第 ⼗ 九 章 ア ン ト ワ ネ ッ ト
ヴァレンヌから戻った夜のことを、私は夢に⾒る。
⾺⾞の中。シャルルの背中の温かさ。外の怒声。ルイが正⾯を向いたまま黙っていた。
マリー=テレーズが泣かないように⻭を⾷いしばっていた。
アルマンはいなかった。
彼がヴァレンヌに同⾏しなかった理由を、私はずっと聞けずにいた。
チュイルリーに戻ってから、私は彼を呼んだ。
「なぜ来なかったのですか」
彼は答えた。「⾏けませんでした」
「⾏けない、とはどういう意味ですか」
沈黙。
「アルマン」
「マリーさま」
と彼は⾔った。
「私には、逃げることができなかった」
「なぜ」
「ここが、私の国だからです」
私は彼の⾔葉を、すぐには理解できなかった。ここが私の国、とはどういう意味か。フランスが彼の国なのは当然だ。しかし彼が⾔った「ここ」の意味は、そういうことではなか
った。
「⾰命が、あなたの側なのですか」
と私は訊いた。
彼はすぐには答えなかった。⻑い沈黙の後、
「わかりません」と⾔った。「でも、逃げることは、答えではない、とは思っています」
その⾔葉の誠実さが、私を刺した。
彼は嘘をつかなかった。私に嘘をついて安⼼させることも、できただろう。しかし彼は正直に答えた。その正直さが、彼と私のあいだの距離をはっきりと⽰していた。
「私はあなたを失いたくない」
と私は⾔った。気づいたら⾔っていた。
「私の⼦として、そばにいてほしい」
彼の⻘い⽬が、私を⾒た。
「マリーさまを失いたくない気持ちも、本当です」
と彼は⾔った。
「でも——」
でも、の後が⾔えなかった。
私たちはしばらく、無⾔でいた。窓の外から、遠く、何かの⾳が聞こえた。⾰命の⿎動
のような⾳が。
彼が私の前から下がっていくとき、私は気づいた。
この⼦は、もう私の「⼦」ではない。
いつからか、彼は⼀⼈の⼈間になっていた。私の意志とは無関係に。⼈間はそのように育っていく。そのことを、頭ではわかっていたが、⽬の前でそれを⾒せられると、胸が痛かった。
親が⼦を⼿放すとき、という⾔葉を考えた。
私は彼を⼿放すべきなのか。しかし⼿放すとはどういうことか。⾰命に⾏かせることか。戦いに⾏かせることか。
夜、私はひとりで泣いた。
⼦どもたちには⾒せなかった。ルイにも⾒せなかった。侍⼥たちにも。ただひとりで、声を殺して泣いた。
何のために泣いていたのか、よくわからなかった。アルマンのためか、フランスのためか、⾃分のためか。すべてが混ざり合って、どこからが何のための涙かわからなくなっていた。
ただ涙が出た。⽌まらなかった。
その夜の泣き⽅が、私には⼀番正直な感情だったと思う。宮廷という場所は、正直な感情を持つことさえ難しい場所だった。そういう夜の涙だけが、私の本物だった。




