第291話 クロハニほへと
ここは寮長室のとなりの管理室である。
「ねえねえ、お兄ちゃんいる?」
ドアを開けっぱにしたままで、詩織が仁王立ちならぬ尼王立ちで中を覗き込む。
「こらこら、ノックくらいしなさい。躾のない娘は世渡りを失敗するぞ!」
「そんな風に思ってる人の方が失敗するんじゃないの?」
まさかお惚けさんて訳ではあるまいし……駄々っ子言って世渡りできるなら、孔子の礼節が尊ばれる訳がない。
がしかしまぁここは、僕の方が年上なんだから、ちょっとばかしの大人の嗜みとして、寛容な切返しをしてやろう。
「例えばだ、兄さんがだな……」
「もういいよ」
なぬ?
「人の話は最後まで……」
「せっかくお兄ちゃんにいい話を持ってきたんだけどなぁ〜」
「いい話?」
いや、ちょっと待て!
そんな誘い水に耳を貸したら、
大人の嗜みどころか、狡猾さを露呈してしまうじゃないか。
「これなんだけどね、エスハニのプレミアライブショーの招待券なんだ」
「これのどこ……」
「二枚だよ」
ん?
「二枚?」
「そう、彼女さんといけちゃうよ。なかなか手に入らない代物なんだけどなぁ……」
おいおい、どこぞのできた娘さんかと錯覚してしまったよ。
躾がなっていないなんて失礼なことを、訂正させていただきます。
本当、ご機嫌取るのが上手過ぎるよな。
愛される存在になれるよ……君は。
「どうしてもお兄様にプレゼントしたいと言うのだな……次の土曜日は予定はなさそうだからな。さて、誰がライブに付き合ってくれるものか?」
「本当、素直じゃないよね。相手は紗矢香さんなんでしょ?」
「そうだなぁ、っておいこら待て、どうして紗矢香とのこと知ってんだよ?」
「ふふふ、そういう事はわかるもんなのよ、お兄ちゃん」
プレミアライブショー会場
「ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンドンドンッ、ドンッ……」
「キャー、キャー、キャー……」
「凄〜い! 暗闇にサーチライトと重低音がリズムに合わせて動いていて、まるで幻想の世界だね」
「良かったよ、耳栓してて」
「えっ? 聞こえないけど!」
「うわっ、急にキャットウォークあたりの下からの照明が明るくなったよ」
「まるで幻想の世界に迷い込んだ見たいね」
ん、まぁ何言ってるのかわからないけど、つまりこう言うのがライブってことなんだよな?
それにしても周りの人たち、
エスハニ衣装のコスプレさんばかりだ。
周りはJKかJCか?
いや待て、JSまでいるじゃないか?
エスハニ信仰、恐るべし!
「ねえ、あれ見てよ! 詩織ちゃんかしら?」
紗矢香さん、何指差してんだ?
「詩織か?」
「ちょっと! めっちゃ可愛いの着てるよ! それに大人びて見えるわ、詩織ちゃん」
「馬子にも衣装」ならぬ、
「真娘にも衣装」とはこのことだ。
「まぁ、躾だどうだこうだと捲し立ててみたが、こうやって社会で上手くやれている詩織を目の当たりにすると、自分の了見の狭さを突きつけられている気分だよ」
「何? 聞こえないんだけど」
「ああ、聞こえなくていいよ」
人ってのは、ひょっとしたら、完璧でなくても良いのかもな……。
与えられたことに前向きに取り組んでいれば、案外、それでオールOKなのかも知れない。
この騒がしいライブに身を置きながらも、悩み込んでいた心が落ち着きを取り戻していく、そんな気分だ。




