第14話 ア ン ト ワ ネ ッ ト — — ヴ ァ レ ン ヌ の 夜
逃げようとした夜のことは、恥ずかしいとは思わない。
ただ、間違いだったとは思う。
ルイが決断したとき、私は賛成した。国境を越えれば、オーストリアが後ろ盾になる。
⼀度退いて、体制を⽴て直す。そういう計算があった。計算は間違っていなかったかもしれない。しかしフランスの⺠衆が何を感じるかを、私たちは読み誤っていた。
王が逃げる、ということが、何を意味するか。
⺠衆にとって、それは「王が⾃分たちを⾒捨てた」ということだった。
私にはその感覚が、⾺⾞に乗るまでわからなかった。
ヴァレンヌで⽌められて、連れ戻される⾺⾞の中で、私は窓の外を⾒た。道沿いに⺠衆
が⽴っていた。叫ぶ者、⽯を投げる者、ただ黙って⾒る者。
黙って⾒ている⽬が、⼀番こたえた。
怒りは理解できる。怒りは感情だから、通じ合える部分がある。しかし、ただ黙って⾒ている⽬の中に、何があるのか。諦め? 憐れみ? それとも冷静な審判?
わからなかった。
アルマンが同⾏しなかったことを、⾺⾞の中で初めて意識した。
出発の前に、彼に声をかけたか。かけなかった。なぜかけなかったのか、今考えると不思議だ。⾃分の「⼦」を置いていくのに、声もかけなかった。
かけられなかったのかもしれない。
彼が来ないことを、私はどこかで知っていたのかもしれない。知っていて、確認することを避けていたのかもしれない。
知ることが怖かった。
シャルルが私の膝の上で眠っていた。重い体の温かさ。この⼦は王太⼦だ。この⼦の⾏く末が、フランスの⾏く末と繋がっている。この⼦を守らなければならない。その責任だけが、あの夜の私を動かしていた。
帰路の⾺⾞で、ずっとシャルルの背中をさすっていた。
彼は眠っていたが、私の⼿の動きを感じていたかもしれない。感じていてほしかった。
あなたは⼀⼈ではない、という気持ちを、⼿のひらから伝えたかった。
伝わったかどうかは、わからない。
⼦どもに伝わることと伝わらないことは、親が決めることではない。⼦どもが感じ取ることだ。
チュイルリーに戻ったとき、宮殿の明かりが⾒えた。窓の灯り。誰かが待っているということ。
アルマンが待っていた。
⽞関ではなく、廊下の少し⼿前で、壁際に⽴っていた。私たちが通ると、静かに頭を下げた。⽬が合った。彼の⻘い⽬が、私を⾒た。
何も⾔わなかった。私も何も⾔わなかった。
しかしその⽬の中に、何かがあった。責めているのではなかった。批判でもなかった。
ただ、⾒ていた。⾒届けていた、というような⽬だった。
その⽬を⾒て、私は初めて泣きたいと思った。
泣かなかった。泣けなかった。
しかし、泣きたいと思ったことだけは、覚えている。




