第2話 転生者無双は始まらない、残念ながら
大きな屋敷の廊下を駆け抜け、エントランスホールの隣にあるラウンジにアスラルさんの家族の姿を見つける。私はそこへ飛び込むようにスライディング土下座した。
「申し訳ありませんでしたーッッ!! わたくしめが、大切な息子さんの御身を……!! 必ず……必ずお返ししますのでぇぇ!!」
腕立て伏せのように額を浮かせては床につけて必死に謝罪するも、誰にも声をかけられない。恐る恐る顔を上げると、困惑と驚愕……いや、恐怖に凍りついた表情が私を串刺しにしていた。
や、や、やってしまった……やってしまったのか、これは!?
「旦那様、申し訳ございません。彼は少し思考と記憶が混濁しているようでして」
「ちょ、私はちゃんと意識ハッキリして……!」
「えぇ、わかっておりますよ、アスラル様。さぁ、参りましょう。旦那様、後ほど詳しいご説明をいたしますので、もうしばらくお時間をいただきます」
パニックと衝動で思いきりやらかした私を、トリスタンさんは穏やか神官ムーブで見事に回収した。反省してとぼとぼと歩く私から、この屋敷の従者っぽい人たちはあからさまに目を逸らしていた。
部屋へ戻ると、トリスタンさんに肩を押さえつけられるようにして椅子に座る。彼は呆れと怒りを混ぜたような表情で、眉間に深いシワを寄せていた。
「あんた、よくそんな感情だけで現代生きてこれたな!? 前世の姿を見てみたいくらいなんだが?」
「へへ、そんな……至って平凡な大学生でして……あ、専攻科は──」
「褒めてない! 聞いてない! 落ち着け、頭を使え!」
「スミマセン……」
もう、しょぼくれた犬のように頭を下げるしかない。ついつい感情や考えのままに、勢いでなんとかしがちなのが自分の欠点であることは理解している。が、やっぱり勢いで生きているので、失敗してから思い出して反省……というのが常だった。
「俺らは、いわゆる転生者だ。これまでと変わらず普通にしてるだけでも、明らかに周囲から浮く。少しは慎重になれ」
「転生者……そうだよね、わかった。ゆめぴの知識でなんとかやってくしかないってことだね」
「話聞いてるか? てか、“ゆめぴ”って何?」
「私の友達のあだ名。そういうマンガ読み漁ってたんだよね。私も何冊か借りて読んでさ……」
「おい、マンガを参考にするのは絶対にやめろよ? 俺らは現代知識で無双はできない」
正直現代知識無双のことはよくわからないが、世界に馴染みつつ現代感覚を駆使してこの難局を乗り越えていくしかないのは事実だ。
ゆめぴが読んでいた転生者ものの話にもいろいろあった。一番よく見たのは日本人だった前世を記憶として思い出すパターンだが、こんなふうに体を乗っ取っているパターンもなかったわけではない。
共通するのは、前世の知識や現代の知識、ゲームならゲームの知識を使って窮地を逆転していく。そうして虐げてきた数々の愚か者を『ざまぁ』する……のだが。
「あれ? 転生先って普通、貴族のお嬢様じゃない? なんで私、イケメンの体に入ってんの? 家族もみんな優しくて良い人そうだったし」
「あぁ……俺もあんたに会うまで、異性の体に転生する可能性は頭になかった。つまりあんたは、運がなかったってわけだ」
「……マジか……神よ、あまりにも人の心がない……!」
「人じゃないしな」
さよなら、ゆめぴのマンガ知識。
何も参考になりそうになかったよ。
「まぁ、そんな落ち込むな。体返す気があるなら、アスラル様と話してみたらどうだ?」
「どうやって?」
「俺の力で導くからそこは安心しろ」
「え、そんなことできるの!? 魔法みたいな?」
「俺のことはいいから! ほら、ベッドで寝ろ。こういうのは早い方がいい。転生者に体を取られるってことは、必ず元の本人に“何かあった”ってことだから」
私は追い立てられるようにベッドの上に横になる。私の額の上にかざされたトリスタンさんの手が、淡い光を放ち始めた。
「待って、一つだけ聞かせて。トリスタンさんは、なんでトリスタンさんに体返さなかったの?」
トリスタンさんは術を一度止めると、渋い顔をした。瞳に仄暗い影が差し、それを隠すように一度目を伏せた。
「……返さなかったんじゃない。拒否された。まだ中には本人が残ってるし、本人がいつでも帰れるように、俺はこの体の生活基盤を整えてるんだけどな。ちなみに、神官になったのもその一つ。はい、もういいだろ。目を閉じて」
「う、うん。ありがと……」
返却拒否……そんなことがあるのだろうか。本物のトリスタンさんはなぜ体を取り戻そうとしないのだろうか。
私には直接聞く術はない。けれど、アスラルさんと話す機会はもらえた。
私は今度こそ言われたままに目を閉じる。黒に染まる世界の中で、この体の奥にいるはずのアスラルさんへ思いを傾けていった。




