第99話 父の事故の日
保存槽区画の、さらに奥へ進んだ日のことだった。
下層の通路を、慎重に進むと、もう一つ、生きている板があった。カイが手を当てると、淡く光る。施設側の、入退室記録だった。だが、今度のものは、父カツオの、最後の記録だった。
「父の、最後の記録です」
その声が、少し、固かった。
文字を、追っていく。父が、ナノマシンを持ち出した後の、記録だった。
「『持出後』」
カイの指が、文字の列を下へたどる。
「『再入室』。父は、ナノマシンを持ち出した後、もう一度、ここに戻ってきています」
「なぜ、戻ってきたんでしょうか」
カイが、記録を、さらに読んだ。父の名前の隣に、作業の内容が、残っていた。
「『閉鎖処理』」
カイは、その言葉を、何度も読んだ。
「閉鎖処理」
その四文字を、口の中で繰り返す。
「父は、ナノマシンを持ち出した後、もう一度ここに戻って、禁域を、閉鎖しようとしました」
「閉鎖」
ミコトが、顎に手を当てた。
「自分が持ち出した後、入口を、閉じようとした、ということか」
「たぶん」「父は、ナノマシンを持ち出した。でも、それは、してはいけないことだった。だから、他の誰かが、同じことをしないように、禁域を、閉じようとしたのかもしれません」
カイは、記録を、最後まで読もうとした。だが、記録は、途中で、途切れていた。
「ここで、終わっています」「閉鎖処理の途中で、記録が、止まっている」
リュウが、別の板を調べていた。
その板には、施設の、外の状況が、記録されていた。リュウが、カイを呼んだ。
「カイさん」
別の板から、手招きする。
「これ、見てください。日付が、同じです」
カイが、その板を見た。父の、最後の記録と、同じ日付。そして、そこには、こう書いてあった。
「『外部崩落』」
読み上げる声が、途中で詰まった。
「『崖崩れ』。……父が、閉鎖処理をしていた日に、外で、崖崩れが、起きています」
誰も、すぐには、言葉を発しなかった。
「父の死は」「事故、と聞いていました。崖崩れで、亡くなった、と。母から、そう聞いていました」
「同じ日付だ」「お父さんが、禁域の閉鎖処理をしていた日に、崖崩れが起きた」
「父は」「禁域を閉じようとして、その時に、崖崩れに、巻き込まれた」
通路が、静かだった。壁が、音を吸い込んで、誰の息も、響かない。
「父の死は」
カイが、ゆっくりと言葉を選んだ。
「事故でした。でも、ただの偶然じゃ、なかったのかもしれません。禁域の閉鎖と、関係していた」
「閉鎖処理が」「崖崩れを、引き起こした可能性も、あります。禁域を閉じる時に、何かが、起きて、外の地形に、影響したのかも」
カイは、しばらく、黙っていた。それから、ぽつりと、言った。
「私が、生きるために」「父は、ナノマシンを、持ち出しました。そして、それを、閉じようとして、死にました。……私が、生きたから、父が、死んだのかもしれません」
誰も、すぐには、否定できなかった。
それは、重い言葉だった。否定したい。だが、安易な慰めは、カイの傷を、軽く扱うことになる。みんな、それが、わかっていた。
沈黙が、長く続いた。
最初に、口を開いたのは、ミコトだった。
「カイ」
静かに、沈黙を割る。
「お前が、生きたから、お父さんが死んだ、というのは、正しくない」
「でも」
「お父さんが、死んだのは」「閉鎖処理をしていた時に、崖崩れが起きたからだ。お前が、生きたことと、お父さんが死んだことは、別のことだ。同じ時の流れの中にあるが、別のことだ」
「……でも、父は、私のために、禁域に入ったんです」
「入った」「そして、お前を、助けた。それは、お父さんの、選んだことだ。お前が、頼んだことじゃない。お前は、まだ、小さかった」
カイは、何も言わなかった。
「重いのは、わかる」「でも、その重さを、全部、お前が、背負う必要はない。お父さんの選択は、お父さんのものだ」
帰る前に、カイは、父の最後の記録を、もう一度見た。
閉鎖処理の途中で、途切れた記録。同じ日の、崖崩れ。父は、ここで、何かを守ろうとして、死んだ。
「父は」「最後に、何を、守ろうとしたんでしょうか」
「閉鎖処理は」「保存槽区画を、守るためのものだったのかもしれません。父さんは、ナノマシンを持ち出した。でも、保存槽の中にあるものは、守ろうとした。だから、入口を、閉じようとした」
「保存槽の中にあるもの」「『外を知る者』」
「そうかもしれません」「父さんは、保存槽の中の何かを、守るために、禁域を閉じようとして、死んだ」
カイは、保存槽区画の、さらに奥を見た。父が、守ろうとしたもの。その奥に、まだ、開けていない場所がある。
「戻ります」
声が、少し、震えていた。
「今日は、戻ります」
来た道を、戻った。誰も、話さなかった。父の死の真相は、重かった。だが、それは、一人で抱えるには、重すぎた。だから、五人で、抱えて、戻った。
外に出ると、ガンが、待っていた。五人の顔を見て、ガンは、何も聞かなかった。ただ、「帰るぞ」と、言った。それが、今、一番、必要な言葉だった。




