第283話 小田原、雨の慕情
翌朝
「二人ともよく寝れたかな?」
と母・真澄から声をかけられた雪は、
「なんとなく寝苦しかったかな?」
と言いながら、グラスに注いだミネラルウォーターを一息で飲んだ。
そして春風を見ながら、
「春風もどう?」
とグラスを差し出した。
「ありがとう」
と渡されたミネラルウォーターを春風も一気に飲み干した。
それにしてもスッキリしない顔のままのふたりに、真澄はニンマリして、
「そっか、そうだよね、二人っきりだったもんね」
と笑みを溢した。
「母さん、今何か想像しなかった?」
「いいえ、何も」
と惚けて笑った。
「もう!」
朝食を終え、ふたりは帽子、サングラスにマスク姿で玄関先に立っていた。
「ねぇ、あなたたち、その格好でどちらまで?」
と遅起きの明生がパジャマ姿で現れた。
「ちょっとそこまで」
「おいおい、そう言う感じには見えないぞ」
「いいのいいの、じゃあ行くよ春風」
と春風の手を握り、雪は傘をさして玄関を出て行った。
「……真澄、あの子たちどこへ行くつもりだ?」
「さあね……けど、雪のあんな嬉しそうな顔見るの久しぶりじゃないかしら?」
「そうだな。久しぶりだな」
とふたりは顔を突き合わせ、笑みを溢した。
母の自宅マンション前
「ここなんだ」
「そう、ここよ」
と雪が見上げた。
「確か五〇三号室と堂島の手紙には書いてあったから、えっとあの部屋だね。でも窓がないから、居るのかわかんないね」
「じゃあ、裏に周ってみようか?」
「そうね、そうしよう」
ふたりは裏に周り込み、らしき部屋を下から覗いた。
「あーん、わからないな?」
と雪が呟いた瞬間、春風は部屋の電気が消えたことに気づいた。
「出てくるかも?」
と春風が口にしたことで
ふたりは身構えた。
玄関ホール側に戻るべく、ふたりは来た道を戻るように速歩きをしたのだか、春風がその異変に気付き、雪を制止しながら身を潜めた。
「黒塗りの車だ!」
そう呟いた春風に、雪はその車を見つけ、
「ねえ、今出て来たの、春風のお母さんだよね?」
「あっ、そうだね。思ってたより痩せていて、歩き方も少しだけ体調悪いように見えたけど、どうしたら?」
「どうするの?」
「後を追ってみたいけど、自転車もないしな」
「じゃあ、今声かけに行くしかないんじゃ?」
「でも……」
「男の子でしょうが、しっかりしなさい!」
「ん……呼び止めにいくよ」
「了解」
ふたりは傘をさしたまで小走りで、黒塗りの車まで駆け寄った。
車の助手席の扉を閉めた男が、こちらに気がついた。
「サングラスにマスク、怪しい奴め」
半吉は駆け寄る春風たちに向かい仁王立ちして、
「おい、お前ら止まらんかい!」
と声を張り上げた。
「あれって、半吉さん?」
春風はサングラスとマスクを外した。
「あれ? 春風さんじゃ?」
半吉は春風の顔が美奈子夫人に見えないよう、身体を張ってガードした。
半吉はこれから母が向かう先が湘南第一病院の精神科でることを伝え、車に乗り込んだ。
そしてその黒塗りの車は走り出した。
「半吉さん、今どなたとお話しされていたのかしら?」
「ええ、ちょっと道を聞かれまして」
「そうだったの……」
「ねぇ春風くん、どうするの?」
「母は本当に心の病気だったんだな……僕は今日ここへ確かめに来たのは、ひょっとしたら母は本当は元気で生活していて、僕が心配しなくても安定した暮らしている、そんな姿をただただ見ておきたかっただけなのかもしれない」
「そう……なんだ」
「そりゃ、僕のことを覚えてて、名前を呼んでくれて、抱きしめてもらえたら良かったかも知れないけど……」
「なら、行こうよ病院へ」
「いや、いいんだ」
「死んでいたと思ってたお母さんが生きてたんじゃない! お母さんに会いたかったんでしょ?」
「……会いたかったさ。けど、僕を産んだせいで精神的にまいってしまったんだ。だから、僕をおいて家を出たってことでしょ?」
それを聞いた雪は、言葉を失った。
春風が自分自身のことを、そんな風に悲観的に捉えていたことを知り、雪は涙が溢れてしまう。
雪は傘を放し、春風の背中を抱きしめ、しばらくふたりは強く降り出した雨の中、その場に立ち尽くした。




