第 三 部 ⾰ 命 の 渦 の 中 で 第 ⼗ 八 章 ゾ エ ※ 後 年 の 回 想
チュイルリーの⽣活は、ヴェルサイユとは違いました。
空気が違った。ヴェルサイユには広さと豪華さがありました。チュイルリーにも美しい部屋はたくさんありましたが、なんというか——囲まれている感じがしました。宮殿の外から、常に何かが聞こえてきた。叫び声、太⿎の⾳、喧騒。宮廷の侍⼥たちが、窓に近づかないようにと⾔っていました。
シャルル殿下は相変わらずよく笑いましたが、笑う瞬間と笑わない瞬間のメリハリが出てきた気がしました。七歳から⼋歳になる間に、彼は何かを感じとっていました。⼦どもは空気を敏感に吸い込む⽣き物ですから。
⼀七九⼀年の初夏、王家がヴァレンヌへ逃げようとして失敗した事件がありました。
私はその夜の記憶を鮮明に持っています。
深夜に起こされて、急いで準備をして、⾺⾞に乗りました。どこへ⾏くのかは教えてもらえませんでした。ただ急いで、静かに、と⾔われました。シャルル殿下は眠そうな⽬をこすりながら⾺⾞に乗り込んで、王妃陛下は帽⼦を深くかぶっていました。
でも逃げきれませんでした。
国境近くのヴァレンヌで⽌められて、パリに連れ戻されたのです。
あの帰路の⾺⾞の中でのことを、私は今も覚えています。
王妃陛下がシャルル殿下を膝の上に乗せて、ずっと黙っていました。外から群衆の怒声が聞こえていました。⾺⾞に向けて何かが投げつけられることもありました。それでも王妃陛下は表情を変えませんでした。
ただ、シャルル殿下の背中をずっとさすっていました。
アルマン様は、あの夜、⾺⾞には乗っていませんでした。
後で聞いた話では、王家の逃亡に同⾏しなかった、ということでした。理由はわかりません。でも私には、何となくわかる気がしました。
彼は、逃げる側ではなかった。
そういうことだったのだと思います。




