返しさせていただきます」
「あの、頭上げてください。もっと普通で良いんで、普通で」
こんな平身低頭に対応されたことがなく、居心地の悪さに全身がムズムズとしてくる。もう少し精霊という存在に慣れてくれるとありがたいのだが。
「では、私はこれで失礼いたします。何かありましたら、またいつでも教会へご相談ください」
「神官様、ありがとうございました」
マサキさんは丁寧に一礼すると、部屋を出て教会へと帰っていった。室内はにわかに慌ただしくなり、『精霊リタ様』をもてなすために動き始める。私はそんなものは必要ないと必死で訴えたが、『アスラル様の命の恩人』という設定になっているせいで誰一人として止まることはない。そうして、歓迎の宴のようなものへと招かれた。
「リタ様、どうぞこちらをお召し上がりください」
「リタ様、足りないものはございませんか?」
「リタ様、欲しいものはございませんか?」
お供え物のように押し寄せる、食べきれないほどの料理やお菓子の波。グラスが空けば何も言わなくても湯水のように飲み物が注がれ、常に不足はないかと気にかけてくる。
酒池肉林とはまさにこのことであると悟り、一生分の贅沢を一回で味わい尽くしてしまった気分だった。
その後、至れり尽くせりが極まった状態から解放された私は、くたくたの体ごと寝室のベッドへと飛び込んだ。




